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へっぽこぴーりーまん書紀〜2社目編 東京編⑧

評価

入社して7年。ボクの評価は安定して悪いままだった。
大体査定はA〜Dの4段階で下から2番目のCが指定席。
基本給も上がらず、関西のときは下げられたことさえあった。
足利はできている部下さえ、昇進させる能力が少なかったのか。
ボクの所属する4課は他のチームと比べて昇進のスピードが遅い。ボクはさらにその中でも昇進が遅い。
…というか昇進しなかった。

等級

他の多くの企業にもあると思うが、ボクの所属企業は等級というものが設けられていた。
イメージで説明する。
等級とは下から1から10の数字が振られている
役職の最低で1、最高で10が振られる。
ボクは入社した時の等級から1上がったのみ。
その後長らく同じ等級で停滞していた。

停滞

ボクの等級は長く停滞し続けていた。
その結果、同期や後輩、あとから入った中途社員などに等級が追い抜かれていった。
ボクと同期入社の竹本。人事異動で別部署に移り、等級が1つ上がった。これはまだわかった。
ボクの評価が竹本と比べ悪い。
つまり竹本より昇進が遅くなることは自覚・覚悟していた。

ただ、ボクより後から入った社員がことごとく自分の等級を抜いていくのは激烈に不満だった。それを目にするたびに…
自分の心臓の鼓動が尖って感じるくらい、嫉妬や不満で胸が一杯になった。

上尾の昇級〜嫉妬ケース1

1番の怒りを感じたのは、上尾の昇級のときだった。
結局、上尾は営業のストレスから半年間休職。
休職後、営業を外れて別の事務職の部門で復帰していた。
その後しばらくして、ボクより上の等級に昇進した。

勝野の昇級〜嫉妬ケース2

次に怒りを感じたのは、勝野の昇級だった。
同じ職場の別の部署(3課)に、同年代で勝野という社員がいた。ボクと同じ等級だった。
彼は1週間程度無断で欠勤したことがあった。その期間彼に全く連絡も取れず、独身寮に行っても居ない。
大騒ぎになった。
浪費癖があり、酒癖が少し悪い勝野。
勝野の失踪の原因も、酒に端を発するものだった。
ところが、勝野は処分や訓告も一切受けなかった。
そればかりか、ボクより先に昇進を果たした。

渦巻く怒りと嫉妬

ボクは休職したことがない。もちろん無断欠勤も失踪もしたことがない。
ストレスで吐いても、不安神経症になっても、逃げずに毎日毎日出社してきた。
その上に、単身赴任で家庭を犠牲にしてまで働いている。

それなのに、何でこんな奴らがオレより先に上がるんや!?クソが!

極めて言葉汚いが、これが露骨なボクのホンネだった。
悔しくてやるせなくて仕方なかった。

怒りの業火に包まれて

ボクは怒りに打ち震えた。身体が焼けるような怒りを感じた。
それは、ボク自身を滅ぼすことにしかならなかった。
モチベーションは下がり、仕事に不平不満が尽きなくなった。
評価されない仕事に、得意先への電話に出るときさえも「チッ!めんどくせぇな。」と毒付き、苛立って電話を取ったりすることも多くなった。

ボクがすべきだったこと

確かに公平でない評価もあった。
だが、ボクはその時こそ「良い質の仕事」「外向きの仕事」を心がけるべきだったと思う。
少し前に流行ったドラマ。半沢直樹の言葉にこういうものがある。

「仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる。自分のためにした仕事は内向きで、卑屈で、身勝手な都合で醜く歪んでいく。」

半沢直樹より

自分の仕事は何のためにするのか?
なぜ自分の仕事は存在しているのか?
誰のためにサービスを提供するのか?

そんな当たり前のことさえボクは見失っていた。

今の会社のある人が、仕事のモットーをこう書いていた。
「誰かの不便を少しでも多く解消すること」

評価されたいのなら、何が欠けているのか。何を期待しているのか。
ボクは正々堂々と、評価者側に腹を割って伝えるべきだった。

カッコばかり付けて、やるべきことをやっていない。冷静に自分の課題を考えようともしない。

情けないが、30歳を超えた自分の仕事ぶりである。

こんな自分の問題に気付かず、更にボクは泥濘にハマっていくことになる。

(→次回に続きます)



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