山泊りょう

作家、映像作家/枚方ィングプロデューサー/22世紀クリエイター 著書『22世紀紀行 …

山泊りょう

作家、映像作家/枚方ィングプロデューサー/22世紀クリエイター 著書『22世紀紀行 世界は反転する』『奪還父さんブライアン①②』『ヒダ塾』ほか

マガジン

  • 自分を好きじゃない君へ

    それぞれの自分を好きじゃない理由を深掘りする

  • 日本武道館への道

    普通の人が、日本武道館でライブをやるまでの軌跡。

  • つまり、そういうことだ。   「これ」は何なのか?の決着

    幼い頃から抱きつづけていた謎 「何のために生きているのか」 「何のために世界(宇宙)は存在しているのか」 「正しい生き方とは何か」 これらが感覚的に決着した。 一生、とけないと思っていた謎が解けた。 答えは知識的に理解するものではなく、 感覚的に掴むもの。 そこの感覚に「居る」ための案内を遺す 生きているということのチュートリアル。

  • 〈22世紀紀行〉世界は反転する

    22世紀がはじまったことに、あなたはお気付きだろうか。 22世紀とは、2101年以降のことではない。これから確実に来る、「今とは違う価値観の世界」のことだ。 22世紀型ライフスタイルで今日を生きる作家が「22世紀の世界」を見聞して得た知見を記録する反転の断片集。

  • 〈令和風土記〉 地球のシバき方

    「好きに生きる」とは何か。好きに生きていると嘯きながら、自分を押し殺している人間は登場しない、ほんまに好きなように生きている人間の実態だけを無修正でお届けする22世紀民俗学の最重要資料となる文体。後世に遺したいリアルな令和の実態を綴る。 話数を重ねるごとに価格が上がるので、早めの購入がお得。第一話は全編無料。

最近の記事

ライオンは、どこにいる

私は著述家であり、映像作家である。 自分で作品をつくることを生業としている者だ。 クライアントとの関係性や、私自身がこれまで積み上げてきたキャリアのお蔭で、経営者のコンサルティングもご依頼いただいている。クライアントの会議にも出席する。飲みに誘われたら喜んで行くし、自分が主催する交流会もある。 セミナーや講演の要請もある。そのためには原稿づくりや調べものも必要だ。 さらに営業も担当しており、小さな会社ではあるが、全社員の生活を支える売上を、ひとりで上げている。 社員

    • 日本武道館への道④ はじめて知った会社のファンになる

      ミュージックビデオは完成した。 三和電気株式会社の皆さんが、どのように世の中を支えているのかも表現できた。 皆さん、喜んでくださっている。 だけど、まだ終わりじゃない。 むしろ、ここからが始まりだ。 本人たちが自覚するだけでは、足りないのだ。 蔭で社会を支えている人たちを讃えたい。 そのためには、「讃える場」が必要だ。 このANTHEM(アンセム)は、ひとつの会社やネットの片隅だけでなく、多くの人に聴いてもらいたい。 影で頑張ってくれている人のカッコ良さを伝え、みんなが当た

      • 若い女が「モテる」と言うには

        「私、セックスする相手に困ったことがないんだよね」 得意げに話す彼女にかける言葉がすぐには見つからず、私は軽く途方に暮れた。 私は可愛いし、ノリが良いからモテる、と彼女は続けた。 20代、女子大生。向上心と好奇心の赴くまま、誘われるままに何処へでも顔を出し、軽妙かつ明け透けな会話で男たちの座に興を添えつつ気を持たせる。 彼女が「モテている」と自認するのも無理はない。 さて、「モテる」とは何だろうか。 その価値観を彼女に分かる(受け容れられる)ように語るのは至難に思える。

        ¥1,000〜
        • 日本武道館への道③ 会長は、まだ現れない

          インタビューを無事に終えた我々は、いよいよ撮影のフェーズに突入する。 候補に挙がった二つのメロディのうち、どちらが良いか選んでもらい、選択されたメロディラインをつかってオケをつくっていく。 同時並行で、歌詞も作成する。 それまで聴き取った皆さんの話、録音を何度も聴き直しながら、またノートを読み返しながら言葉を紡いでいく。 当然、全員が話した言葉をすべて詰め込むスペースはない。 だから詩として集約していくのだ。 例えば、 ・志なんてない ・食わなきゃいけないから

        ライオンは、どこにいる

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        • 自分を好きじゃない君へ
          6本
          ¥1,000
        • 日本武道館への道
          4本
        • つまり、そういうことだ。   「これ」は何なのか?の決着
          24本
        • 〈22世紀紀行〉世界は反転する
          25本
        • 〈令和風土記〉 地球のシバき方
          1本
          ¥300
        • 〈実録〉奪還父さんブライアン ―片親疎外・子供拉致と戦う話
          55本

        記事

          日本武道館への道② 「志」なんて、ねえよ

          仲間とともに意気揚々と乗り込んだ三和電気株式会社。 社長は笑顔で出迎えてくれた。 社員さんたちが集まり、まずはグループインタビューがはじまる。 宮崎社長の志、そして代々受け継がれてきた社風を聴いていた私は、社員さんたちに話を伺うのを楽しみにしていた。 違和感には、すぐに気がついた。 あれ? 何か、違う。 こんなはずじゃないのに。 聴きたい言葉が、聴けない。聴こえてこないのだ。 「なぜ、この会社に入ったのですか?」 「ただの町工場ではなく、タングステン加工のリーディングカ

          日本武道館への道② 「志」なんて、ねえよ

          日本武道館への道① 世界は、普通の人がつくっている

          【世界は、普通の人がつくっている】 「企業のミュージックビデオをつくる」 それを思いついたとき、理解を示してくれる人は皆無だった。 つくろうと思ったのは、 「私たちが暮らす世の中をつくってくれているのは、普通の人たちで、自分もその中の一人なんだ」 と天啓にも思える気付きからだった。 家も電車も歩道橋も、当たり前のように踏みしめている地面も、誰かが知らぬ間につくってくれたもの。 この、ごく当たり前のことを閃いてから、その「普通の人たちを讃えたい」という想いに取り憑

          日本武道館への道① 世界は、普通の人がつくっている

          それって、何の得があるの?

          自分に直接の利害が感じられないものを、 人は「自分事」としてとらえられません。 これは誰ひとり逃れられない、絶対法則です。 では何故、 赤の他人や会ったこともない人のために 自分の身を投げ出せる人がいるのでしょう。 特殊な人なのでしょうか。 聖人君子なのでしょうか。 違います。 「自分」ととらえる範囲が、 自分の皮膚や自分の家より外側まで 広がっている人なのです。 そういう人を見て「偽善者」と言う人がいます。 自分も本当はそうなりたいけど、なられない

          それって、何の得があるの?

          忘れられないことを、思い出せなくなる前に

          父がやってくるのは、いつも突然だ。 私は、物別れした恩人と実に十六年ぶりの再会をし、彼の変わりよう(ずいぶん陽気になった)に驚いたばかりだった。 なにせ以前の彼は猜疑と嫉妬、自己顕示欲が強く、人と出会っては物別れを繰り返していたので、再会することに躊躇いもあった。 彼は私より七つほど年嵩だったはずだが、十六年前と同じか、もう少し若いように見えた。 そこは何かの建物の脇にある、非常階段だ。 檻のような鉄柵に囲まれた階段に腰掛けながら、恩人を囲んで数人で暫くあてどもない

          忘れられないことを、思い出せなくなる前に

          人生も長くはない。 そろそろ無謀なチャレンジしよう。 一緒にやりたい人、募集。 来るものは選び、去る者は追わないスタイル。 https://youtu.be/TiSgZpdTctI

          人生も長くはない。 そろそろ無謀なチャレンジしよう。 一緒にやりたい人、募集。 来るものは選び、去る者は追わないスタイル。 https://youtu.be/TiSgZpdTctI

          つまり、そういうことだ㉔

          このように「限定されている」ということは、実にありがたいことである。 何のアイデアも出ないとき、白紙に一本、縦の線を引く。 左側に思いついたことを書いていく。 何も思い浮かばなければ、何も思い浮かばないと書く。 すると「なぜ思い浮かばないのか」という疑問が思い浮かぶので、それを書く。 そうすると、疲れているからかもしれないとか、気がかりなことがあるとか、いろいろ出てくる。 それらもすべて書く。 書いているうちに、思いつきたかったアイデアがパッと浮かぶ。 それを

          つまり、そういうことだ㉔

          つまり、そういうことだ㉓

          では自由とは、なんだ。 自由とは、拘束されていないことではない。 楽ができることでもない。 時間やお金が余っていることでもない。 だから仕組みをつくることでもない。 ましてや他人を動かしたり操ることなどではない。 ワガママを通すことかと言われれば、部分的には合っている。 ワガママしたほうが良いときにワガママできるなら、それは自由かもしれない。 ワガママしたくないときに、ワガママになってしまうなら、それは不自由以外の何物でもない。 自由とは、自分に必要な縛りを選ぶことであり、自

          つまり、そういうことだ㉓

          つまり、そういうことだ 22.5

          これは私が日常的に実践して感じていることだ。 瞑想は、意図的に意識を覚醒から眠りの中間の状態に向かわせ、認識に存在からのメッセージを受信させる行為。 それに対し祈りは、ふだん眠っている潜在的な意識(存在)を意図的に覚醒させ、状況、環境を巻き込んで自分の生命を目的に近づくように運行させる行為だ。 瞑想はやがて祈りとして覚醒し、祈りは集中するほどに瞑想へと近づく。 この二つを明確に立て分けることは出来ない。 同じ山を別のルートから登るようなものだ。 一つの行為の違う側

          つまり、そういうことだ 22.5

          つまり、そういうことだ㉒

          ここまで書いてきたことは、ほぼ一言(〓ひとこと)に集約される。 「おまえは、存在の玩具(〓おもちゃ)である」ということだ。 そして本来の「おまえ」とは、玩具ではなく、存在なのだということを伝えるために語ってきた。 しかし認識は玩具の身に収まっている。存在は、認識を通さなければ遊戯を楽しめない。 だからどうしても玩具の立場からしか物事を見ることができない。玩具は遊ばれているときのみに存在し、遊ばれていないときは放置されている。 放置状態のときは、パターン化された反応を繰り返し、

          つまり、そういうことだ㉒

          つまり、そういうことだ 21.5

          少し前の世代までは、自分のキャラクターに飽きるなどということは許されなかった。 最後まで「分相応」に役割を果たすことが美徳とされていたからだ。 キャラを変えるためには、環境をゼロからリセットしなければならなかった。高校デビュー、大学デビュー、社会人デビュー、ネットデビュー等、過去の自分を知らない人たちの中でしかキャラ変が難しかった。要するに「前からそういう奴」でなければ調子こけなかったのである。 しかし今日(〓こんにち)ではコミュニケーションテクノロジー(伝える言語)の

          つまり、そういうことだ 21.5

          つまり、そういうことだ㉑

          存在は「認識の外」に、その大部分がある。 認識は、存在の一部を表現している「デバイス」に過ぎない。 認識とは、おまえのことだ。存在とは、もっとおまえのことだ。 おまえは、認識というデバイスの画面に映る動画やポップアップ通知を自分そのものだと信じているが、それはおまえじゃない。 デバイスを見つめている存在こそがおまえなのだが、画面の情報に没入しすぎて、認識を自分そのものだと思い込んでいる。 それこそが、存在の遊戯の醍醐味なのだが。 おまえは、本当は何にでもなられる。 「なりた

          つまり、そういうことだ㉑

          世界はルールを変えた

          先ほど世界は、ルールを変えた。 今朝のことだ。 なくなったんだよ、カード類が一式ごっそり全部。 まあ失せものには慣れっこだ。昨晩、カード類一式をテーブルの上に出して見ていたのは憶えているが、そこから何処に仕舞ったのか分からない。 そのへんにあるだろう、と探しはじめたが見つからない。財布の中身もカバンの中身をすべて出した。 上着のポケットを探っていて「おっと、昨日着ていた服はこいつじゃない」と気づく。 昨日着ていたオーバーコートとズボンを引っ張り出してきてポッケをすべて裏返し

          世界はルールを変えた