見出し画像

拝啓、妻へ 価値観を手に自分を殺す。そしてぼくらは空回り続ける。

前回は、環境問題って依存症が問題なんじゃない?って話でした。今回は、ぼくが思う依存症の根っこのはなし。

ぼくらは、みんなで、依存症。

今の社会を生きるってどういうことなんだろう?
今の社会をお酒で例えたいとおもう。

みんな毎日アルコールを飲んでるのが普通で、「アルコールは飲めば飲むほどいい!みんなもっと飲んで幸せになろう!飲まないとやばいよ!!」って広告が流れ、みんなが言ってくる。
そして、アルコールを飲むほど褒められる。

こんなんじゃないだろって?そうだろか?

たとえ話の、”アルコール”を、”勉強”に変えてみてほしい。他にも"消費" ”学歴” ”仕事” ”キャリア” ”貯金” などなど…。

まんざらでもないんじゃないかなとぼくは思う。

こんな中、「もしかしておれ、依存症…?」って気づくのは容易じゃない。そしてもし気づいても、そこから抜けるのはもっと難しい。だって周りからみたら異常者だもん。みんなから止められる。しかもよかれと思って。

ぼくらが依存症に気づけないのは、依存症であることで成り立つ仕組みの上にいるから

「世界で一番貧しい大統領のスピーチ」より

これはウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカさんの、2012年の地球サミットでのスピーチを絵本にしたものの1ページ。

何か怖い手に追われながら、自転車を必死にこいで歯車を回しているサラリーマン風の男。

この歯車は、社会の仕組みそのものだとおもう。
たくさんつくって、たくさん消費して、たくさん捨てて、またつくるのぐるぐるまわり。ぼくらはこの歯車をまわさなくっちゃいけない。

消費すること、働くこと、出世すること、たくさんお金を稼ぐこと。これができることはよいことで、それを目指すのは普通で幸せって価値観は、この仕組み成り立たせるためにある。

じゃぁこの男の人に自転車をこがせる、恐ろしい妖怪の手の正体はなに?
何にそんなに怯えて歯車を回しているの?
それはこの価値観とかこの仕組みだけじゃない。

この妖怪の手は、その価値観を人に植えつける過程で生まれるんだ。それこそが、もっとも恐ろしくて、環境問題だけじゃないいろんな問題の根っこなんじゃないかって思ってる。

価値観を植えつけられると、どうなってしまうのか?

どんな価値観でも、価値観だけなら、なにも問題はないんよ。問題はその価値観を押しつけられること。そしてそれを受け入れ、本当の自分を殺してしまうこと。日常的に行われてるけど、これがほんとにやばい。

特にこの、消費すること、働き出世すること、たくさんお金を稼ぐことはよいことだって価値観。
これは、人だけじゃなくて、社会とか、仕組みから押し付けられる。勉強、成績、学校、大学、就職活動、テレビ、広告、SNS、制度、あらゆるものから。

「これが普通でしょ?」
「これが正常だよ。」
「これが正解。こうしたらうまくいくよ。」

こんなメッセージにあふれた中で、本当の自分を保つのは難しい。
だって上のメッセージはそのまま、

「おまえが間違ってる。みんなそうなのに。異常だ。常識がない。」
「お前がわるい。なんでわからないんだ?おまえのためを思って言ってるんだ。どうなっても知らないぞ?」

というメッセージだ。
ここでうるせぇというかそっと離れられたらいいけれど、それを受けいれてしまった人はどうなるだろう。

”いやだと思う私がおかしいんだ。私が間違ってる。”
”みんなそうなんだから私も我慢しないと。”
”私ってほんとだめだ。”

そういって、本当の自分を、自分の感じていることに蓋をする。これは間違っててダメなことなんだって。自らその身を大切にすること、それが自愛だって話をしたじゃない?”その身”を無視して、傷つけ、否定してしまうんよ。

周りから押し付けられた価値観を手に、本当の自分を自分で殺す。

そしたらその人は別の人にこう言う。

「これが普通だよ。そういうもんさ。なに?そんなの嫌だ?苦しい?なにいってんの。みんながんばってるんだよ。」

こうやってまた、ほかのだれかに価値観を植えつけ、植えつけられた人は本当の自分を殺し、そしてほかの人に価値観を植えつけていく…
こうやって連鎖し、呪いのように広がっていく。

こうしてぼくらは空回り、満ち足りることはない依存症になる。

話をもどすね。あの妖怪の正体はなんなのかってはなし。あの男を追い立てる妖怪の正体は、押しつけられた価値観を手に持ち”本当の自分”を殺した自分自身なんだ。はじめに押しつけたのはたしかに他人や社会。でもそれを受け入れて本当の自分を殺すのは自分なんだ。

何かを消費しても、これだけやったらもう満足だってことが感じられたら、無限の消費にはならない。それは”足るを知る”ってことかもしれない。
でも、いくら消費しても、いくら偉くなっても、いくらお金があっても、いつまでたっても足りない、満足できない。ずっと不安。

なんでか?

それは、本当の自分を殺して、その価値観にそって動ているだけだから。その植えつけられた価値観のもと何かを追い求めたって、満足することなんてあるわけない。

だって、本当の自分はそんなの望んでないんだから。いくらその価値観のもと欲を満たそうとしたって、本当の自分からしたらとんだ的外れ。でもそこに”その身”はあり、感覚はある。だからわけがわからない不安が常につきまとう。

やってもやっても満たされない。それは、本当の自分が何を求めているのかもわからないからなんだ。不安だけがずっともやもやとつきまとう。それをなんとかしようと、また見当違いな価値観にもとづき行動するけど、なにも解消されない。そして無限の欲望に支配される。

おわりに

妻へ

まるでホラーのようなお話。自らその身を大切にすること、自愛へのつながりが見えてきたんじゃないかなぁとおもうんだけどどうかな?また感想おしえてね。

妻以外の人へ

読んでいただきまして本当にありがとうございました。これはぼくらの目指す暮らしをまとめた、前回からの続きになります。もし興味を持ってくれる人がいたらうれしいです。
なにか感想とか「ん?」って思うこととかあったら教えてください。ぼくと妻が喜びます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?