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ズタズタになっても、2年経てば・・メールボックスの整理で見えたこと

ここ数日かけて、この3年分位の溜まってたメールをごっそり削除。結構大変だったけど、メールボックスだけでなく、自分の気持ちも妙にスッキリした✨

私は時々メモ代わりに自分宛にメールを送ったりする。

コロナを通して誰もが体験したことのない変化に直面していた当時、その変化に耐えられるほどのタフさがなかった組織の弱さやほころびが、個々の不安から人間関係のこじれへと変化し表面化していただけで、あれは私一人でどうこう出来るレベルの問題じゃなかったと今は思う。

それを馬鹿正直に言われるまま一人で背負い込んで、八方塞がりの状況の中、もがいていた事を物語る沢山のメールを見ていると、その純粋さと馬鹿正直さと不器用さがいじらしくて気持ちがキュッと締め上げられる。

当時は必死すぎて視野が狭くなり、見えてなかった自分。もし今の私がタイムマシンで戻れるなら「もう充分頑張ったよ」って背中をさすって、ねぎらってあげたい。

なかなか捨てることが出来なくて苦しんでたあれこれ。でも実際捨ててみたら、めちゃくちゃ身軽で健康になった。

そして今となってはあんなクソみたいなあれこれに、どうしてあんなにもこだわってたのか謎すぎて笑っちゃう。(下品でごめん)🤭

変化が怖かったのか?ドリームキラーに飲み込まれていたのか?何か変な魔法にでもかかっていたのか?笑。多分全部だと思う。まぁでも過去って振り返ってみたらそんなもんだよね😂

当時自分が吐き出す為だけに書いてた文章を読み返すと、生々しくヒリヒリするような感情やこわばった体の感覚がひしひしと伝わってくる。

けれど一方で「これはこれで文章としてアウトプットして残しておいて良かったなぁ」とも思う。今の私にはあんな世界観の言葉はもう書けそうにない。

ある意味当時の私の真空パック。多分もう、その封を開ける事は無いけど、今の私を方向づけた大事なきっかけ。

人間関係がこじれて、どうにか修復しようともがいて苦しんで、ようやく捨てるに至ったその過程。それをメールボックス越しに追いながら、私自身も現在進行形で変化してるんだなと実感した。

一方で、当時は絶対一生忘れられないと思っていた色んな人の顔も声も出来事も、今や全てぼんやりとしか思い出せない事に気づく。

あぁ、こうやって人の傷は癒え、前に進んでいくんだな。

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