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家事は最高の自己投資

稲垣えみ子さんの『家事か地獄か』(ワニブックス)を読んでいる。

まだ読みかけなのでしっかりした感想は書けないが、私はこの本から自分の生活に希望の光を見出したような気がしている。

家事って誰しもがやりたくない嫌われ者。だって、やっとの思いで今日の分を済ませても、明日になったらニューゲーム。毎日繰り返し、面倒でつまらないタスクをこなさなくてはならない。お金も大切だけど、家事だって誰かがやらないと生きていけない。

それなのに(一人暮らしはともかく)ちっとも感謝されない。家事をしてもらっている側にとっては「当たり前に終わっていくもの」。そう、結婚する前の私のように。

もっと分かりやすい話、無報酬。だからどうしても、家事より仕事の方が「偉い」ものに位置付けられる。

こんなことを書いてると「家事」って損な役回りのような気がしてくるが、今回の読書で「損なんてとんでもない!家事って素晴らしい!」という気分になってきた。

稲垣さんは、退職を機に生活をダウンサイジングした。というか、金銭的にせざるを得ないので狭い部屋に引っ越した。物理的に物を減らさざるを得ず、偶然にもシンプルライフになった。

そしたら今まで「なくなればいいのに」と思っていた憎き家事がラクになり、好きになり、思わぬところに豊かな生活を発見した、というのだ。

ふきん一枚で事足りること、一汁一菜で楽々おいしいこと、タライで洗える分の服で十分暮らせること。

読んだなかで、一番ビビっときたのは『家事は最も確実な自己投資』という項。

何度も言うが、家事ができるとは、一言でいえば「自分のことは自分でできる」ということ。日々健康的で美味しいものを食べ、すっきり片付いた部屋で自分に似合うこざっぱりしたものを着て暮らす。それができるのが「家事ができる人」だ。
その人は間違いなく幸福だ。お金があろうとなかろうと、幸福は自分自身の手で簡単に手に入れることができるのだから。

『家事か地獄か〜最期まですっくと生き抜く唯一の選択〜』P.87より抜粋

一寸先が闇、確実なものが何もない現代社会で、簡単に、確実に、誰でもできるのが家事だ。その宝を人にやらせているなんて勿体無い!というのだ。

あぁ、私が日々やっているのは「自分で自分を幸せにする行為」なんだな…と、大袈裟ではなく家事を愛おしく感じるようになった。

この本には他にも「人間の欲が便利なものを生み出し、かえって家事が複雑になる」「シンプルな家事を身につけて老後に備える」など、家事がどれだけ素晴らしく価値のあるものか書いてある。

よく「妻に先立たれた夫は長生きしない」なんて言って、前職でそんな例をたくさん見てきたけど、それって自分で家事ができない、つまり生活が成り立たない、なんてこともあるんじゃないの?と感じた。

私の毎日の仕事(家事)が一番自己投資になっていると思ったら、単純にうれしい。

ちなみに、稲垣さんは「断捨離が豊かな生活の始まりであり終わり」と言っている。狭い部屋に引っ越すとき泣く泣く物を捨てたら、自動的に家事がラクになって素敵な暮らしが始まったという。

私は今より広い部屋に引っ越すのだが、この機会にいらないものを捨てよう。うちはとにかく物が多い。ミニマリストは無理だけど、欲に負けて家事を、自分を不便にしないように。

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