エントロピー 緊張 肩こり うつ病 生命

 エントロピーという言葉に自分がどれぐらいの解像度を持っているのかを知らないが、放っておくと物質は乱雑になっていくという法則だと思っている。固体は液体や気体になるし、熱は冷める。このエントロピーに逆らうのが「生命」で、そのことをネゲントロピーと言うらしい。物質や熱の拡散に抗うのが生命って考えてみれば不思議だ。

 星の欠片である物質がギュっとなっているのが生命で、バラバラになっているのが死体だ。そう考えると、緊張が生命で、弛緩が死だと考えたくなる。
 
 うつ病というものを考える。うつ病の患者の文章は、「私」という文字が有意に増えるらしい。自己を異常に気にしている状態だ。基本的に人というのは自己と向き合うと、憂鬱になる。だからカラオケに行ったりゲームをして気晴らしをする。自己に意識が向くと、身体はどうなるかというと、肩凝りが酷くなる。ずっと肩に力が入っている状態。僕がうつ病で一番ひどかったのは「緊張感」だった。
 不安感を取り除くベンゾジアゼピン系という薬は、肩凝りの薬としてもつかわれる。
 仏教のいうように、「自己」というのは苦しみの元で、そもそも人生が「苦」だとすると、自己を意識して、筋肉を緊張させるという「生の過剰」は苦しみの過剰だ。

 「生きてる実感」を感じる行為は様々にあるが、パッと思いつくのはリストカットと暴走行為だ。僕はやったことがないので実感はないけれど、生命を「危険」な状態に置くことで、心臓が高鳴って、全身が「引き締まる」のだと思う。死=弛緩を回避するために、全身が集中する。

 個人的な経験なんだけれど、昨日瞑想をしていたら、涙がずっと止まらなくなった。病気や手術のこと、母親の死のことなど、ネガティブな傷が蘇ってきた。ひとしきり泣いたあと、心と身体が楽になった。肩に関しては、動かすと「バキバキ」と音を立てるぐらい酷かったのだが、全く音もしなくなり、軽快になった。「自我」の基礎は「記憶」だと思うが、その中でも「傷」が主になっている。
 まだ全然実証されていないし、今後されるかどうかも分からないが、ポリヴェーガル理論という自律神経の理論では、トラウマが自律神経に記憶されるとされる。そのトラウマをワークなどでほぐすのだが、僕の場合は瞑想で一気によくなった。

 生命=自己=トラウマ=緊張だ。

 死が物質の解体なのは当然だが、それに類するものはあるんだろうか。例えばフランスでは、セックスの後の時間を「小さな死」というらしい。オーガズムで高まった緊張が放出されて、小さく死ぬ。
 マッサージや風呂などはどうだろう。極楽だ。
 弛緩というのは一般的に「リラックス」と呼ばれるが、チベット仏教ではリラックスが重要視される。リラックスしていると、自我が解体されていく。
 「涅槃」に「死」という意味はないんだけれど、多くの人にそう誤解されている事実は面白いと思う。解脱=涅槃に至ると、死んでしまう。自己=生命=緊張がなくなると、死ぬ。生きながらの涅槃を有為涅槃、覚者の死を無為涅槃と言う。

 物質が凝縮されている状態って「軋轢」を生む異常な状態なのかもしれない。だから凝縮、緊張するたびに苦しみが高まる。生は苦しみであるという仏教のテーゼはそういう意味なのかもしれない。生って自然法則に逆らってる異常な状態だ。老いるほど筋肉が弱くなっていくが、自然に帰っていくんだろう。 
 そうなると、「死は救い」というのが本当になってしまう。死んでいった知人や、自分の行く末を考えると、死が救いというのは少し頼もしい気がする。

九相図


 
 

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