イギリスは衰退したでしょうか?
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イギリスときたら、昔の太陽の沈まない帝国、安保理常任理事国、ウェストミンスター寺院等。
今日は少し衰退したように感じますが、ロンドンを見れば昔は強かったことがすぐわかります。中国都市のような「新しいお金持ち」と明らかに違います。
しかし、イギリス有名な車ブランド:ジャガー、ロールスロイス、ランドローバーなど、ほとんど海外に売却しました。今の主要産業はハイテク金融とエンタメ産業となっています。
イギリスは1980年代から産業転換を始まり、当時すでに英語産業の収入は鉄鋼業より多く、ロックミュージックは農業より強かったです。
よく考えれば、イギリスはアメリカ、中国のような大国と違ってなんでもやれるわけではありません。今のイギリスはわずか6000万人しかいない、全ての業界に参入して競争することができない、必ず分野を絞らなければいけません。結果、産業がうまく転換できて先端業種も多くしかもレベルが高い。
もちろん、イギリスは問題がないわけではありません。しかし、大きな歴史の流れの中に依然強い転換能力を持っていること自体がすごいところです。国の産業転換はそんなに何回も試行錯誤できるものではないので、これはイギリスの強みでもあります。
歴史から見れば、イギリスの躍進は大航海時代に戻ります、しかし、当時のイギリスは先駆者ではありません、昔の強国であるスペイン、オランダを破り、やっと太陽の沈まない帝国を築きました。3000万平方キロ以上の植民地を持ち、18、19世紀の世界覇者となりました。
この偉業を成し遂げられた前提条件は17世紀に起きた市民革命です。1640年より前に、イギリスを含む全世界の国はほとんど王権あるいは宗教権威の統治下にあります。イギリスは最初に資本家階級(市民階級)を権力の中心に入れた国です。
資本家の望みは利益であり、権力を握ってから国の政策はいかに金儲けの道へ修正しました。これで王権あるいは教権統治の国と根本的な違いが発生しました。イギリスは少しずつマネーマシンへ変化し、そして金儲けということは人類の潜在的能力を最も刺激できることです。自然に当時のイギリスは世界中最も活気に溢れた国となり、世界の覇者となりました。
そのため、市民革命はイギリスそして他の国にとっても非常に重要な意味を持ちます。ではこの革命はどうやって完成したのでしょうか?中にはどんな物語があるでしょうか?
さらにイギリスの四大政治発明:議会制、責任内閣制、立憲君主制、両党制。本日まで使われて、多くの国に採用され発展させました。イギリスは現代政治の起源地とも言えます。その源も市民革命に戻ります。
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