何が正しくてどう生きるべきなのか 精神医学とか

 仏教科を卒業して、仏教を趣味にしながら福祉をしている人と話した。法華経が好きだと言っていたので「信仰はしないの?」と聞いたら「他人の思想を取り入れたくない、自分が悩んで生きてきた思想を守りたい」と言われた。「この人の人生経験」の方が「法華経」よりも正しいのだろうか?全然分からない。

 本当に、情報の取捨選択次第で人生が変わる。僕は幸いなことに、自閉症のおかげで「世界についての情報」について異常にこだわりがあるので、たくさんのことを知ることができた。哲学や宗教、人類学や文学などを学んでみて「僕が正しいと思っているから正しい」という根拠しかない「僕の思想」なんか屑だと思った。

 屑は淘汰される。人類学の本を読んでいると、屑みたいな呪術がたくさん出てくるが、もう呪術など誰も信じていない。「歴史に耐えた」というのは、個人的にかなり重視している。
 文学で例えると、カフカは親友のブロートという人に、自分の著作は全部燃やしてくれと頼んだ。ブロートは裏切って全て出版するが、カフカの傑作は現代まで残っている。ブロートも作家で売れっ子だったらしいが、全く作品が残っていない。多分東野圭吾みたいな人だったんじゃないか。
 青空文庫を見ると、全く名前も知らない人の作品が無数にある。屑は淘汰される。
 だから「古典」というのは便利だ。屑が排除されているから、傑作しかない。逆に「現代」のものは扱いが難しい。僕は現代の小説はもうオワコンだと思っていたのだが、最近カズオイシグロを読んで、考え方が変わった。「歴史に埋もれる有象無象」と「将来の古典」があるだけだ。

 僕自身も自閉症、うつ病を患っているし、友人にもメンタルヘルスに問題がある人間が多いので、精神医学は一般教養レベルまではかなり読んだ。結論として「うつ病、躁うつ病、統合失調症の原因は分からない」「抗うつ剤やリチウムがなぜ効くのか分からない」というものだった。昔のヨーロッパ人は胆汁の比重がおかしくなると病気になるみたいな理論を信じていたらしいが、もちろん淘汰された。骨相学といって、頭蓋骨の形で性格や知能をはかる学問も廃れた。
 当時の人は体液理論も骨相学も大真面目に信じていたと思う。文学と同じで、「現代」の「本物」を見つけるのは難しい。

 母親が末期癌になった時、代替医療というものを調べた。癌という不治の病の周りには、標準治療以外の治療方法がたくさんあった。が、どれもこれも怪しかった。人が弱っているところにつけこむ詐欺だと思った。

 精神医学は、まだ何も分かっていない。脳のことも分かっていないし、精神のことも分かっていない。僕は歴史を潜り抜けてきた心理療法である「仏教」で完治した。全員に効くとは思わないが、古典にはある程度の信頼性を持っていいんじゃないかと思う。正直今の精神医学は薬物療法一辺倒で、僕の周囲の人間は、薬物だけでは全く改善していない。その中で暗中模索しなければならないのだが、そこに詐欺師がつけ込む隙があるので、しっかり見極めなければならない。

 薬物療法は再発が多いし、フォロワーを見ていて限界を感じる。僕の医者も薬を出すだけなので、自分で治療方法を探して治した。

 学んできたことがヨーロッパに偏りすぎていたので、中国、インド、中東、アフリカなども学ぼうと思う。最近、気功の本を買って、気功を試してみたら凄く活力が湧いてきて、腰痛や肩こりがなくなった。僕が無職で活字中毒だからできることかもしれないが、広く学び、体験して、自己の幸福に寄与するかどうか見極めることが大切と思う。
 「古典」「科学的」「実体験」僕の当面の指標はこれらだと思う。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

オットー・フォン・ビスマルク

勉強したいのでお願いします