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ジョン・レノンの愛した女性たち - 失われた週末と分人主義から考える -

人は同時に二人のひとを愛することが出来るのでしょうか。

映画『ジョン・レノン 失われた週末』を観て考えました。
そして、「愛することが出来る」と思いました。

実りのある週末

「ジョン・レノンが愛した女性」と聞いて多くの人が思い浮かべるのはヨーコ?シンシア?
2024年5月に日本で公開された映画『ジョンレノン 失われた週末』では、ヨーコでもシンシアでもない女性 “メイ・パン” とジョンの愛の物語を垣間見ることができました。
ジョン・レノン、そしてビートルズのファンにとっても初めて知る事実がかなり詰め込まれていて、非常に見応えのある作品でした。

ジョン・レノンは1969年3月に小野洋子と結婚し、ビートルズ解散後アメリカへ活動の拠点を移しますが、1980年に悲劇の死を迎えるまでずっとヨーコとべったりだったかというと、そうではありません。
1973年秋から1985年の春までおよそ18ヶ月に渡りジョンとヨーコは離れて暮らしており、その期間のことを私たちは一般的に『The Lost Weekend - 失われた週末』と呼んできました。
この期間中、ジョンは「ハリウッド・ヴァンパイアズ」と呼ばれた酒飲み仲間たちとアルコールやドラッグ漬けになり、滅茶苦茶な生活をしてい(た時期があり)ました。
そしてジョン自身が「ヨーコと一緒に暮らすことができなくてひどく惨めだった」という文脈で、1945年のアルコール依存症の人物が主人公のアメリカ映画のタイトルを拝借し "The Lost Weekend" と語りそれが定着したようですが、今回映画を観て「果たしてこの18ヶ月の総称としてそれは正しいんだろうか?」と疑念を抱かずにはいられませんでした。

映画や書籍でメイ・パン目線の史実が公開されるまで、大方の味方としてはジョンのこの18ヶ月は『ヨーコに愛想を尽かされて追い出され個人秘書を伴ってロサンゼルスへ移り住むよう促され、ヨーコの元に帰りたいのに戻らせてもらえず生きる意味も目的も見失い酒に溺れていたどうしようもない期間』みたいな捉え方をされていたのではないかと思います。
個人的な感想になりますが、映画観賞後はその印象に加えて『メイ・パンとの恋愛関係を構築し前妻シンシアとの間に生まれた息子ジュリアンとの親子関係を修復し、ビートルズ時代に許されなかった無茶をちょっと過剰に楽しんでしまい自暴自棄になったりもしながら人間関係も音楽活動も自由にできた18ヶ月』という側面が追加されました。
よって、まったく『失われる』どころか『実りある』週末じゃないか!と思いました。

当時のいくつもの写真や映像、そして音声を伴いながらメイの目線で赤裸々に語られる事実はすべてが刺激的で、次々に投下されるイベントに息つく暇がありませんでした(心身ともにエネルギーがある時に鑑賞されることをお勧めします)。

この18ヶ月についてはこれまでジョンがどこで何をしていたのが事細かに語られることはほとんど無く、個人的にはこの期間にリリースやレコーディングされた3枚のアルバム『Mind Games (1973年)』・『Walls And Bridges 心の壁、愛の橋(1974年)』・『Rock 'n' Roll (1975年)』の制作現場や背景は「結構めちゃくちゃだった」とか「ヨーコとは別居中だった」という内容を見聞きする程度で「ジョン辛かったんだなー」くらいの印象でした。
ただ、その後ジョンは主夫として表舞台からは姿を消してしまい、オリジナルアルバムも1980年の『Double Fantasy』まで待つ必要があったので、「この時期に音楽活動を積極的にしてくれてたのは良かったよな」という感想は抱いていました。

今回改めてこの期間の彼の生活を知ると、それらのアルバムはこの18ヶ月がなければ誕生してなかったかもしれないし、ジョンがプロデュースした飲みすぎ友達のハリー・ニルソンのアルバム『Pussy Cats』も制作されてなかった可能性もあったんだ!と思わせれました。
そしてそのアルバムのレコーディング現場には、リンゴ・スターが居ましたし、なんと “ジョンとスティービー・ワンダーがセッション(!)しているところ” に “ポール・マッカートニーとリンダがやってきた” という衝撃的すぎる事実も明らかになり、数々のパワーワードと妄想で情緒は乱れっぱなしでした。

YouTube "ジョン・レノン 失われた週末"  TRAILERより

今回の映画『失われた週末』の中では、ビートルズ解散後不仲を極めているとされていたジョンとポールの再会について、メイが撮った二人が一緒にいる写真と、その時の貴重なジャムセッションの音源を聴かせながらメイが語ってくれます。
ジャムセッションではポールはリンゴのドラムセットを叩いていて(泣ける)、ソロ作品を通じてお互いに罵り合っていた二人とは思えないやりとりからは和やかな雰囲気が伝わってきます。

メイは、ポールとリンゴだけでなく、この期間にジョージにも会い「ジョンはメイと一緒にいて良かったね」と言われた事も明かしていますので、もしこのジョンのメイとのロサンゼルスでの生活がもう少し長く続いていたら、ビートルズの4人 ”ジョンポールジョージリンゴ” がふわっと集まってセッションをするようなこともあったかもしれないな…と、これまで全く考えが及ばなかった類の妄想を抱くことができました。

実際に、ジョンがヨーコの元へ突然戻ってしまう直前に、ジョンはメイに「
自分がまたポールと曲作りをしたらどう思う?」と尋ねており、更に二人でポールとリンダの新作アルバムの制作現場を訪ねようという計画も口にしていたそうです。
もしかすると、ウイングスの『Venus and Marsにジョンが参加する未来があったかも知れないのです!

L.A.でのジョン

そんな妄想を抱かせてくれる 1974年の突然のポールの訪問は、もちろんジョンに会いにやってきたというのが最大の理由ではありますが、その時ポールはヨーコからジョンへの伝言を託されていました。
わたしとしては、こんなビートルズの解散からすぐの早い時期に、犬猿の仲っぽいイメージのポールとヨーコが接触しやりとりをしているなんて想像もしていなかったので、結構衝撃でした。
ジョンに会いたくて堪らないポールとジョンに自分のところへ戻ってきて欲しくてじりじりしているヨーコの、お互いの利害が一致した結果なのかなと想像してヒリヒリしました。

その(メイが語る)ポールが持ってきたヨーコからジョンへのメッセージは、結構「なにそれ?」と思うような内容で、ジョンじゃなくても「はい、分かりました」と許容できるものではない気がしました。
どんな内容だったか気になる方はぜひ映画でご確認ください。
ヨーコって本当に強いなー、と痺れました。

ヨーコから発信されたり、ヨーコの隣にいるジョンから語られてきた『失われた週末』は、”ジョンは終始ヨーコのところへ戻りたがっていたのに「まだだめ」と突っぱねられていた” と表現されてきた気がします。
でも、この映画を見る限りではそんな一辺倒なこともなくて、ジョンとメイの恋愛関係は2週間程度で終わるだろうというヨーコの目論みに反し二人は仲を深め、それに焦ったヨーコがジョンとメイの様子を執拗に伺っている様子も浮かび上がってきました。

ジョンとヨーコの別居のそもそもの発端は、アメリカでの永住権獲得を巡る闘争のストレスや、”ミセス・レノン” としてしか見られなくなったヨーコの窮屈さに加え、ジョンの女遊びが大きな原因のひとつとなった訳ですが、そんな時に「今夫婦関係がうまく行ってないし、あなた恋人いないんならジョンと付き合ってよ」と自分たちの個人秘書に依頼するなんてことは、わたしからすると結構冗談きついなと思うんですが、そんなことを突然サラッと真顔で言ってのけるのがオノ・ヨーコなのです。強すぎます。

この辺りのジョンとヨーコのすれ違いについては『ジョン・レノン ニューヨーク』というドキュメンタリーでも軽く描かれています。
今だとアマプラ会員なら無料で観られますので、気になる方はこちらの作品もご覧になってみてください。

そんなつよつよのヨーコから奇想天外な提案というかミッションを課せられたメイ・パンは、まぁ普通の感覚だとそう思って当然だと思いますが、最初は “雇い主でヨーコの夫であるジョン” とそんな関係になるなんてありえないと思っていたようです。
しかしジョンと二人で過ごすうちに、彼が自分を必要としているんだということをはっきり感じることができて、ジョンを受け入れることとなります。
仲を深めたジョンとメイは、ジョンの提案でヨーコから離れたロサンゼルスに行くことになったそうですが、ここもわたしのこれまでの認識とは違っていて、二人は積極的に・能動的に恋愛関係を築いていったんだなと興奮しました。

「お金がなくたって楽しく暮らせる!」みたいな青くさいジョンとメイのことを甘酸っぱくも感じましたが、そうは言っても自分の母親のようなメンター的な存在であるヨーコと離れ離れになったジョンは、進むべき道を見失い不安になり迷ったり恐怖を抱いたでしょうし、それで毎晩仲間達と飲み歩くこともあり、酷い酔い方をしてメイも一時的に側にいられなくなったりもしていたようです。

そういう「いい時も悪い時もある」みたいな波が非常に短いスパンで訪れるジェットコースターのような日々に対峙していると、心身ともに壊れてもおかしくないような気がするのに、20代のメイはアルコールにもドラッグにも手を出さず、ただジョンの横に座り、いつも笑顔で彼を支えているようにわたしの目には映って、メイもまたヨーコとは違った強さを持っている女性だと感じました。

そして、ジョンからより深く愛されるたびにメイはどんどん美しくなっていき、その彼女の姿を見てジョンとメイの結びつきの強さをリアルに体感できました。

メイ・パンはジョンの音楽仲間へ間口を解放し、ビートルズのメンバーのみならずスティービー・ワンダー、エルトン・ジョン、デヴィッド・ボウイなど錚々たるメンバーとのセッションや共作のチャンスを作り出しました。

エルトン・ジョンが参加した『真夜中を突っ走れ - Whatever Gets You Thru The Night 』はジョンにとって初めての全米No.1 ヒットシングルとなり、またその結果がもたらしたマディソン・スクエア・ガーデンのエルトン・ジョンのライブへのゲスト出演が、結果としてジョンとヨーコがヨリを戻すターニングポイントになりましたが、ジョンの側に “ロックン・ロールが大好きで音楽に詳しく社交的なメイ” がいたことは、私たちファンが彼の新しい作品をいくつも聴くことができた理由のひとつであることは紛れもない事実だと思います。

またメイは、ジョンの一人目の息子であるジュリアン・レノンが、父であるジョン・レノンと交流できるように取り計らい、ビートルズ時代に父親的なことができなかったジョンの後ろめたさと、両親の離婚後父親に自由に会うことのできなかったジュリアンの寂しさを、その笑顔と愛と対応力を持って解消していきました。

それが父と子にとってどれだけ重要な時間であったかというのは、その後もずっとジュリアンとメイが仲の良い付き合いをしていること、そして、ジュリアンの母であるシンシアとメイがお互いを信頼し合える仲になっていたことに現れていると思います。

ジュリアンが2022年に11年ぶりにリリースしたアルバム『ジュード -JUDE 』のジャケットは、メイが撮った当時のジュリアンの写真だそうで、そんなところからも彼らの結びつきの強さが伺えます。

Julian Lennon - Jude (Full Album)

映画のラストで「シンシアへ やっと真実を語れる」というメイの言葉が流れますが、同じジョン・レノンという人間を愛し、彼に愛された女性として、メイとシンシアの間には共有できる想いがたくさんあったんだろうなと思うと、これまでシンシアとジュリアンに対しては気の毒だなという気持ちが大きかっただけに随分救われた気がしました。

映画の中でメイとジュリアンが肩を寄せ合って歩く姿を見て、もし、ジョンがもっと長く生きてくれていたら、ジョンとメイは、ジョンとジュリアンは、そしてジョンとビートルズは、果たしてどんな関係性を新たに築くことができていたんだろう、と思いを馳せました。

ジョンの愛した女性たち

ジョン・レノンの愛した女性たち

今回この映画を見て、ジョン・レノンを巡る3人の女性について考えました。
まず、最初の妻のシンシア・パウエル、二人目の妻ヨーコ・オノ、そして今回その存在感が一気に増したメイ・パン

メイはこれまで『ヨーコ公認の愛人』なんていう不名誉な名称で語られてきましたが、そんなサブキャラ扱いしてはならない重要人物であることが明らかになりました。

シンシア、ヨーコ、メイ、3人とも、ジョンが愛した女性です。

ジョン・レノンの愛した女性たち - Mihowell

ジョンを巡る3人の女性との関係を簡単に時系列にしてみましたが(赤字はその当時のビートルズの活動内容)、それぞれ個別にまとめるにはかなりの時間を要するので、またいつか改めて追えるといいなと思います〈課題〉。

映画『ジョン・レノン 失われた週末』の公式サイトには、映画を鑑賞された著名人の方々のコメントが紹介されています。
その中に、特にわたしの目を引いたコメントが二つありました。

ひとつは音楽評論家の星加ルミ子さんのものでした。

ヨーコの束縛から逃れ自由になった時、
それ迄したいと思っていたことを実現させてはみたものの、
ヨーコなしには、これからの方向を決められないというジレンマが、
ジョンの中に見え隠れしている、と感じた。

映画『ジョン・レノン 失われた週末』公式サイトより

ビートルズでなくなった後の自分の姿を思い描くことができなかったジョンを導き、呪縛から解き放ってくれたヨーコの存在は、ビートルズの後期以降彼が生存するためになくてはならなかったものですが、それは同時に別の見方をすると一種の束縛とも紙一重のもので、お互いを自由にしながらもお互いの自由を奪うものになっていたのかもしれません。

そんな時にひとりの人間、”個” としてのジョンレノンを受け止め愛してくれたのがメイ・パンだったのかな、と思います。

その頃世間的にもジョン自身の意識的にも、ジョン・レノンという存在はヨーコとセットで見られたり語られることが多かったんじゃないかと思うので、そこが切り離された上で、「個人としてのジョン・レノンでも大丈夫なんだ」と思わせてくれたのがメイなんじゃないかと想像すると、その後ジョンがヨーコの元に戻り表舞台から去りひとりの父親として暮らすことを選択できたのも、メイが与えてくれた自信や自尊心のお陰なんじゃないかなと思います。

自分は何をしていてもジョン・レノンで、たとえ肩書きのないどうしようもないジョン・レノンでも、愛されるに値するんだ」と思えたのは、この時期にメイが側にいてくれたからなんじゃないかと、今は感じています。

そして、もうひとつ目に止まったのは湯川れい子さんのコメントです。

ジョンはメイパンを愛し、
また同時にヨーコにも、常に特別の愛情と関心、
そして同時に畏怖心を持っていたのではないか、と思う。
人は同時に二人の人間を
心から愛すると言うこともあるのかもしれない。

 映画『ジョン・レノン 失われた週末』公式サイトより

これはヨーコとも親交のあった湯川さんだからこそ言える重みのある言葉だなと思いました。

「人は同時に二人の人間を心から愛するということもあるのかもしれない」ということには同意しますし、わたしはこれまで見聞きしてきた内容から妄想することしかできませんが、ジョンの “ヨーコに対する愛” とジョンの ” メイに対する愛” は、ちょっと違ったタイプのものじゃないかと感じています。

ジョンが他界する直前の1980年のインタビューを読んだりしていると、ジョンのヨーコへの愛は母親や家族に対する愛とか、もっと大きな神への愛みたいな雰囲気さえ感じますが、1975年に離別してからも実はずっと会っていた(!)というメイ・パンに対するジョンの愛は、ヨーコへの愛とは違った類の、異性への愛、純粋な男女間の恋愛的な性質に思えます。
ジョンがもっと長く生きていてくれたら、そのメイパンとの関係性もどんな形に育っていったんだろうと考えずにはいられませんでした。

古代ギリシャでは愛は7種類とか8種類あったなんて聞きますし、個人的にも『愛』と一言でいっても、対象によってフィーリングは随分変わってくる気がするので、愛にはかなりグラデーションがあると感じます。
だから、ジョンは多分この時期 “ヨーコのことも愛していて、メイのことも愛していた” んだろうなと、違和感なく思えてしまいます。

パンフレットにはメイ・パンと湯川れい子さんの対談も掲載されていて、映画では語られていない更に突っ込んだ具体的で興味深い発言も読むことができます。
映画をしっかり振り返ることもでき、内容を補完することもでき、メイ・パンのことを深く知ることもできてかなり読み応えがありますので、映画が面白かったなと思われたらぜひパンフレットを購入されることをおすすめします。

メイとヨーコとでは、当たり前だけどジョンと音楽を作っていく上での関わり方も違うし、メイはそれを主体的にやっていて、決して「ヨーコに指示されて」とか「ヨーコ公認の愛人」みたいな表現で片付けられるような存在ではないんだと、映画を見て・ジョンの残した音源を聴いて気づくことができました。
そして、彼女を知ることでまた新たなジョンの一面を垣間見ることができたので、とても良い映画体験でした。

ジョンレノンと分人主義

人は、「誰といるか」とか「どんな環境に置かれているか」によって自分の人格や振る舞いが変わるということが、誰しも普通にあると思います。

作家の平野啓一郎さんは『私とは何か - 個人から分人へ』の中で、「『たった一つの本当の自分など存在しない/裏返して言うならば対人関係ごとに見せる複数の顔がすべて本当の自分である(Mihowell 抜粋)』と考えてみるのはどうだろう」と提案されています。

ジョン・レノンと分人主義

わたしはこの『分人』という考え方がとても好きで、自分もこの考え方に乗っ取って生活していると、とても生きやすく気持ちが楽です。

“Mihowell” と名乗っている今のわたしも、わたしの中の分人のひとりで、 ”とにかくビートルズが好きで、それを誰かと共有することに喜びを感じる” ということに特化している分人です。
例えば職場の同僚はこの分人については一切知りません。
そんな感じで、多くの人の中には数や程度は違えどいくつかの分人が存在しているんじゃないかと考えています。 
だからこの考え方でいくと、ジョンにもいくつもの分人がいて、ヨーコと一緒にいる時の分人・メイと一緒にいる時の分人、それぞれのジョンが、それぞれに違った愛の形で、それぞれの女性を愛していたんだろうなと自然に思うことができます。

まとめ

メイから見たジョンの姿は、わたしがこれまで想像していたビートルズ解散後のジョンのイメージとは少し違っていて、ちょっと知らない人みたいに思えることもありましたが、多分ジョンに接した人たちそれぞれが抱いているジョン・レノンの姿は他にもいくつもあるんだろうし、映画を通してそんな新しいジョンを垣間見ることができて幸せでした。
ジョンとメイが二匹猫を飼っていて、その名前が “メジャー” と ”マイナー” だった♡みたいな細かいエピソードを知ることができたのも喜びでした。

映画は2024年6月現在も全国の劇場で公開されていて、これから夏に向けて新たに公開されるところもあるようです。
気になった方は、お近くの映画館で観るチャンスがあればぜひ行かれてみてください!

明後日6月18日はポールの82歳の誕生日で、7月7日はリンゴの84歳の誕生日!
そしていよいよ7月19日からは六本木でポール・マッカートニー写真展 “Eyes Of The Storm” が始まります。
ビートリーな暑い夏に向け、しっかりエネルギーを蓄えておきましょう!

▼少しだけ内容が濃いめの動画はこちら。


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