普通になりたい発達障害 アウトサイダー

 アウトサイダーアートが好きだ。障がい者が漢字を延々と書いていたり、木の棒で訳わかんないものを作っていたり「本当に好きなんだな!」と思う。逆にインサイダーアートの人は、お金と権力が好きなんだなとしか思えない。

 同い年の27歳の発達障害の人とたまに話している。親が過保護で早く自立したかったらしく、仕事をして一人暮らししていたのだけれど、発達障害が発覚して、適応障害も併発し、職を転々としている。本当にツラそうで、泣いていることも多い。「僕みたいに全部諦めたら?」というと「普通になりたい」という。

 「労働に向いていない人」という意味の概念を作るべきじゃないか。うちの母親は明らかに発達障害だったが、時代も時代だったので普通に就職して働いていた。机はメモ書きがビッシリあって、ミスが多いと言っていた。責任のある役職についてからは、明らかにヒステリックになり、家の雰囲気もおかしくなっていた。そして、ストレスで胃癌になり、死んだ。労働に向いてない人を働かせると、死ぬ。
 
 僕の周りは発達障害だらけだが「もう変人でいいよ」という人と「普通になりたい」という人の2種類にキッパリ分かれる。僕はおそらく普通に自閉症が強いので「好きなことできるなら変人でいいよ」という感じなのだが、中途半端に社会性があったりすると、プライドが働いて「普通」に固執する。まあその気持ちも分かる。

 アウトサイダーってカッコいい。お釈迦さま、良寛さん、クリシュナムルティ。
 僕は元々中二病で、普通に生きてもつまらないなと思っていた。中学生の頃は、島を買って国を作るとか、エイズと癌の特効薬を作って人類を滅ぼすとか、馬鹿なことを言っていた。今も瞑想をして意識状態を変えて、執着を滅し、究極の幸福に至る、とか言ってるので、10年前とあんまり変わらないかもしれない。

 貯金して絵画をずっと描いてる人、パートで働きながら信仰に徹する人、浴びるほど酒を飲んでいる人、瞑想をして解脱しようとする人。一般から見るとおかしいんだろうが、当人からしたらこれが「必然」だったんだと思う。僕は僕の人生が好きだな。「普通」なんかつまらないじゃないか、と十年後も二十年後も言っていたい

勉強したいのでお願いします