ワタシの恩返し

 最近はかなり落ち着いている。というのも、私は本当にすぐに落ち込むタチなのだ。頻繁に昔言われた暴言を洗いざらい思い出しては、その時に感じた、自分の心がすり潰されていく感覚を何度もありありと思い出す。「ゴミ同然の私は、こう扱われて当然なんだ」とか思い始める。いつも漠然とした大きな不安に追い立てられていて、ずっと焦っていてソワソワと落ち着かない。

 要するに土壌が不安定な人間なのだ。自我の確立が不十分だと、誰かを信頼することも、誰かに頼ることもできない。「まあ、何とかなるだろう」みたいな根拠のない自信なんて勿論一切無い。土壌が脆いと、ほんの少しの刺激にも弱くなる。まるで埋め立て地に建てられたビルのようだ。

 この間行った心療内科が初めて自分に合うと感じた。生活に困難を感じ初めてから五年目の春、四軒目の心療内科だった。そこは大学の学生相談室で紹介してもらったところだった。勇気を振り絞って訪問した相談室で出会ったカウンセラーが、ある程度自分に合う人間で、更にその人が太鼓判を押した医院が自分に合っていた、という流れだったので、自分の行動を少しだけ誇りに思うことができた(実は学生相談室の訪問も三度目)。他でもない私の行動が、私をこの安息地に導いたのだ。

 医者は私の話を一通り聞くと「うつ病ってご存知ですか?」と言った。四件目にして初めて信頼できる診断が降りた瞬間だった(これまでに行った病院では「あなたに問題があるのでは?とにかく一日一度は外に出て下さい」と、起き上がることすら辛い時期に言われた上にゴミ箱診断と呼ばれる適応障害と診断されたり、また別のところでは「うつ病ってあなたみたいに若い人は滅多に罹らないんですよ」とか言われて頓服の抗不安薬を押し付けられたりして来た。どの医院にも、二度目は行かなかった)。そんな訳でまずは抗うつ薬を処方された(これは気分を上げてやる気を出す定期薬だ)。この医院から処方された薬は不信感無く飲むことができたし、効果も実感できた。しかし落ち込むことが無くなった代わりに、今度は果てしない怒りが沸き起こって収まらなくなった。何故あんな言葉をかけられなければならなかったのか、何故あんなにも不当な扱いを受けなければならなかったのか。その怒りはとどまる所を知らず、日中不意に酷い過去や、誰かに言われた酷い言葉を思い出してしまうと最後、夜眠りにつくまで続いた。

 担当医にこの旨を伝えると、次にフラッシュバックを抑える漢方薬が処方されることになった。これにはかなり驚いた。記憶に効く薬まである時代なのか。半信半疑で飲み始めたが、なるほど確かにフラッシュバックも、それに伴う苛立ちも起こらなくなった。私の精神は深い海を優美に泳ぐ鯨のように穏やかで静かになった(これは以前書いた文章「変身」で登場した落ち着きとは明らかに質が異なるものだ)。

 やる気は起こるし穏やかで、酷い言葉も思い浮かばない。凄い。普通ってこんなに凄いものだったっけ。昔はこんな感覚だった気がするけれど、遠い過去すぎて思い出せない。それにしても、これまでは本を読んだり、考えを文章にまとめたりして自力での改善を試みてきたが、相性の良い専門家が見つかるだけでこんなにもすぐに楽になるだなんて、と呆気にとられている。

 薬を飲む前までは「卑屈で根暗で消極的」なところを含めて自分だと思ってきたので、それを薬で抑えてしまうのはどうなんだろう、みたいな小さな葛藤があったが、今では全然阿呆らしい。「病気の症状を含めて自分」だなんて普通考えるだろうか。生まれつき病気を持っている人でさえ、服薬し、生きやすくなる処置をしている。“病気を持っている自分を受け入れること”と“症状に翻弄されること”は別物なのだ。
 精神の病の恐ろしさはここだ。目で見えないから個性と履き違えてしまう。気の迷いだと勘違いして見過ごしてしまう。そうしてどんどん悪化の一途を辿る。

 「うつは甘え」だなんて言葉の暴力が致命傷になって、命を落とした人が一体どれほどいるのだろう。もし悩んでいる人がいたら、どうか誰かの言葉でそれ以上自分を責めないで欲しい。体調と正直に向き合って、病院に行って欲しい。目に見えない病は、自身の苦痛に目を逸らさないことが最も大切だ。周りに何と言われようとも、いつだって自分の中の苦しみが唯一の真実なのだから。相性が良い病院が見つかるまでは少し苦労するかも知れない。しかし病は、適切な処置を施せば必ず改善するのだ(うつ病の治療についての考察はまた別の機会に書きたいと思う)。

 最後は少し大きな話になってしまったが、要するに今回は「医学って凄い」という話だった。これだけ凄い薬の開発や心療内科の設立に至るまで、どれだけ多くの人々が貢献して来たのだろう。どれだけ多くの人々が偏見と戦ってきたのだろう。携わった全ての人々に、心の底から感謝したい。そして「私も何かやらなくてはな」と自然と前向きな気持ちになった。ほんの少しでも良い。私ができる範囲のことで、世の中に貢献できることがあればいい。色々なことを試しつつ「これも違ったかー」なんて思いながら、焦らず探して行けばいいのだ。

(経過観察-1)


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