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忘れられない言葉

小春日和。
運動会の徒競走、わたしの苦手な種目だ。
順番が回ってきて、スタートラインに並ぶ。
観覧席からお兄ちゃんの「大丈夫!大丈夫!」「大丈夫だよ〜!」「大丈夫だって!」「大丈夫だから〜、心配するなって!」というエールが聞こえる。
わたしのたった一人の応援団。
この日のために買ってくれた運動靴に願いを込める。

忘れられない言葉_アートボード 1

運動会の数ヶ月前のこと。

お腹が空いてイライラしていたわたしは、お兄ちゃんに「運動靴がないと徒競走には出られない!」と駄々をこねてしまった。
お兄ちゃんは、「世界の平和を願う俳句コンクール」の賞金で、この運動靴を買ってくれた。時間のある限り、俳句を応募し続けてくれたお兄ちゃん、ありがとう。

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あの頃は、一生懸命応援してくれたけど、いまのお兄ちゃんは、しぼんだ風船のように小さくなってしまって、妹のこっちが心配になるくらい元気がなくなってしまった。

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あれから10年と6ヵ月。
わたしは世界から注目されるアーティストになった。毎日の創作活動のかたわら、インタビューや個展、新しい画材の開発とかボランティア活動のミーティングで忙しくしている。

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お兄ちゃんとの一ヶ月に一回の約束事。
わたしは、この街からバスで1時間半くらいのところにある「とある保護施設」を訪れることになっている。そこに小さくなったお兄ちゃんが働いている。
その保護施設の工場では、傷が付いていないりんごを見つけて、そのりんごに保護フィルムを被せるだけの仕事をしている。

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面会室のガラス越しのお兄ちゃんの無理した笑顔。
あのとき、頭のなかが「爆発」して、わたしのことも過去のことも、すべての記憶をなくしてしまったんだよね。

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あの事件は、3年前のこと。
あの日、家に帰ると母親にそっくりな人が、わが家のキッチンにいた。

母親にそっくりな人の心ない言葉が、お兄ちゃんを深く傷付けた。

本当の母親に唯一買ってもらった当時大流行した「言葉をしゃべる犬のおもちゃ」を、お兄ちゃんは何年経っても大切にしていた。
そのおもちゃを「時代遅れの、くだらないゴミだ」と母親そっくりな人に馬鹿にされた。
お兄ちゃんは、やり場のない怒りに感情がショートし、頭から「ポンッ!」という音がしたかと思ったら、モクモクと煙を吹き出した。

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そのときから、お兄ちゃんの目は節穴になって、体はしぼんだ風船のようになり、強い風が吹けば飛ばされてしまう、魂の抜けたハリボテのようになってしまった。

この症状は、「雲の上の人病」という病名が付いていて、専用の保護施設に収容される。

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保護施設に入る直前まで口ぐせのように言っていたセリフがある。

「お兄ちゃんは、もうすぐ消えてしまうような気がする。お前のことも全部忘れてしまうかもしれない。それでも、絶対一人にはしない。」

そう、お兄ちゃんの最後のセリフは、「お前を絶対一人にはしない。」

お兄ちゃんが世界最年少で宇宙人飛行士になったときのスマホの写真を見ながら思ったことがある。

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人には「絶対に触れてはいけない」ことがあるということ。
人は、そんなに完璧な生き物じゃない。
多くの人は言葉でごまかして、うまくやっているようだけど、たった一人だと矛盾だらけの不完全な生き物だ。

不完全な存在同士がお互いを補完するように心を交わし、小さな幸せを積み重ねる。
そこには、きっと矛盾はない。

そして、
大切な人の何気ない日常の一言が、心の支えになっている。

「お前すごいなぁ、そっくりだなぁ、このカブトムシ。」
「お前絵うまいなぁ、画家になれよ。」
大人になっても、お兄ちゃんが褒めてくれた言葉を忘れられずにいる。

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