毒親の記憶 人暮らしの最安値

今回も毒親関連の話しです。

家は休む場所ですが休めない場合は何よりも早く出ていきたい。
そう思う。私はそうだった。

高校3年生


高校時代は必死にバイトして学費を払いながら免許代を貯めていました。
調理師免許を取ったら埼玉から離れた場所で働いて自分の生活がしたい。
本屋で漫画を衝動買いしたり、コンビニやファミレスに行ってみたい。

そう思ってた。

自分のバイト代で学費を払っているからなのか、どんなに眠くても授業中は全然眠くならない。1時間でも寝たらお金無駄にしてることだから。

数学や調理化学の授業はホントに面白かった。
友達は居ないし、一部の教師からは目の敵にされてきたけど、勉強は好きだった。

高校3年生になって、ずっと就職希望だったのに進学したくなった。
もっと勉強したくなった。

3年間料理しかしてない。
Σは使えないけれど、薪オーブンなら
英語の長文は読めないけれど、フランス語のレシピは読めます。
3次関数分かりません、食塩濃度と浸透圧なら計算できます。
化学は調理化学しか分かりません。

料理漬け

丸々1本のカツオを3枚卸にする事はできる。

大学ではなく専門学校に行くことにしました。

脱出作戦


普通の人にとっては、進学か就職か
だけど私にとっては、地獄か脱獄か

一人暮らしにはお金がかかる。

初期費用も高いし。

何よりも保証人がいない。
*保証会社があるので問題なかった。

寮のある所で働けばいいんじゃないか!
18歳になってすぐキャバクラのボーイの面接に行きました。
給料から寮費天引きされるだけで寮に住めます。
春からのバイト先と家を両方確保できました。
奨学金を借りて専門学校に行きました。

脱出成功


仕事は週5準夜勤でキツイ。
専門学校も授業をフルで取ったから9時から18時20分までビッシリ講義で辛い。
でも実家に帰らなくても良いなら頑張れる。

目的や期間、目標金額が決まっているなら良い職場だった。

少しだけお金に余裕が出来たら0.5畳のトランクルームを借りて、本を集めるようになりました。


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