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私が”妻”だったら


今、安野モヨコさんの『くいいじ』(文春文庫)を読んでいる。



タイトルからして私にぴったりだし、内容も食に関するエッセイ集(しかも毎話ごとにイラスト付き!)という、読まなければならないくらいの一冊だ。

初版は2013年ともう十年も前。実際に大学図書館でこの本を手に取った記憶もある。しかし当時は読破しなかったらしい。


こんなに面白いのになあ、私の感覚も変わっていないようで変わったのかなあと不思議に思いながら読み進めていくと、40ページを越えたあたりでかぼちゃについての言及を発見した。どうやら安野さんは子どもの頃、芋・栗・南瓜といった甘い野菜が食べられなかったらしい。


野菜なのに甘いって何!! くらいに思っていた。

同書、42頁。



そこから4ページすすむと、かぼちゃが単独テーマとなった「カボチャとの対峙」が! しかし内容としては〈苦手な食べ物は美味しく作れない(その逆も然り)〉といった感じだった。


……もしかして、かぼちゃに対する認識の違いで読むのをやめたとかではないよね……? 確かに私の心は針の穴くらい狭いけども、さすがにねえ?



****

しかし、だとしたらもったいない! と当時の私には言いたい。

なぜならその後も幾度となく「かぼちゃ」というワードが出てくるからだ。


なかでも興味をそそられたのは、マザーグースに「かぼちゃの家に住む男」に関する一篇が存在するという情報。マザーグースはハンプティダンプティしか知らないため、卵だけでなくかぼちゃもあるのか!と速攻で検索した。


Peter, Peter, pumpkin eater,
Had a wife and couldn't keep her;
He put her in a pumpkin shell
And there he kept her very well.

一部引用


かぼちゃ好きのピーターは妻とうまくいっていない。そこでかぼちゃに閉じ込めたところ、円満解決したらしい。マジか(マジとかそういう話ではない)。



そんなうまい話があるかい! と咄嗟にツッコんでしまったものの、冷静に考えてみると意外とナシではない気がしてきた。

かぼちゃの馬車ならぬ、かぼちゃの家。魔女による条件発表もないため、半永久的に住めるかもしれない。え、いいじゃん。


この歌は引用していない後半部分が肝なのかもしれないが、かぼちゃの家も捨てがたいなあと思ってしまうのだった。


家具もかぼちゃモチーフなのかな、それとも洋館にありそうな厳かな感じかな。もちろんかぼちゃは常に用意されていて、本棚にはかぼちゃに関するあらゆる書物が入っていて……。



そうそう、その日の体調や気分に応じたかぼちゃ料理が自動的に出てきてくれたらなおのこといいな……ってそれは馬車の魔法に引っ張られすぎだろうか?

 

さらなるかぼちゃを探しつつ、その他のお話も引き続き味わっていきたい。


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