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名も無い日

※ネタバレ注意

なんともまどろっこしい映画。

本作の監督は、写真家でもある日比遊一。彼の実体験を基にした、言わば、私小説的な内容がスクリーンを支配する。

ニューヨーク在住のカメラマン・小野達也(永瀬正敏)は、弟・章人(オダギリジョー)の突然の訃報で急遽、故郷の名古屋に戻ってくる。三人兄弟の末弟・隆史(金子ノブアキ)とふたり、自暴自棄で破滅的な最期を遂げた章人の真意が理解できず、実家界隈を街ぶらロケよろしく右往左往。残された兄弟は、徘徊の果てに、章人の死に折り合いをつけることができるのだろうか?

章人は、エリートとして将来を嘱望されていたが、親の介護のためにドロップアウト。早々に家を出て、単身ニューヨークで夢を追う達也を尻目に、家事や介護、ケアに邁進する。両親が相次いで亡くなったあとは、周囲から身を潜めるように、引きこもりの生活を加速させていく。最終的には、ゴミ屋敷の中での孤独死という結末を迎えてしまう。

長男・達也の描かれ方が、少し子どもじみていて歯痒い。正直、人生50年も生きてりゃ、身内や友人の死と向き合う場面に出くわすのが普通だし、中には不慮の事故や予期せぬ病気で突然命を絶たれる者も居るだろう。弟の死に少なからず責任を感じているからこその、やりきれない気持ちはわかる。しかし、息苦しかった実家を飛び出した時点で、ある程度の覚悟はしていたはずだ。元のような家族には戻れないし、一人前になるまでは帰れない(帰らない)ということを。

それを今更、うじうじと煮え切らない。生前、章人が入れてきた唯一とも言えるSOSの電話に、“しお対応”してしまったことがすべての引き金であるかのように捉えるのは間違っている。家族想いで、責任感が強く、誰よりも優しかった章人ひとりに、過酷な運命を背負わせ、のちの悲劇を誰も予見できなかったことが悔やまれてならない。

家族に対する介護業務は、自分でも気づかないうちに精神と肉体を蝕まれていくもの。だからこそ、公的な福祉制度の助けが重要であり、親の介護が本格化する前に十分な話し合いが持たれなければならない。身内の一人が抱え込むことがないように、遠方にいる親族などは実働できない分、お金の援助だけでもするべきなのだ。

この映画の問題点は、超高齢化社会に突入した我が国の、現実問題に対する考察がほぼ描かれていないこと。章人の死を特別で、センセーショナルな出来事と位置づけ、最後まで達也は心ここにあらずだし、隆史は終始能天気。章人の内面に寄り添おうとしているようで、結局、美しい思い出だけに浸る。それでは、第二、第三の章人が出てきてしまうことは必然で、何の解決にもなりはしない。

せめて、実家の後始末くらいしてから、ニューヨークに帰れよと言いたい。熱田神宮のお祭りなんて、どうでもいい!





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