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新海誠『君の名は。』聖地巡礼ザ・ドキュメント ~35歳独身男性が、泣きながらあの子を探して夜の東京を走りぬけた軌跡~

※おことわり 微量のネタバレ要素を含むので、作品ご鑑賞後を推奨します。ストーリーには踏み込みません、図版は後半が多めだぞ!

えらいことになった。数日前のことである。文芸仲間であり読書狂の35歳コンビ、純と実。こいつら2人が新海誠の最新長編『君の名は。』を観終わったところで、封切り初回を鼻高々に鑑賞済みのわたしと合流していざアニメ夜話……のはずだった。

22時の地下鉄をゆく。ちょうど居酒屋まであと2分で着くところだった。LINEが鳴った。純だ。なんだ、拾った団子でも食べたのか。

「三葉(みつは)に会いに行くぞ」

「どんじゃか中止」

ここでもちろん説明させていただくのだが、どんじゃかとは正式名称「吞者家」と書く、文化人や業界人、そしてワナビー様たち御用達の、安くてたのしい居酒屋さんであり、つまりは愉快な大人のテーマパークなのである。だから、そんなつもりで道を急いだ。けれども直近のLINEがすべてを変えた。なぜなら、想像できたのだ。

終映後の劇場から、大の男ふたりが血相抱えて転がり出てきて「居酒屋は、中止」。ヒロインの生きたあの場所を、探しに行く――。

野暮なまぜっかえしは要らなかった。「このまま乗り換える、たぶん先に着く」とだけ返事を打った。待ち合わせは四谷三丁目駅の地上、夜22時半。iPodを手に、ごうごうとトラックが駆け抜けていく新宿通りのガードレールに腰かけた。

数分後。まばらな通行人がいっせいに一方向を振り返った。険しい顔がいくつも見えた。嫌な予感からイヤホンを外し、反射的に左を向いた。

純「●×▼~~~!!!」

予感的中。地下鉄の入口すぐの交差点。両腕をぴーんと張って、地面にキスする勢いで身体をへし折りなにかを叫んでいた純と、腹を抱えて爆笑している実がいた。通行人たちは見ないふりでさっさと消えた。ごめんなさいごめんなさい、と思った。

【参考】純のアー写。こういう仕事の男だが、台無しである

イヤホンを挿していたせいで、何を言っていたのか分からず、困り果てた。笑いころげる実をよそに、純は愕然とした顔をしてこちらを見た。

「まさか……聴いてなかったの?」

脱力された。実に訊いても教えてもらえない。ヘソを曲げた純はむくれ終わると、横を見ながらつぶやいた。

「三葉ーーーーーー!!!!!! って、絶叫したのに」

わたしは腰を抜かし、一瞬あとに爆笑した。すると純はすごく小さな声になって、「イヤホンしてたから聴いてなかった? 信じらんない。……でも、それが運命ってもんなんだな」とまなじりを歪めた。超クール。


さて、三葉というのは、新海誠の新作長編『君の名は。』のヒロインの名前だ。その子の名前を主人公の瀧くんが叫ぶのは、作品において、最も重要なシークエンスだった。いやしかし、まさか、四谷三丁目という大人の町で、35歳という中年間近に前置きなしでトレスされるというのはいかがなものか。

当然まったく引きずる純ではなかった。映像ソフトと関連書籍のみならず、どこから見つけてきたのそれという雑誌に至るまで網羅するのも「道」と任じ、お気に入りのセリフをいつでも顔芸付きで再生できるほど、監督・新海誠に心酔する彼だ。これまでやったことがなかったという「聖地巡礼」をついに実現できるのだから、感極まるのも無理はなかった。

とはいえダウンタウンの大通りをでかい男にぴょんぴょん跳ねまわられると、身柄を押さえつけるのにもひと苦労である。実が得意のイルカの追い込み漁方式でなんとか捕縛して、目指すロケ地についてのブリーフィングを行った。


聞くところによると、純の記憶に残る風景が、作中もっとも印象的な舞台となる、とある坂道と合致しているのだという。指摘の通り、美術(アニメの背景)には、その坂のてっぺんに構える神社ののぼりが立っていた。

【参考】キービジュアル。この坂道を探すんだ!

「行くしかない」

ドラクエをこよなく愛する3人の冒険の旅が、スタートした。

純はのべつ喋りながら、ひと気のなくなってきた新宿通りの歩道のなかをむちゃくちゃに走り回った。いきなりパーティ断絶の危機である。わたしと実が「方角、逆」と水を差すと、頭をかいて、乱雑にグーグルマップをスワイプした。落ち着いてくれ。

ようやく方角を得心した純は、あとは土地勘だけに頼るのだろう、スマホをしまい、住宅街に分け入った。最初から気付いていたけれど、すでに彼らは大量の焼酎を流し込んだ後だった。

「ばかめ」

「あんな凄いもの観せられて、飲まずにいられるか」

べらんめえ口調に当てられたわたしは、実の差し出してくれた缶チューハイを煽りながら後をつけた。もうそこは住宅街だったから、彼らがきちんと潜めた声に切り替えていたことに感心した。これでも子どもではなかったのだ。

しかも、純と実は遠景近景をおのれの言葉で描写して、彼我を比較して、捕捉しつづけていたのだ。まったくもって、酔っ払いの散歩ではなかった。口はばったいが、言ってしまえば、ルポルタージュそのものだった。

ようやくわたしにも、自分の役割がはっきり見えた。「撮るしかない」

遅すぎる決意だったけれど、その後はiPhoneのインカメラを常時起動にして、純と実と、地図をなぞらない風景を追った。

「行こう! 多分あっちだ!」「OK相棒!『多分』はよせ!」

べろべろに酔いながら、純の動きと喋りは、カメラのために割り振られた。止まる、喋る、予備動作をつけて振り返る。それはあらかじめ身体に織り込まれてきた所作なのだと理解した。

車が通るのも精一杯な道のりだった。二度ほど袋小路に突入し、住民がたに訝しがられ、そのたび心から陳謝し、声を殺して爆笑しながら、野良猫のように気ままな足どりを追走した。

「見ろよ実!」「井戸だな」「こいつ……湧いてやがるぜ!」

最初に辿りついた坂道は、映画の階段にちょっと似ていて、けれどもやっぱり違っていた。中央部の手すりの有無、幅の広さ、斜度、そして決め手は「景色」だった。

「ここにこう……うまい具合の手すりが欲しいんだよね」

わたしたちはすぐに手放し、次に移った。時間はそれほどないのだと、口に出さずともそんな気持ちになっていた。

30分ほどくねくねと歩いた。予感があった。

角を曲がり、純が顔を覆った。

まずは路地の先に神社の低い壁が見えた。次に、神社の角から斜めに降りる階段が見えた。そして、大事な、赤い手すりが見えた。間違いがなかった。

純は、おもしろ拳法の達人のように走り出した。

わたしたちは、ロケ地に着いてしまった。

それが確実に視界に入った瞬間、純と実の喜びが、音を消して爆発した。「三葉に会える」「三葉、みつは!」と声に出していた。画面を切り替え、動画におさめた。顔を見合わせ、道ばたにそうっとチューハイを置いてから神社に入り、息を整え、静かに長く、お詣りをした。それからロケ地の坂上に立ちなおし、かわるがわるシャッターを切った。

『君の名は。』における坂のシークエンスとは。階段の上下でお互いの存在に気付いた二人だが、その再会に自信を持てず、すれ違って数歩してから振り向きあい、そして反応する……、というものだった。もちろん再現することになった。純は「野郎相手じゃ気持ちが入らない」と贅沢を言い、わたしを三葉役に指名して、同場面をトレスした。

どちらかといえば性別・女のわたしではあるものの、現実を補遺するのなら「神宮帰りでカープTシャツに短パン姿の三葉(※ ヘーゲンズ投手に勝ちがついて、ご愛顧感謝のマジック4。広島優勝!)」。スタメン全員の応援歌がそらで歌えてバットも当然打ち鳴らせる、そんな三葉は、誰も要らない。新海ファンならずとも噴飯ものの、ボーイ・ミーツ・ガールがここに誕生した。

恥ずかしがったらそこで試合終了なんだよ!

それから坂上に戻ると、当然の顔でカメラを待たれていたので、ポートレートをいくつか撮った。時刻は23時をまわるころだった。静かな住宅街の神社周りだったから、気配りを徹底する実がすでに落ちていた地面のゴミを拾い集めた。3人で、巡礼者が多くてごめんなさい、と眠りに沈んだ家々に向かって小さく謝り、そして純の行きつけという中華屋に徒歩で向かった。

全国17人ぐらいの純くんファンにおすそ分けだ!

3時前までお代わりしながら話し続けた。新海誠その人について語り、『君の名は。』についてのおびただしい、細かい意見交換を重ねた。わたしと純の切り口にはどうしてもおのおのの職業病が出てしまった。そのたびに純は「ほら幸さん業界人出ちゃうやつ~」と、自分のことを棚に上げてけなしてきた。わたしの内なる「べらんめえ」が火を噴いた。シェイクスピアを引き合いに出し、こまごまと論を固めて黙らせた。勝ちたいときには一番デカい人の威を借りるまで。ヤンキーイズムがまたここに出た。

「お前は誰だ?」

ビールがハイボールに変わった。純は罫線なしのノートを取り出して、コンテを切り、ポイントを箇条書きにしながら話し続けた。不自然に握りしめていた掌を開かせると、中には銀河系最強の文言がマジックで書きこまれていた。それもまた、劇中の大きな大きな演出のひとつなのだった。

飲みの最後はわたしと純がマウントを取り合い、お互いを譲らなかった。

丁寧で、批評的に正しい(ように思える)言葉を使うとき、わたしと純はわざと小学男児みたいな罵詈雑言を挟み込む。ばーか、うんこ、とけなしあう。「話には聞いていたけども……」と初めて現場を目撃したばかりの実は、ドン引きしながら目をこすった。「この人いつもそうなのよ。勝ち負け取りたがるから困るのよ」とわたしを不躾に指さしながら、純は少し嬉しそうだった。けれども速すぎる話の展開が子守唄になったのか、実はすでに、ネジが切れたように眠っていた。

早口で丁寧な言葉に、汚い罵りを挟むのは、おそらくそれぞれのシャイさゆえだった。分かっているから、阿吽でやった。

ここ半年の総決算だ、と心から思った。

そうなのだ。純は日を置かず、仕事の都合で出国する。それきり音信不通のようになるだろう。だからお腹いっぱいになるまで皮肉を言い合い、削り合い、それぞれの持てる視点と気付きの差をおもしろがった。とある劇評について、純から「優等生だね」と応答されたことにムキになると、「ほら、この話題、ここから幸さん長いから」と先を読まれ、ちらりと窺われたうえ舌まで出された。

いつの間にか起きあがっていた実が「眠い。電車は?」と質問をしてきた。瞬発的に「愚かものめ」「都会のタクシーを舐めるな」と、二人で尖った声を揃えてしまった。そんなこんなで夜が閉じた。

会計を済ませて店の前で初めて三人の写真を撮り、宣言通りタクシーに乗った。純はタクシー代を払わずに陽気に降りて、すたすたと帰っていった。「あいつの財布は壊れてるんだよ」と実が笑った。

半年以上。これで会わない。出国寸前の夜になって、野郎同士でレイトショーを観て、号泣しながら劇場を飛び出して、酒を煽って、町を走って、まだ見ぬヒロインの名前を叫ぶ男がいた。それが2016年東京の初秋に本当に起きた出来事であって、35歳独身男性の、フィクションをなぞる感傷なのだという事実が、重くて軽くて、つまりは最高なのだった。

板についた「あばよ」感。タクシー代を踏み倒しながら、この表情である。

ちなみに実もother side story(なぜか横文字だが特に含意はない)を執筆した。全国9人の純くんファンは、あわせて読んでいただきたい。

香港映画のエンドロール的なおまけ。「どうしてCPは純と幸だけなのか?」と疑問の向きにあえて強弁したいと思う。「実と幸」バージョンがこれまで以上に残念な没テイクしか生み出さなかったことを、ここに付記しておきたいのである。どうだろう。ご納得いただけただろうか。

to be continued....(ものすごく先のおはなし)

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