幸福についての驚くべき秘密

 ティク・ナット・ハン師の本を再読していると、驚くべきことが書かれていた。「ブッダは既に今、幸福になる条件は揃っていると仰ったのです」

 驚くべきことだと思う。震えた。「××に到達したら」「〇〇を手に入れたら」「病気が治ったら」「家庭を持ったら」「恋人ができたら」「悟りを開いたら」という条件は、「幸福」には一切関係がない。びっくりした。

 人生をRPGゲームに例えてみる。一般的なRPGゲームにはクエストがたくさんあって、クエストをたくさんこなして、ラスボスを倒せば、一件落着、ヒロインと結ばれる。この「人生」というゲームの「クリア条件」を決めるのは、神様でも親でも仏でもない。僕だった。
 男の方がイージー、女の方がイージー、上級国民はイージー、など散々言われているが、全員イージーだ。「自分でゲームのクリア条件を決められる」という秘密を知れば、誰でも幸福になれる。

 ただ、親や社会によって、勝手に叩き込まれるクリア条件がある。大学は出なさい、恋人を作って結婚しなさい、容姿を整えなさい、お金を稼ぎなさい、同世代に勝ちなさい。これらは初期からインストールされているけれど、削除したらいい。この削除を瞑想という。

 僕は一般的な幸福な人間の定義を満たしていないと思う。中卒だし、不細工だし、金もないし、無職だし、病弱だし、自閉症だ。学歴、容姿、金銭、労働、健康、人並み、を「クリア条件」にしている人から見ると、僕って不幸のどん底にいる。ゲームオーバーの底の底。でも、全く自己欺瞞なしで断言できるが、僕って幸福だ。

 「幸福」だと思い込んでいるのではない。「~せねばならぬ」という観念を掃除したら幸福だった。別に掃除しなくてもみんな幸福だと思うけれど。

 気づいたら幸福だったから、びっくりした。何を焦っていたんだろうと思う。自分でクリア条件を決めていい。僕は「主人公」ではなく、「製作者」だった。
 ゲームのクリア条件:呼吸すること
 
 人生って名前を書けば合格できるFラン大学みたいなもんだな
 


勉強したいのでお願いします