手塚治虫死去の追悼コメントからその偉大さを振り返る。
本日2月9日は手塚治虫先生が亡くなった日であります。
1989年死去ですから実に今からもう35年もの月日が経った訳であります。
マンガを読んでいれば必ず手塚治虫にぶつかる
漫画界最大級のレジェンド
「マンガの神様」と呼ばれた天才手塚治虫のことをどれだけの
日本人が知っているでしょうか。
現代の子供たちにおいてマンガを知らない子供たちはいません。
マンガが嫌いという子供もほぼ聞いたことがありません。
そんな子供たちを夢中にさせる日本マンガは
いまや世界で賞賛される文化にまで発展しました。
戦後焼け野原の日本から
短期間で世界最高峰の文化へとたどり着いた奇跡の文化、
それが日本マンガであります。
そんな未知の世界への扉をこじ開けた先駆者が
変態手塚治虫、その人であります。
漫画家だけに留まらないその才能は
時として作家として文化人としてクリエイターとして、そして革命家として
あらゆるジャンルにも精通し、他ジャンルの天才たちをも嫉妬させました。
ズバ抜けた素質、すべてを成立させてしまう強引なカリスマ性
本当にこの規模感で人間として存在していたのかと疑ってしまうほどの仕事量と功績はもはや奇跡とも言えるほどの圧倒的な個性を放っておりました。
そんなとても一言では語り尽くせない天才手塚治虫が亡くなった日の
廻りの反応は如何様なものだったのでしょうか…。
今回は手塚治虫死去に際し著名人たちが残した追悼コメントを参考に
その偉大なる功績と人物像を振り返ってみていきたいと思います。
参考にした資料は「一億人の手塚治虫」という書籍から抜粋しています。
まずは概要として、89年2月9日「読売新聞」の夕刊より
亡くなった当日の夕刊ですが、その早すぎる死を惜しむ報道が続々と公開されていきました…。
ボクもこの日のことは良く覚えていて、当日夕方のTVニュースで大々的に報じられているのを見て「ええっ!」って思わず叫んでしまいました。自分自身、ニュースを見ていて声が漏れたなんて経験は初めてだったので驚きと共に暫く放心状態になったことを思い出されます。
それでは著名人の追悼コメント見ていきましょう。まずは「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんの追悼コメント紹介します。
このように漫画家としてというより文化人として手塚治虫その人を捉えていたことが分かります。
そして当時の四五十歳代以下は漏れなく手塚文化の影響下にあると言わしめてしまうあたり如何にこの時代の手塚治虫という存在の偉大さを物語る一文ではないかと思います。
翌日ともなると新聞社各社が報道記事掲載
「半蔵門病院大騒ぎ」報知新聞89年2月10日
「悲痛な叫び」日刊スポーツ89年2月10日
と偉人の死を大々的に取り上げております。
その中で2月10日に公表された
藤子不二雄の両名をコメントをご紹介します。
とまだ心の整理がついておられないコメントを残しておられました。
続けて藤子Aこと安孫子素雄さん。
A先生も偉大なる恩人との思い出を振り返るコメントを残しておられます。
「まんが道」でも表現されるように、まさにお二人にとって
手塚治虫とは雲の上のような存在だった憧れであり、その人物の死に
まだ真実を受け止めきれないといった様子がうかがえます。
人生に影響を与えたという点においてこの当時「マンガ家」を目指そうとする若者を日本全土に増殖させた手塚治虫という存在感とカリスマ性は日本の歴史上でも最大級の輝きを放っていたといっても過言ではないでしょう。
続いて同じく2月10日の報知新聞より星新一さんのコメント。
これは、凄まじいコメントです。
報酬や勲章はともかく、「マンガ」なんてものは当時ひどく低俗な扱いを受けていた時代ですし「マンガ」なんて読んでいたら「アホ」になる!と平気で思われていた時代ですから、これを評価、賞賛するのは非常に難しい事と思います。その逆境において先の藤子先生もそうですけど、文化レベルの低い段階から多くの人々を魅了してきた手塚作品とは、相当なエネルギーがあったのだと思います。
その影響は漫画家だけに留まらずあらゆるジャンルの天才たちをも刺激しました。星新一さんとは小松左京さん、筒井康隆さんと並んで「SF御三家」と呼ばれるようになる日本を代表するSF作家であり
戦後の日本SF界の基礎を築きあげた偉大な人物として語られています。
その「SF御三家」の三名ともに手塚先生の影響下にあったと公言されているので手塚治虫の登場が日本の漫画業界のみならずSF業界の夜明けにも大きく関与しているのは明白の事実です。
そのインパクトを身をもって感じているので星さんは、如何にその存在が凄まじかったのかを評して「文化の価値を見極める力がない」と仰っていたのでしょう。素晴らしいコメントであります。
続いて立川談志さんのコメントを二連発いきましょう。
いいです。最高です。
両誌のコメントともに非常にシンプル且つ最大級の賛辞です。
談志さんと言えば生前から手塚先生の褒めちぎっており
辛口で有名な談志さんが唯一認める日本人が手塚治虫でありました。
もうこの一点だけでも如何に手塚先生の与えた影響力が巨大であったか分かるかと思います。
続いて、2月23日「SPA」掲載の横山光輝先生のコメント
今の若い方たちには横山光輝と言えば「三国志」などの歴史マンガの巨匠としての認識が一般的なのではないでしょうか。
今のような一目見て横山光輝タッチと分かるような画風になったのは途中からで初期の頃はモロに手塚先生の影響受けてます。
一目見て影響受けてると分かるくらいマルパクリの画風でした(笑)
でもこれは横山先生に限らず当時は本当に手塚タッチで溢れかえり右も左もマンガを描くなら手塚タッチとなるような凄まじい時期がありました。
これぞまさに手塚治虫の存在が漫画の源流である影響力を示した一例であると言えると思います。
続いては同日「SPA」より横尾忠則さんのコメント
こちらもジャンルを超えた影響を与えており「日本文化の大きな喪失」と評しております。
美術家であり画家であり作家でもある人物にジャンルの垣根を超えて影響を及ぼし得る才能ってどれほどの存在感であったか想像できますか?
少し考えてみても比類する人物が見当たりません…。
この辺りも、もはや凡人には理解できない通常の物差しでは計り知れないエネルギーを発していたことが伺えるコメントではないでしょうか。
続いて
89年2月24日アサヒグラフより加藤芳郎さん。
これもシンプルでいて強烈なコメントです。
加藤芳郎さんとは昔NHKで放送されていた「連想ゲーム」に出演されていた漫画家さんですけど、あまりご存じない方も多いのではないでしょうか。
実は手塚先生の葬儀の際に代表してあいさつされたのが馬場のぼるさんとこの加藤芳郎さんであります。
まさに同業者が語る変態伝説と共に手塚先生の業績を讃えるコメントを多数残しておられる人物であります。
続いて89年4月「月刊ASUKA」にて竹宮恵子さん
竹宮恵子さん、ご存じ漫画のみならず後の社会にも大きなインパクトを与えた女性漫画家「華の24年組」の一人で、その「華の24年組」の主要人物たちがこぞって手塚先生の影響下にありました。つまりは今の少女漫画の発展にも手塚治虫の存在が大きく関わっているということです。
その影響はコメントにもあるように、雑誌をつくり、アニメもつくり、漫画と言う新世界を育てたと言わしめるまさに少女漫画の発展だけに留まらず
現代のマンガエンタメの礎を築いた日本全国手塚治虫現象。
その比類なきインパクトを時代の最前線で感じていたコメントが竹宮恵子さんのコメントからは感じられます。
その他、女性漫画家さんのコメントも多数寄せられておりまして
萩尾望都先生、里中満智子先生、高橋留美子先生などこのネームバリューだけ見てもその存在価値がケタ違いであったか読み取れるかと思います。
その他、本当にたくさんの漫画家さんたちのコメントが連なっています。
石ノ森章太郎、白土三平、さいとうたかを、ちばてつや、永井豪、松本零士、大友克洋、楳図かずお他…。
漫画家以外でも
筒井康隆、谷川俊太郎、宮崎駿などビッグネームがズラリと並びます。
その中でも先にも触れましたSF業界からのコメントが目を引きます。
89年4月号SFマガジンより野田昌宏さん
仙花紙(せんかし)とは粗悪な紙のことで、主に終戦直後の品質の悪い再生紙のことを意味しております。そして衝撃を受けたと語る「月世界紳士」とは終戦わずか3年後の1948年に発表したSFファンタジー作品のこと。
野田さんは小さい頃に駄菓子屋で手にした一冊の粗悪なマンガに度肝を抜かれたと言っているのです。
なぜマンガが駄菓子屋で売ってるのか?
マンガなんて当時、低俗な扱いを受けていたので通常の書籍のルートにも乗らず駄菓子屋で出回っていました。
これを俗に赤本と呼ばれ、後に赤本ブームが来て貸本ブームが来てマンガは徐々に市民権を得ていくわけですけどこの当時ではマンガなんて現代ではおよそ考えられない扱いを受けていました。
そんな時代に、薄汚い駄菓子屋の片隅にこんな凄まじいエンタメが眠っているのかと野田少年は驚いたわけです。
いつかこのエンタメが蛍光灯の下でゆっくりと読める日が来るのかと。
そんな日が本当にくるのか。来たらいいな…。と。
その時の衝撃が後の代表作「鉄腕アトム」や「火の鳥」よりも忘れられない思い出になっていると回顧しておられるわけですね…。
やはり戦後間もない娯楽もなにもない時代にこれほどのものを見せられてしまうとそれは目がくらむほどに眩しかったことでしょう。
続いて同SFマガジンより川又千秋さんのコメント
としております。
その死があまりにも神話的で残した偉業も一人の人間が構築したものとは到底信じられない。
この賛辞。ハンパありません。
これほどまでに一人の日本人を褒めたたえたコメントがあるでしょうか。
まさに空想上の生物のような存在であったと言ってる訳で
もはや人類を超越した存在です。
人類史の枠を越えた偉業。
スゲーです。最高です。
手塚治虫を語っていくと本当に「信じられない」の連発が飛び出し
にわかには信じられない
すべてにおいて規格外、同じ人類の枠では括れないスケール
別の生命体に憑りつかれているんじゃないかと思うほど異次元の人物なのだと思わされます。
知るほどにレイヤーのひとつで語るなんて愚かなことなんだと認識させられるほど特異な存在です。
その死が
戦後日本史の区切りとしても見ることができるし
昭和の終わりとも見れる
マンガの始まりとも終わりとも言える。
この時間をも線引きさせる存在であったことが神話的であり
そして「神様」として呼ばれる所以なのではないでしょうか。
まだまだご紹介したいコメントたくさんあるのですが
ここまでとさせていただきます。
手塚先生が残した偉業は作品だけでは到底測れず
マンガという文化、産業、社会的地位を大きく向上させたことにあります。
今や日本漫画が
ジャンルを超え、国までも超えたグローバルなメディアに発展したのは
手塚治虫が前例なき道を突き進んできたからに他なりません。
手塚マンガはあまり好きじゃない、丸っこいタッチが好みじゃない。
古い、時代に合わない。色んな読まない理由はあるでしょうけど
手塚治虫本人の歴史は面白いです。
超絶に面白いです。
図書館にいけば学研図書や偉人まんがとして「手塚治虫」が並んでいますし
一般漫画で言えばオススメは
「ブラックジャック創作秘話」と「チェイサー」です。
嘘のような本当の話が面白く読めるので一度は見て欲しい一冊です。
ぜひド変態すぎるその生涯を振り返ってみてください。
それでは最後までご覧くださりありがとうございました。
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