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シン・レッド・ライン〜戦場記者の物語

この数日何名の戦場記者やカメラマンが犠牲となり非常に心痛みます。戦場記者は世界最も危険な職業であり、戦闘が最も激しい前線に出向き、素早く後方に状況を伝えなければいけません。全ての戦場記者は間違えなく本物の勇者です。

今日は戦場記者の物語を話します。

1854年、イギリス軍はクリミア戦争に参戦しました。「タイムズ」は記者を軍隊と一緒に行動する新しい試みをしました。そこで巨額のお金を使って有名なウィリアム・ハワード・ラッセルという記者を説得しました。

ウィリアム・ハワード・ラッセル

イギリス軍はクリミア上陸1ヶ月後、ラッセルの記事が新聞に載りました。国民は天下無敵のイギリス軍はきっと勝利が続いていただろうと思いきや、新聞に載っていたのは戦争環境の厳しい現実でした。

前線兵士は人として扱われていないし、配給の無作為で無数の野菜が倉庫で腐り、一方前線の兵士は硬いピスケットと塩っぱい牛肉干しか食べられない、状況は牢屋にいる囚人より酷い。兵士達もこれで敗血病にかかったが、ちゃんとした病院もないので我慢するしかできない。

クリミア戦争イギリス軍の死者は約2万人、しかし本当に戦死したのはわずか2千人であり、残りは全て病死。

もちろん軍隊の生活だけを報道したわけではありません、ラッセルは有名なバラクラヴァの戦いを目撃しました。

スコットランド93歩兵連隊の500名兵士は大量なコサック騎兵と出逢い、本来この状況なら自分を守るためにすぐ方陣を作るべき、即ち敵に向けて2重の四方形に囲み、2重の外側列しゃがんだ姿勢で敵を向けて銃剣を持ち、内側列は立ち姿で銃を構える。これは歩兵対騎兵最も有効な方法です、騎兵はこの陣形に対しほぼ解がありません

ワーテルローの戦いのネイ元帥は5000名以上のフランス騎兵を率いてイギリスの方陣に突撃したが効果がない上被害甚大。

しかし、今回の93歩兵連隊の兵士達は後ろのイギリス基地を守るために、無敵な方陣を取らず、2列の横隊を組みコサック騎兵を防げようとしました。この横隊列で騎兵と対峙するのは最も危険な行為にもかかわらず、戦闘は昼から夜まで続いて、後ろの基地は全く傷がありません。現場にいたラッセルは我々をコサック騎兵から守ってくれたのは細く赤いライン「シン・レッド・ライン」だけです(イギリスの軍服は赤色)。

バラクラヴァの戦い

これからイギリス軍人の精神を象徴するようにシン・レッド・ライン(The Thin Red Line)が使われるようになりました。これまでのイギリス社会は軍人に対する評判が非常に悪かった、しかし、この報道が出てから軍人に対する同情と尊敬が増え、やがて軍人は社会の不安定要素からエリートとなり、お嬢さん達も軍人のボーイフレンドがいる事で誇りと思うようになりました。

同じくナイチンゲールという貴婦人はラッセルの記事に感銘を受け、シスターや看護婦を率いて前線に出向き負傷兵を看病することに決意、その働きぶりから「クリミヤの天使」と呼ばれ、看護婦を白衣の天使と呼ぶ由来でもあります。

現代社会確かに誰でもいつでも情報を伝えることができます、しかし、断片的なものが多く、もっと信憑性の高い情報は依然として戦場記者の前線報道が必要です。これは危険且つ勇敢な職業であり、永遠に存在する価値のある職業です。

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