自我とは何か? なぜ社会から降りられないのか

 僕は極度の心配性だった。小学生の頃に「このおじさんを自転車で追い越したら銃で撃たれるんじゃないだろうか」とか「祖母に貰ったこのお菓子には毒が入っているかもしれない」などと、病的な心配をしていた。その僕が、再発性の病気にかかったから大変だった。再発すれば即手術と入院だし、いつ爆発するのか分からないから、毎日一日中病気のことを考えていた。そのせいでうつ病になった。声を出すのも怖くて、一日中、本を読んで誤魔化していた。

 20代前半の頃、肩を動かすと、バキバキと凄い音をたてて鳴った。あまりにも酷いので病院へ行ったけど何もなかった。筋弛緩薬のデパスも飲んでいたのだが、全然よくならなかった。物凄く体が緊張していた。臨戦態勢だったと思う。最近よく聞く言葉でいうと「闘争逃走反応」だ。

 瞑想をするとよく欠伸が出る。リラックスしている。さっき「知覚って私のものじゃないんだ」と智慧?が湧いた時も物凄くリラックスした。

 自我って「防御態勢」だと思う。そして自我が強いほど、生きづらくなる。虐待を受けた友人が何人かいるが、ずっと過去の防御姿勢が崩れないのだと思う。ずっと交感神経が優位の状態だ。ポリヴェーガル理論という自律神経の理論は、トラウマは自律神経に宿っていると提唱している。

 「自我」なんてものができたのは、「個体」を「守る」ためだったのだと思う。「防御の構え」が「自我」だ。多分この「自我」というのは石器時代や戦国時代には役に立つのだが、現代や古代インドのようなある程度裕福な時代には不要なのだと思う。誰とも戦う必要がないから。
 といってもやはり現代は競争主義社会であるから、自我は大切なのかもしれない。模試やテストは本当に緊張した。人生がかかっているから。

 社会で生きるためには、肩ひじを張って生きなければならないと思う。とても疲れる。「自我」って戦うための装置だ。常に比較をするし、自分の有利に進めようとする。日本人全員が劣等感に悩まされているが、劣等感というのは自我の本性に他ならない。

 自我=緊張というのは「臨戦態勢」だ。そりゃうつ病の人も増えると思う。
 生活保護の人は自殺率が高い。自分のことを責めさいなんでいるからだと思う。社会からの繋がりを物理的に断っても、精神的に「負け」という意識があるんだと思う。

 中島義道に「社会から半分降りる」という本がある。こんなに人間が嫌いな人でも「半分」しか降りれないのかとショックだった。哲学入門、みたいな本には「哲学仲間は絶対に作れ」と書いてあった。若い時はいいけど、いい年こいて哲学をしていると社会からの圧力に屈しそうになるらしい。

 自我のある限り「勝ち負けのゲーム」は降りられないっぽい。多分コンプレックスもなくならない。勝ち負けってめちゃくちゃしんどい。身心を緩めて適当に生きよう

勝利からは怨みが起る。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗をすてて、やすらぎに帰した人は、安らかに臥す。

ダンマパダ


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