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それって、何の得があるの?

自分に直接の利害が感じられないものを、

人は「自分事」としてとらえられません。


これは誰ひとり逃れられない、絶対法則です。


では何故、

赤の他人や会ったこともない人のために

自分の身を投げ出せる人がいるのでしょう。


特殊な人なのでしょうか。

聖人君子なのでしょうか。

違います。

「自分」ととらえる範囲が、

自分の皮膚や自分の家より外側まで

広がっている人なのです。


そういう人を見て「偽善者」と言う人がいます。

自分も本当はそうなりたいけど、なられないと

思い込んで嫉妬してしまう人です。


私は長らく、

この「嫉妬の人生」を生きてまいりました。

見栄を張って寄付をすることもありましたが

せいぜいポケットの小銭。

それも全部ではなく、一枚だけ。

それでも息切れするような感覚をおぼえていました。


そんな私に訪れた、

不思議な体験をお話しします。


ある時、

あれはなんの気まぐれだったのか

私は千円札を寄付したのです。


その日、私は千円札を握りしめて

昼食を食べる店を探していました。

なかなかコレ! という店が見つからず、

昼休みは終わりに近づいています。

いつもなら妥協して

適当な店を見つけて入るのですが、

その日は何故かそれをしたくなかった。


何故なら、その千円札は

私にとって「虎の子の千円」だったのです。

当時、起業したばかりで本当にお金がなく、

信用もなく、誰にも相手にしてもらえませんでした。

当然、仕事もなく、銀行に預金は数百円、

財布には千円札いち枚と小銭しかありませんでした。

生きるため、日雇いのアルバイトに身をやつし、

現場では個人名を呼ばれることなく

「バイトくん」と呼ばれながら

日に数件の引っ越しをこなしていたのです。


貧しさが極まって

「ちまちまこの千円を使うより、

    食いたいものを食って自分を活気づけよう」

という謎の思考になっていました。

そして千円しか持ってないのに、

究極のメニューを探していたのです。


昼休みは残り15分となりました。

食べるのが早い私は、

5分もあれば十分食事ができますが

どうしても店を決めきれません。

現場にすぐ戻られる範囲で

おろおろと彷徨っていると

大型犬を数頭つれて突っ立っている

さえない若者ど出くわしました。


「殺処分される犬猫を救いたい」

そんな看板の隣に立って、

胸の前に募金箱を掲げています。

道行く人は、誰も彼の前に立ち止まりません。

一瞥する人はいても、足を止める人はいないのです。

私は立ち止まり、そんな彼を観察していました。

彼は私に「動物はお好きですか?」と

笑顔で話しかけてきます。


ペットを飼う価値観がまったく無く

1ミリも共感しない私は

「殺処分なくしたいんやったら

    ペットショップを無くさんかい。

    ペットを飼える人は免許制にして

    責任取れる人間にだけ飼うことを

    許したらええやろ」

と荒唐無稽な批判を(心の中で)のたまい、

その場を立ち去ろうとしました。


その時です。

私にひらめきが舞い降りました。

この「虎の子の千円札」を

この募金箱に突っ込んでしまおうか。

そんなアイデアが舞い降りたのです。

究極のメニューが見つからないならば

究極に「どうでもいいこと」に

使ってしまおうか。


急に、

「自分がしたことのないこと、

    思いつきもしなかったことをするチャンスだ」

そんな想いに取り憑かれたのです。

私はポケットからしわくちゃの札を取り出し、

シワを伸ばして折りたたみ、

何も言わずに彼の募金箱へ入れました。


午後の仕事は空腹の中、

苛烈を極めました。

身体はクタクタ、頭も回りません。

しかし

心には充足した感覚がありました。

アレは何だったのでしょう。


現在、私は

大金持ちではありませんが、

何不自由ない暮らしができています。

多くはいませんが社員を抱え、

「志」を立てて、それを実現するために

毎日、嬉々として働けています。

千円札を募金することに躊躇いはなく

毎月、個人口座からはいくつかの団体から

定額の寄付が引き落とされます。

100万円以上の寄付も三度ほど経験しました。


「どうして、そうなられたんですか?」

と聞かれると、どうつながっているのか

上手く説明は出来ないんだけど、

あの日、なけなしの千円をにぎりしめて街を

彷徨っていた自分が思い浮かんできます。

どうしても、あそこが転換点だったように

思えてならないのです。


ひとりで生きていた私が

「自分」という存在を多少なりとも大きくし

世界とつながる扉を開けたのは

あそこがはじまりだったのではないか。

気持ちよく原因と結果をむすびつけて

説明できませんが、

感覚はそれを確信しています。


私の友人に

このような他者のための行動を

日常的に行っている方がいます。

「世界は思いやりだけで上手く回る」と信じ

みんなに「ねーさん」と呼ばれ、慕われる

その人が、いま大きなチャレンジをしています。


損得を超えた価値のある取り組みです。

ぜひ知ってください。

あなたの扉も

さらに大きく開かれることは間違いありません。


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