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K、喪失と回復:学ぶ意味を問うて

 「なんで勉強しなきゃいけないの?」

あなたの周りの大人達はこの問いに正面から答えてくれているだろうか。
あるいは、もしあなたはこの問いを子どもに投げかけられたなら、自分なりの答えを語ることができるだろうか。

 勉強する理由を疑問に思ったことのある人は、恐らく少なくないんじゃないかと思う。他でもない僕が中高生の頃、その意味がよくわからなくなった一人だった。

 今日はそんな僕の目を真っ直ぐに見つめて勉強する意義を語ってくれた、ある大人との出会いについて書いてみたいと思う。


 これはある好奇心の強い勉強好きな少年Kが、勉強する意味を見失い、一つの出会いを通して、学ぶ理由を取り戻す、喪失と回復の物語だ。

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 もともとKは勉強が好きな子どもだった。好奇心旺盛で、新しい物事を知るのが好きなKには、知見が増えて世界の広がる勉強というものも面白かったのだろう。次第に学校の授業では物足りないと感じるまでに、Kは勉強に熱を注ぐようになっていった。

Kはあるとき周りを眺めてみて一つのことに気がついた。
どうやら自分よりもお勉強のできる友達は「塾」なるものに行っているらしい。
Kは早速両親にお願いして、中学年の頃から塾に通わせてもらうようになった。

地元の塾でのKの成績は校舎で一二を争う程にはよく、気づけば実績の欲しい塾に「中学受験」を勧められるようになる。Kの両親は息子の塾通いなど微塵も考えたこともなく、中学受験のちの字も知らないような家庭だったので、本当によくわからないままにレールにのせられていったというのが的確な表現だろう。

あれよあれよという間にKは、私立の中高一貫校を受験することになり、気づけばいわゆる進学校の門をくぐることとなっていた。


 無事志望校に合格できたことはもちろん嬉しいことではあるのだが、Kには一つの確信があった。合格ラインぎりぎりの点数だという確信が。個別の成績開示があったわけではないけれど、手応え的には合格最低点。実際その感覚に間違いはなかったようで、入学して暫くしての担任との面談でポロッとスレスレだったことをきかされ、裏付けがとれることとなる。

とにかく、そんな確信を持っていたKは強い不安に襲われる。周りには自分より賢い人しかいない。このままだと落ちこぼれるかもしれない。不安に駆り立てられたKは、入学後真面目に勉学に取り組んだ。
ところが、周囲は違っていた。みんなそれほど勉強に精を入れていなかったのだ。というのも中学への入学は同級生の多くにとって、受験勉強の強制とプレッシャーから漸く自由になれる、「やっと遊べる!!」という解放の幕開けを意味していたのである。

 中学最初の定期考査、Kの成績は学年の上位に食い込む。

一見よく思えるこの出来事。これがKの中高時代を狂わせることとなると、この時一体誰が予想できただろう。


 試験後、担任との面談があった。担任はKのことを褒め上げた。

Kの両親は基本的に放任主義で、成績について特に褒めることもなければ、苦言を呈すこともなかった。そんなKにとって、褒められるということは珍しい出来事で、きっと強く心が動いたのだろう。Kは徐々に、担任の承認を得ることに喜びを感じるようになっていく。

Kの学ぶ原動力はいつしか、純粋な好奇心から承認欲求へとすり替わっていってしまっていった。


 もちろん当時、こんな分析をしていたわけではなく、中三になって担任が変わった際、この変容をKは異変として体感することになる。
それまで当たり前に自分の人生の一つの軸として据えてきた勉強に対する意欲が一向に湧かないくなったのだ。

 「あれっ、なんでいままで勉強なんかしてきたんやっけ?」

常に自分の一部として存在してきた勉強への懐疑は、ある種Kにとっては自分の存在理由への問いともいえる事態でもあった。

 「そもそもなんで生きてるんや?」

Kは虚無感に包まれ、深い海へとどんどんと引きずり込まれ光を失っていった。

Kはここから三年にわたって暗い海の中を彷徨うこととなる。
彷徨うというよりは、沈む、いや「溺れる」という表現がいいかもしれない。
海の底へとただただ沈んでいくというよりは、やはり希望の光を探し求めて藻掻いていたように思う。その状態は溺れていたと表現できるだろう。
しかし藻掻くといっても、悩みを誰かに相談するというような救いの求め方を思春期のKは選ぶことができなかった。その頃のKの唯一の心の拠り所となっていたのは映画であった。中三から高二の間、Kはひたすらに映画を観ていた。

なぜあれ程までに映画に惹きつけられていたのかは、当人もわからないところが多いのだが、まず一つには、映画の中の人びとの姿に生きる意味や進むべき道筋を探し求めていたことがあるだろう。

そしてもう一つ。数時間異世界に誘ってくれ、また多くの情報量を流し込んでくれる映画は、現実を忘れる格好の素材だったということもあげられるように思う。情報の渦に巻き込まれることで、Kは意味と無意味の狭間の海溝で溺れることができていたのかもしれない。


 高一の冬、映画の世界に浸るうちに脚本をめくったり、音声解説に耳を傾けたり、映像表現や製作にも興味を抱くようになっていたKの目に、一つのニュースが目にとまる。日テレの『明日、ママがいない』(2014年1月期水曜)というドラマが児童福祉の関係者から強い抗議を受けるなど、燃えに燃えているという話題である。普段日本のドラマなど殆どみないKだが、この一件にどうしてか引っかかりをおぼえ、一連の騒動を追うようになった。

この問題を解するために作品の背景となっている児童福祉や児童養護施設について調べるなかで、どうにも腑に落ちない点が少なからず出てきたKは、現場の方に話を伺いたいと考えた。どちらかといえばシャイな性格のKがなぜそれを行動に移せたのかは定かでない。なにはともあれKは家庭相談センターというところにアポイントをとり、職員の男性とお話しする機会を得た。

 この出会いがKの人生を大きく動かすことになるとは、無論この時誰一人として知る由もありません。


 どれくらいお話しさせてもらっていたのか、Kの記憶は曖昧である。児童福祉についての生の声を聞かせていただいた後、ともかくはKはこんな質問を場に投げた。

 「何かいまの自分にできることはあるのでしょうか?」

職員の方は暫くの沈黙の後、Kの目を真っ直ぐ眼差してこう仰ったのだった。

 「高校生のあなたにもできることはあると思います。でも、あなたが色々なことを学んで、様々な世界を知って、その上でこの領域に関心を寄せてくれるのだとすれば、その時には、いまのあなたにはできない、あなただけの貢献の仕方があるかもしれません。」

 Kはこの時初めて知ったのだ。
誰かのために学ぶということを。誰かのために生きるということを。

社会のために勉強する。名前も知らぬ誰かのために勉強する。この考えがストンと腹落ちするのはKは実感していた。

人はそれぞれ多様な環境で生まれ育ち、異なる性質や特性をもっている。Kは偶然、好きなだけ学ぶことを許される恵まれた環境に生まれ落ち、勉強することにもそれなりの適性があった。自信のもっているものを活かすことで、誰かの生を豊かにし、社会を少しでもよくすることができるのならば、それはとても幸せなことではないだろうか。


 Kにとってその一言は、大海に差し込む一条の光だった。

好奇心から承認欲求へと変貌し破裂した勉強する動機は、三年の時を経て、社会貢献・他者貢献という新たな装いで復活を遂げたのだ。見出した意味。それは何よりKの生きる支えともなるものでもあった。


 学ぼう。生きよう。

心からそう思っている。水面に顔を出し、大きく息を吸ったKの頬を涙がつたった。


 「なんで勉強するしなきゃいけないの?」 
もし中高生にそう問われたなら、Kはきっと、あの日の自分に向けられたような真っ直ぐな眼差しで、「勉強するのは誰のため?」という問いを投げかけ、対話し、ともに悩むことだろう。


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 最後にKのその後について記しておこう。Kは京都大学の文学部に希望通り進学し、西洋哲学史を学ぶ。学外でも教育や地域のフィールドに実践的に関わりながら学びを得た。いずれも直接、児童福祉とは関わりがない。

 ところがそんなKはある時から、縁あって、障害者福祉を中心に広く福祉に携わるようになる。そしてその関わり方は、勉強をしなかったKにはできなかったであろう、自分の個性や持ち味もしっかりと反映させることのできる独特な仕方のようにKは感じていた。

 勉強はやはり無駄ではなかったようだ。少しずつそう感じる機会も増えていた。と同時に、その感覚はやはり児童福祉に関わることでしか、言い切りには変わらないのかもしれないと思ったりもするらしい。

 児童福祉に呼ばれ始めたのだろうか。そんな考えが時折Kの頭をよぎるという。


 Kがこの後どのような道をたどるのか、まだ誰も知らない。

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