珊瑚礁

知らない町の物語を書いています。 ときどきエッセイも書きます。

珊瑚礁

知らない町の物語を書いています。 ときどきエッセイも書きます。

マガジン

  • エッセイ

    自分の価値観の変化を記録しています。

  • 彼女の町

    架空の町を舞台にした短編小説集です。いつか漫画にしようと思っています。

最近の記事

re:

 前回の記事の日付を見て驚いた。もう5ヶ月以上経っている。  この間の私の成長といえば、タイピングが速くなったことくらいだ。ドがつくほどの機械オンチである私は大学も卒業が近い年齢だというのに、まず両手の人差し指をキーボードの上で泳がせてからそろそろとひと文字ずつボタンを押すような有様であった。おそらくレポートなどに人の5倍は時間をかけていたと思う。もちろんスマートフォンのフリック入力もできない。しかしここ数ヶ月はメールを打つ機会が格段に増えたため、否が応でもタイピングが上達

    • チーズと牛乳

       ずっと書きたかったのに書けなかった文章だが、今夜、唐突に書けそうになったので一気に書いてみている。  深夜2時37分、例によって眠れないので諦めてベッドから降り、チーズを齧って牛乳を飲んでいる。チーズと牛乳は、一緒に食べると牛乳の甘みが感じられるので好きな組み合わせだ。チータラを食べる時も私は必ず牛乳を飲む。本当はさけるチーズが好きだが、あいにく切らしているので冷蔵庫の隅に眠っていた父のゴーダチーズを食べた。加工チーズが好きな私とは対照的に、父はこういったホンモノのチーズ

      • ワタシの恩返し

         最近はかなり落ち着いている。というのも、私は本当にすぐに落ち込むタチなのだ。頻繁に昔言われた暴言を洗いざらい思い出しては、その時に感じた、自分の心がすり潰されていく感覚を何度もありありと思い出す。「ゴミ同然の私は、こう扱われて当然なんだ」とか思い始める。いつも漠然とした大きな不安に追い立てられていて、ずっと焦っていてソワソワと落ち着かない。  要するに土壌が不安定な人間なのだ。自我の確立が不十分だと、誰かを信頼することも、誰かに頼ることもできない。「まあ、何とかなるだろう

        • 絶望のすゝめ

           始めた当初からそんな予感はしていたが、随分久しぶりの投稿になってしまった。note公式にも“創作活動において最も大事なことは継続することです”と書いてあったのに。そう言えば、子供の頃からマラソンも大の苦手だった。何に対してもそうだが、ハマっては飽きるを繰り返す私は、やはり持久力が当面の課題だ。  部屋が荒れてきている。何を作ってもあまり楽しくない、と言うか身が入らない。連日、夜、息をするのがとても苦しい。切実に何もしたくない。御察しの通りそんなウツ期にまたどっぷり浸かって

        マガジン

        • エッセイ
          8本
        • 彼女の町
          4本

        記事

          天気雨の午後にシャワーを浴びることについて

           変な天気だった。日が射しているのに空は灰色で、ときどき雨が降る。おまけに風も強い。ベランダに並ぶ植木鉢の植物たちが、雨と風と光によって、キラキラとひかり輝いていた。  シャワーを浴びたばかりの彼女は、ぬるい水が滴る長い髪をタオルで拭いながら、ベランダの窓越しに植物たちを眺めている。表面の髪が光に透けて薄い金色に見える。彼女は、下着の上にサイズの大きい一枚のワイシャツしか纏っていないものだから酷く寒そうに見えて、わたしはこっちに来るように言ったけれど、彼女は、平気、とだけ答

          天気雨の午後にシャワーを浴びることについて

          記憶

           夜8時ごろ、コンビニに行くためにマンションのエントランスを抜けた時、視界の隅で自転車に乗った子どもの影が走って行く様子が一瞬見えた気がした。あれ、と思って振り返ったが、そこにそんな子どもの姿はなく、かつてこのマンションの子どもたちが勝手に自転車置き場にしていた、ささやかな空きスペースがいつもと同じようにあるだけだった。昔はこのマンションも子どもが大勢いて賑やかだったが、今はもうすっかり全員大人になってしまったため(私はいつもこのことがうまく信じられない)、昔は色とりどりの小

          青草の夢

           僕が通う高校にはちょっと珍しい行事がある。いや、“ちょっと”ではいささか語弊がある。僕が通う高校には“相当”珍しい行事がある、と言った方が正しいだろう。  それは年に二回だけ、春と秋のよく晴れた夜に行われる。と言うか、穏やかな季節のよく晴れた夜にしかできない。もっと言うと、最低でも三日は晴天が続いてからでないとできない。何故なら僕らは学校の中庭の芝生の上で、野生の大勢のタヌキと一晩雑魚寝をしないとならないからだ。一体誰が、何の為に始めたのかは誰も知らない。これが僕が通う高

          青草の夢

          ラズベリーと鶏卵

           よく晴れた金曜の昼下がりに、クローゼットから丁寧に取り出した一等お気に入りのコートを着て博物館に向かった。このチェスターコートの深い緑は、いつも私に鬱蒼と茂った森を思わせる。小さく鼻歌を歌いながらステップを踏むようにして歩くと、ときどき両耳に下がった金のピアスが揺れた。博物館までは徒歩で40分くらいかかるけれど、今日は日差しが暖かい絶好の散歩日和だし、更に明日は土曜だ。何もかもが完璧だった。  夕ヶ丘市立博物館には子どもの頃から頻繁に足を運んでいる。たいして大きな博物館で

          ラズベリーと鶏卵

          湯気

           部屋を片付けていると、棚の奥からTSUDAYAのDVDが3枚出てきた。どれも古い邦画だ。一緒に出てきたレシートには、返却予定日が2018年6月14日(木)と記されている。今は2019年の12月だ。僕は血の気が引くのを感じたけれど、できるだけ冷静に、そこに記されているはずの店名を探した。すぐに“赤鳥駅前店”の小さな文字を見つけた。しかしこの文字列が、更に僕に頭を抱えさせた。  赤鳥駅は僕が住むアパートの最寄り駅である。各駅停車しか止まらない、小さくて平凡な駅だ。どの駅員も無

          曇天

           いずれ向き合わなくてはならない、ずっと無視し続けることはできない。と観念していたことのひとつである、ウツについて、今現在の私のできる範囲でまとめておこうと思う。ひどく個人的な話だから正直かなり退屈だと思うし、なにしろ終結しない出来事についてまとめるので要領を得ない話になると思う。それでも、ようやくひと段落したので挑んでみる。何事に対しても大切なのは成功ではなく、行動だからだ。  18の秋に私は自分の命日を決めた。その年の11月の某日だった。しかし当日作った傷からの出血量は

          変身

           何の前触れもなくある日突然、自分が変わってしまうことが、18を越えてから度々起こる。数ヶ月前の私と今の私は別の人物であるし、もちろん1年前の私だなんて(少し気が遠くなってしまうほど)今とは全く別の人物であった。その差異が最も大きいのは17の頃と今現在で、もし万が一にも2人を会わせてしまったりなんてしたら、大きな事故が起こるだろうと時々想像しては身震いする。もっとも、会わせることなんて出来やしないけれど。  "別人格"と言うよりも、それぞれの時期で別の信条を持っていて、それ