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保育園発表会は誰がため?生き生きさのない子どもとそれ見る大人。

この3連休、地区のお祭りがあった。そこで行われた保育園の発表会。みんなの前で踊る保育園児。その中に3歳のぼくの娘もいる。

曲は、”エビカ二クス”。

50人ぐらいの人にぐるーっと囲まれ、保育園児7人ぐらいが踊っている。

先生達は子供たちの真後ろや斜め後ろに。完璧に踊って見せる先生。

親や、おじいちゃんおばあちゃんはスマホを向け、一生懸命その姿をデータに残さんとしている。

もわもわ~っとした違和感

「一体これってなんなんだろう…?」

もわもわ~っとした違和感。いやなかんじ。どんな顔で娘を見たらいいのかわからなくなくて、でも目の前で踊る娘をはげませるように笑っていた。

うまく笑えているだろか?不安にさせてないかな…?

こういうイベントってよくあるものなんだろうなっておもう。なんとなーく自分の保育園のイメージの中にこういうイベントはあった。

でも今、これが異常なものに映っていたのは自分だけなのだろうか?みんなにはどう見えてるんだろう。

この発表会は、こどもにとってどんな体験なのかな…?

まるで見世物のような発表会。

こういったら怒られてしまいそうだけれど、保育園児たちはまるでサーカスの動物たちのようだった。

イメージです。

もわもわとしたいやーな感じは、大人が見たいこどもを仕込まれ、みんなの前で見世物になり、なんだか消費されてるような、そう感じたところからきたんじゃないかな。

まるで大人が楽しむために作られた道楽に子供が利用されているような、そんな風に感じる発表会だった。

じゃぁ、子どもたちにとってこの発表会はどんなものだったのだろう?

この発表会は、子どもたちのためのもの?

うちの娘は3歳。事前にいくら説明しようが、正直言葉で伝えきるのはまだ難しい。保育園でなんだか踊っていたものを、いきなり知らない人達に囲まれ、ここで踊ってみろといわれるようなものだっただろう。

そんな中、先生は後ろで完璧な踊りを見せている。もちろん大きく振り向かない限りは子どもたちに先生の姿は見えない。

怖さを感じてもおかしくないその場で、そこで先生が踊る意味はなんだろうか?

知らない人からスマホでとられれながら踊るのはどうだろう?その目はきっと鋭いものではない。むしろあたたかいものではあるとは思うんだ。でも…そうだとしてもしんどくない?

そして踊りは先生達が決めたもの。こういうのが好きな子ならまだしも、踊り自体が苦手な子や、べつに好きでもない子もいると思うんだ。

もし大人がこれをやるとしたら、それは、罰ゲームじゃないか?

生き生きさのない子どもたち。忘れられない男の子。

ぼくの娘は少しおどおどしながらもたどたどしく踊ってた。幸いつらそうな表情はない。ただ、生き生きさもない。

前にいる子どもたちから、子どもたちのあの生き生きとした、躍動感あふれ、こちらが圧倒されてしまうような、そんなエネルギーはどこにも感じない。

糸でつられて踊っている、なんていったら大げさかもしれない。でも大事な何かが抜け落ちている。そんな気がした。

横並びになって踊る園児たちのど真ん中に男の子がいた。彼の様子をはっきりと覚えてる。

その男の子は、ただ、じーっと立っていた。エビカニクスが流れるその3分間、ただ一度も踊ることなく、仁王立ちして前をみつめ、じーっと立っている。

あの姿が、非暴力不服従の姿に見えたのはぼくだけだろうか。当人が実際何を感じ、どうしてそうするに到ったのか、ぼくにはわからない。でもあれは彼なりの抵抗の表現だったのではなかろうか。

この発表会は、誰がためのものだったのだろうか。

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