赤十字の起源
赤十字社のマークはテンプル騎士団(聖堂騎士団)の旗と似ているため、教会と関係しているではないかと思われがちですが、実は赤十字と教会特に聖堂騎士団と全く関係がありません。
赤十字社は19世紀誕生したものに対し、聖堂騎士団は14世紀すでに滅びました。フランスのフィリップ4世は、聖堂騎士団の財産目当てに異端の汚名を着せ火刑にしました。
一方、赤十字社の誕生はイタリアの独立戦争に戻ります。イタリアの独立はドイツとすごく似ています、両国とも実力の強い邦国による統一されました。ドイツはプロイセン公国、イタリアはサルデーニャ王国が統一を実現しました。
1859年、サルデーニャ王国はフランス(ナポレオン3世)の力を借りてまだオーストリア帝国支配下のイタリア領土を取り戻すため、フランツ・ヨーゼフ1世が率いるオーストリア軍とソルフェリーノで戦争を行いました。両方合計20万の兵力を導入し、負傷者は4万人を超えました。こんな大量な負傷者が出たことで後方勤務部隊も対応できず、軽症者はまだ自立で近くの村に逃げられるが、重傷者は戦場で死を待つしかできません。
当時、デュナンという名のスイス商人がこの戦いに遭遇し、戦闘の悲惨さに大きな衝撃を受け、自ら資金を出し国関係なく負傷者を救援しました。帰国後デュナンは負傷者を救援する国際組織を作ること提案し、すぐ欧州各界の支持を得られました。
1863年「国際負傷軍人救護常置委員会」(後に赤十字国際委員会に改名)が発足し、各国も自分の赤十字組織を作りました。赤十字誕生の初期、デュナンの母国であるスイスに敬意を表すため、白背景に赤い十字のマークを使いましたが(スイス国旗は赤い背景に白い十字)、十字というのは宗教感が強すぎて、当時のトルコ人は嫌がって拒否し、白い背景に赤い新月のマークを使いました。
トルコのこの行為は国際公約に違反していました、みんな決めたものを勝手に変えたから、しかし、当時は第十次露土戦争中のため救命優先で国際赤十字は妥協しました。しかし、この妥協はさらに問題が起き、イランから新月はスンニ派が使うものであり、我々シーア派はペルシアライオンを使いますと、この髭ライオンのマークは1979年イラン革命までずっと使われていました。その後また新月マークに変えました。
さらに、イスラエル人も異議を申立て、十字にせよ、新月にせよどれも嫌いだと、我が国はダビデの赤盾を使うと。最初は赤十字に拒否されました、お前らマークを変えたいと言ったらすぐ変えられると思うなよと、これ以上甘やかすと明日オーストラリアも赤いコアラに使いたいと言い出すだろうと怒りました。
しかし、イスラエルの要求も一理あります、キリスト教とイスラム教との恨みが根深いため、もし本当に戦場でユダヤ人の負傷兵は赤十字旗あるいは赤新月旗が自分に向かってきたら、自分の命助けるかそれとも命を取るかは本当に分からないかもしれません。
以後、赤十字は新しい赤い水晶マークを作り、宗教感強い十字も新月も使わなくてもいいようになりました。
ちなみに、白い背景に赤い十字のマークは国際法により赤十字しか使えないので、病院のマークは白いもしくは黒色十字となっています。一方欧米の病院マークは蛇と杖(スターオブライフ)になっています、これは古代ギリシャ神話の医学神アスクレピオスがいつもヘビが巻きついた杖を持っていたことから医学の象徴となっています。
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