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「たわわなるたわごと日和」3

 リュックをロッカーに預けてから受け付けの列に並ぶ。順番が来て三人が整列すると、受付の青年はそれぞれの顔をさっと見回してから開口一番、
 「サボり?」
 と言った。果実は青年の碧い瞳を、薔薇は黄色、橙、黄色、橙、という具合でマニキュアが塗られた爪を、猫はあさっての方向を見ながら、三人揃ってコクンと頷く。
 「ふ~ん」
 青年が差し出した手のひらの上に、それぞれのポケットの中で同じくらいにくしゃくしゃになったチケットを取り出し重ねる。青年はチケットを切って三人に返すと、
 「ごゆっくりどうぞ」
 と言って、丁寧に頭を下げた。

   『それでは、ごあいさつ代わりに、題名の無いたわごとポエムをひとつ』

 鬼才トラウム氏の展覧会は、通路の入り口にそんなたわごとが貼ってあった。画伯作のポエムはこんな具合だ。

『おお!
知恵の実がぷりんと反転すると
まるで太陽のようだ!!!

生きることが飛翔ならば 
羽ばたくことが創造となる

すべての瞬間の中に
唯一無二性を見出すとき
鳥はたまごであると気づくだろう
波打つ
展開のヴィジョン
一つにとける

おお!
た・ま・ご!!!
なんとロマンティック……』

 果実はあっというまに黙読し、猫はいくつかの箇所を読み直しながら黙読し、薔薇はぼそぼそと声に出してポエムを読み上げた。
 「へー」
 最後に読み終わった猫がそう言いながら、背骨をのばすように細い手をズボンのポケットに入れると、待っていましたとばかり、果実と薔薇は猫の両腕に右と左から腕をからめる。三人は横一列に並んで奥へと進む。
 そこには二十センチ四方の小さな絵が、五百点あまりあった。三人の傍で絵画を凝視していた、メガネ、チェックのシャツ、色あせた黄色いズボンといった出で立ちの青年が、まるで汗を拭うように髪を掻きあげながら、
 「狂ってるよ」
 と、ぽろっと呟いた。それでも青年は、礼儀正しく真剣に一枚ずつ鑑賞している。
 大学生風の若者が数人いるものの、さっと見回す限り平均年齢が高そうだった。非常にゆっくりとしか歩けない草食動物が列をなしのろのろ移動をしている、という印象だ。
 それはさておき、今回の展覧会には、一枚だけサイズの違うキャンバスに描かれた作品があった。二人の少女と一人の少年が描かれた大きな絵で、これこそ三人がモデルを務めた作品である。題名は『嘴にパンセ』。
 その絵は、全体的にくすんだ暗い色で描かれている。しかし、もちろんトラウム氏の作品らしく、良く見れば全体にカラフルなパステルカラーが光の雨のように隠れていた。
 少年少女たちが居る場所は、深い森の中らしい。木陰に倒れ込むように集う三人は、お揃いの白いシャツと白いズボン姿。はだしの足は、泥で汚れていても植物のように清潔そうに見える。口にくわえたバラの花はまるで口枷のようであり、少女たちは手足を縛られているかのように身体をこわばらせ、窮屈そうにくっつき合っている。彼らは揃って、じっとこちらに視線を向けていた。
 そのキャンバスの前に立った誰もが、身体を折り曲げてその絵をのぞき込まないではいられない。その理由は、彼らの瞳。まるで鏡が嵌めこまれているように見えるのだ。さりげない眼差しだった。目に見えない部分で、あくまでも控えめに、世界のすべてを観ているような。
 最後の作品の前で、猫が目を細めながら腕時計を見た。それを合図にして、規則正しく並んでいた惑星が不意に気を変えたように、三人はちりじりになって展示室を後にした。果実はバレリーナみたいに派手に腕を伸ばし、薔薇は両手で髪をぼさぼさにし、猫は大あくびしながら。あるいは、混沌、と言う名の前衛芸術を三人で披露していたのかもしれないけれど。
 美術館の隣には、美術館より少し背の低いキューブ型のミント色の建物がある。カフェ【ミツバチと銀の雨】だ。三人はぷらぷらとそちらに向かった。
 ひよこ豆のコロッケ、セロリとポテトのマスタードサラダ、焼きアスパラガス、アボカドとナッツのディップ、それから籠に山盛りのガーリックトーストを頼み、三人で分ける。飲み物は三人ともソーダ水だ。
 よほど寒い日でない限り、このカフェではほとんどの人がソーダ水を頼む。ソーダ水に入っている氷は歯触りが優しく、角と曲線が絶妙な心地良い具合で織りなすキャンディのような楕円形をしていた。口の中で溶かして良し、噛んで良し、もちろん、自然に溶けてソーダ水と混ざっていくのを楽しんで良しの、すばらしい氷なのだ。
 猫はブルーベリーシロップのソーダ水にはちみつレモン氷の組み合わせを、薔薇はヨーグルトシロップのソーダ水にラズベリー氷、果実はシーソルトシロップのソーダ水にバニラミントの氷の組み合わせを頼んだ。
 食事を片づけてしまうと、それから二時間ほど勉強の真似事がはじまる。漫画を読んだり雑誌を捲る合間に、時々方程式を解いたりして。
 目が疲れたから、という理由で薔薇が一番に勉強を放棄した。ひらひらのミント色エプロンをつけたウエイトレスを呼びとめメニューを受け取ると、真剣な面持ちで吟味をはじめる。猫も教科書から顔を上げ横からメニューを覗きこんで、
 「これは?」
 「こっちがいいんじゃない?」
 なんて二人でひそひそ話す。審議の結果、薔薇はメロンとピーチのパルフェを注文した。
 「うーん」
 猫はそう言ってもう一度メニューを見てから、コンコンっと机をペンで軽快に鳴らし、
 「僕も同じものを」
 と言って、ウエイトレスに微笑みかけた。
 「ハイ。分かりました」
 少年の可愛い微笑に、ウエイトレスも愛想盛り目の笑顔で返す。
 果実は方程式を解いていた手を止め、
 「このお二人さんときたら!」
 とばかりに二人の顔を見てため息を付く。猫はあっさりと首をすくめ、薔薇はちろと舌を出してのろのろと首をすくめた。
 「以上で?」
 ウエイトレスが三人の顔を丁寧に見回すと、赤毛のカーリーヘアーが空を切る。
 「同じの下さい」
 果実が滑り込むように早口で言った。
 「かしこまりました」
 ウエイトレスは、カーリーヘアーをピンと跳ね上がらせながら、にっこりと果実に笑いかける。
 「お願いします」
 三人は声をそろえてそう言うと、あっという間に勉強道具をリュックにしまい込んだ。
 本日のメインイベントといった様子で熱心にパフェを食べている時、猫がスプーンを咥えたまま、
 「んん」
 と言って二人に合図を送った。彼の目線の先には、黒い雲に覆われた空があった。
 五分も経たぬ内に雨が降り出す。にわか雨をぼんやりと眺めながら、三人は追加注文したエスプレッソダブルを無言でのんびりと飲むのだった。

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