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バックパッカーズ・ゲストハウス⑩「旅立つ前に」

前回までのお話https://note.com/zariganisyobou/m/mf252844bf4f2

 私が雇われた立ち飲み屋は、元々野球中継を流し、おでんを出すような店だったのを、不良のイスラエル人が買い取り、自分好みにDIYした結果、昭和とサイケデリックが混在する空間になっていた。狭くてL字型のカウンターに八人並べば満席の店だが、大通りに面した路面店なのと、三百円から飲めること、同じようなスタイルの競合店が少なかったことが要因で同時に二十人も三十人も客が入ることも珍しくなかった。そうなるとギュウギュウに詰めても当然店内には収まりきらず、店前の通りに人が溢れた。店員も客も、そこまで含めて店舗だと思っている節があり、我が物顔で道を占拠するのでたまに苦情が入った。警官が注意しに来ることもあったが、ぬるい街なので本当にひとこと注意するだけで帰っていった。
「半年後には辞める」という条件で働き始め、実際には一ヶ月オマケして七ヶ月働いた。
 二〇〇九年の二月、思い立ってから、ほぼほぼ一年後に、私はようやく風来坊になった。

 旅立つ前に、問題が二つあった。ひとつは結局金が全然貯まって居なかったこと。立ち飲み屋の給料は悪くなかった。時間八百円で、途中から九百円に上がった。愛媛ではいい方だった。月に一五万から二十万弱手取りがあって、かなりクセのある性格だが、根はいい人だったイスラエル人のオーナーは、最後の月の給料には色も付けてくれた。夜は仕事なので、フラフラと飲みに行くこともなく、昼夜逆転の生活で競輪とも遠ざかっていた。実家暮らしで月に四万家に入れていた。それと一万円程度の携帯代。固定の出費はそれぐらいのものだった。風俗に行くわけでもなく、酒にもギャンブルにも使っていないとなると、何にお金を使っていたのか分からないが、自分の出費をちゃんと把握していないという時点で、私にはお金を貯める才能がないのだろう。

 もうひとつの問題は、彼女が出来ていた。可愛くて綺麗で面白くて頭が良かった。付き合いだして二ヶ月ぐらいで、そんな女を置いて、明確な理由も無く旅に出るのは、意味が分からなかった。それでも、計画を変えるつもりはなかった。気丈な女で、飲食店で働きながら司法書士を目指していた彼女は、私が東京に行っている間、
「試験勉強を頑張る。本当は彼氏を作ってデートなんかしている場合じゃない」と言った。

 立ち飲み屋で働いた最後の月の給料は、お互い実家暮らしだったので、ラブホテルに行って消費した。それと、彼女が学生時代に過ごした街に一緒に旅行に行った。旅行先で飲んだスミノフのボトルキャップの下に付いているリングを、指輪代わりに巻いてやると、とても喜んだ。普段人に喜んでもらうことなんて、なかなかない私は、それで調子に乗って、本物の指輪を買って彼女にプレゼントした。二月の頭に仕事を辞めて、二月の後半までそんなことをしながら過ごした。それでいくらも残らなかった。

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