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あなたの人生「そこに愛はあるんか?」

※ワードプレスからの引っ越し記事です。2023年3月9日更新。一部改訂。

いつもお読みいただき、ありがとうございます🙏✨
記事タイトルにちょっと古いネタを持ち出したタカミチです。

このnoteのテーマのひとつに“正しく生きる”があります。
あわよくばみなさんと、楽しく多くの悟りを開き、真理に辿り着いて覚醒したい、、そんなnoteです(どんなnoteだ)。

堅苦しくなりがちなテーマだからこそ、極力肩の力を抜いてユーモアを大事にしていきたいと思います。
「日月神示」を読む限り、神様も相当にダジャレが大好きですしね。
愛と感謝、そしてユーモアが神様を動かします。(たぶん)

“正しく生きる”と言っても、答えはありません。
どんな生き方でもいいのです。

そこに愛があれば。

「そこに愛はあるんか?」ということです(ドヤ顔で言わなくていい)

では、愛とはなんなのか。
今回の記事では、悟りを開くために必要な愛について深掘りしてみたいと思います。


愛とは、平たく言えば「対象が喜ぶコト」だ

対象が喜ぶコト」としての愛は、前提条件として“道徳的”である必要があります。
“非道徳的”でも「対象が喜ぶコト」はあるのに、なぜ愛に含まれないのか。

全ての始まりの根源神は、ただただ愛そのものの存在と言われますが、善も悪も愛の現れなので、「悪だから愛ではない」というのは道理に反してしまいます。

それでも「”非道徳的”な対象が喜ぶコト」ではいけない理由、それは“永続性がない”、”ソレ単体では光を浴び得ない”からだと考えています。

“非道徳的”であれば愛の中に偽と憎を含むため、破滅の因子を持つ属性だと言えます。
例え栄華が100年、1000年続いたとしても、悪は必ず潰えて永続しないことは歴史が証明しています。

根源神という永遠の真のみの愛の前では、それを引き立てるだけの儚い存在だと感じます。

人の邪念や欲望を集める役割を持つ月(陰)は、愛を育む太陽(陽)の光がなければ輝くことはできません。
どこまでも悪 (陰) は善(陽)の存在なくしては、スポットライトを浴びることがないのです。

月が悪だというわけではなく、月読尊(=素戔嗚尊)は高天原で全ての罪をかぶって黄泉の国に自ら降ったように、月には人類の罪を引き受ける役目があると言われています。

だから誰しもの心には、天照太御神のような、生命に喜びを与え育む”道徳的”な愛が必要になるわけですが、これを推しはかる方法はあるのでしょうか?

良心が許すかどうかの判断基準の尺度

僕は良心(内在神)が許すかどうかの判断基準として、次の尺度が参考になると思っています。

「純真無垢で自我の無い赤子・幼児に、ソレを教えたいと思うか」

つまり、これは「神様にソレを教えたいか?」と言っているのに同義だと感じます。

  • 学校、仕事をサボって遊ぶ事を教えたいか

  • 同級生をいじめる事を教えたいか

  • 自堕落に過ごす事を教えたいか

  • 性欲のままに生きる事を教えたいか

  • 両親を顧みない事を教えたいか

など、上記は明らかに良くない事ですが、その他善悪の判断がつきかねているソレを、純真無垢な存在に教えたいか?という事に照らしてみると、答えは明らかになるでしょう。

しかし、いきなり日常生活の細部の悪癖も全て厳しく監視対象にするとストレスが溜まると思いますので、少し負荷をかける程度から気軽に始めた方が良いと思います。

神様と歩む人生の旅は、基本的にどんな生き方でもいいのです。

  1. 平凡に平穏に生きる

  2. スポーツや音楽などを愛して生きる

  3. 社長として大きな社会貢献をして生きる

  4. 政治家として世を良くするために生きる

  5. 夜の街で艶やかに生きる

  6. コレクターやアイドルオタクとして生きる

  7. 格闘家として強くなることを目指して生きる

  8. Youtuberとして楽しくお金持ちを目指して生きる

とにかく何でもいいのです。

ただ、「そこに他に対する正しい愛はあるんか?」という事です。(2度はいいから)

これを示す例として、5番の夜の街で生きても、神様・ご先祖様に感謝し、自分の利益と同等以上に他のために生きることが出来るなら、神様と共に歩む事は出来るでしょう。
ただ、人の欲望が渦巻く環境で、それを実現するのは極めて困難ではあります。

多くの場合は、神様を意識し始めた時点で、そうした環境からは自然と離れますので、夜の街に居ながら我欲から離れ、他のために生きる事が出来る人は傑物でしょう。

普通は、あらゆる欲望への執着が無くなって行きますので、1番の”平穏”の中で無理なく我欲から離れることを目指すと感じます。

聖者、ラマナ・マハルシも社会を離れてシヴァ神(スサノオ)に神縁のある山に籠り、ひたすら「私は誰か?」と自問し続ける中で覚醒しました。(これは極めて極端なケースですが)

まぁ、どの環境を選ぶかは個人の性格・魂の縁にもよるのでしょう。

ちなみに、僕は20代の終わり頃に1カ月間だけ夜の街で働いた事があります笑。
社会勉強と称して潜入していましたが、夜の街の人々を知る良い経験になりました。

今回の話で何が言いたいのかというと、要は人生とは、愛を意識した上でのバランスの問題だと言うことです。

どの環境でも、どんな性格でも、他のために愛情を注ぐ事が出来る人は、神様から愛されるだろうと思います。

あなたも、神様に愛されるための独行の道を歩んで行ってくださいね!

あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
お読みいただき、ありがとうございます😊

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