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へっぽこぴーりーまん書紀〜2社目編 〜番外 自己啓発〜コーチング

コーチングとの出会い。

東京に赴任してから。いくつかの「意識高い系」のことに取り組んでみた。
その中で、最も多くの時間を割いたのがコーチングだった。
東京にいる高校の同級生が、コーチングを学び実施していた。その練習台(被験者)になったのがコーチングとの出会いだった。
彼のコーチングはアドラー心理学の目的論をベースにしたものだった。
コーチングというと、一般的にはプロ野球のコーチのように技術面などをアドバイスするコーチングが思い浮かぶ人も多いと思う。
ボクが受けたコーチングはそうではなかった。
コーチの質問をもとに、あくまでコーチングを受ける人自身の内面から答えや解決策を考えていくアプローチだった。

彼の知人のコーチの練習台にもなった。
東京に行って以来、本当に多くの回数コーチングを受けた。
自身の中にある想い。ジレンマなどを開放する。話す。
思考して、アクションを考える。
学生時代の夜の雑談にも似た、懐かしい感覚かもしれない。

コーチングと仕事

もちろんコーチングのテーマが、ボクが気になる「仕事」「評価を得る」というテーマになるケースも多かった。

毎回一定の結論・自身が考える成功へのアクション、簡単にできることは出た。
ものすごく感覚的にスッキリした。

コーチングを受けたのは、東京1年目の秋から。ややボクのキャリアの中で復調の兆しが見られていた時期だった。
コーチングを受けながら、多くのコーチング関連、心理学の本も読み勉強した。

コーチングを受けたボクは「これで浮上するんや!」と俄然奮い立った。

コーチングを通して浮上する。マイナスのレッテルをひっくり返す。
…そのはずだった。

コーチングを通しての取り組み

ボクが受けた、コーチングの一般的な進め方を記そう。
・所要時間は1回60分程度。
・まずその日にボクが話したいテーマを設定。
・コーチがまず「テーマに対してどうなったらよいか?」を聞く。体感も使い理想のイメージを膨らます
・それに対して現状はどうか?どう思うか?何が問題か?何ができるか?などを質問し掘り下げる。
・全体を通した所感を振り返り、今日からできるアクションに落とし込む。
(落とし込みは自身で)

コーチの技量にもよるが、やはり受けたあとはスッキリすることが多かった。

後述するが、ボク自身がコーチングに惹かれ研修(セミナー)を受けることにも繋がっていく。

コーチングの効果検証

しかし…である。
これまで特に、へっぽこぴーりーまん書紀(東京編)を読んでくださった方は思われるだろう。
ぶっちゃけ…率直にこんな問いが浮かんできたはずだ。

「じゃあなんで成功してないの?失敗ばかりなの?」

コーチングとボクとの付き合いは、2014年頃から今年で8年になる。
正直ボクは最もこの質問に向き合うことが一番大事なのに、一番避けて通ってきたと思う。

コーチングとの向き合い方での問題点

今から一番書きにくいこと、恥部を記す。
振り返ると、ボクとコーチングとの向き合い方にはいくつか問題点があったと思う。一切の忖度なく書いてみる。

ボクは辛い状況、プレッシャーもあり一時コーチングを信仰、盲信、依存した状態になっていたと思う。ボクは下のようなことをもっと意識しておくべきだっただろう。重複もあるが、思うままに記す。

・コーチングは、あくまで行動選択をするための手段でしかない。
・コーチングは多くの手段の中の1つでしかない。
(万能ではない。問題解決の特効薬ではない。バイブルではない。)
・コーチングは主食ではなく、副菜であること。(主食は日々の現場での行動)
・コーチングは「会議」に相当し、「現場」ではないこと。
=コーチングは会社で言う戦略会議のようなもの。実際に会議で決めたことを実行し、検証するのが本番。行動必須。もちろん検証次第で戦略の廃止、改善など見直し必須。

アドラー心理学の誤用

また、ボクが受けたコーチングのベースとなるアドラー心理学。教えの中に「目的論」という考え方がある。
人間の全ての行動には目的がある。との考え方。まず目的ありき。目的の設定を。という流れでコーチングは進められる。
しかし…ボクはこの目的の設定を、現実逃避に使ったところがあるのかな。と思う。

目的の設定での逃避

例えば偏差値30の高校生がいたとする。大学受験をテーマに考えコーチングを受ける場面を仮定する。

将来弁護士になり多くの人を救う目的。をコーチングを通して明らかにして、イメージを膨らましたとする。

そこから希望大学の法学部に合格する。
偏差値を上げるために勉強。などのアクションを落とし込む。とする。

「勉強する目的は、多くの人を救うことにある」
という結論がコーチングで出たとしよう。それに基づき行動の組み立てを考えるとする。

しかし、いくらコーチングでイメージを膨らませようが、この学生が目的のためにすること。
それは最終的には、持続的な日々の学習である。
机に向かい、頭で考え、時に眠気や誘惑と戦い、問題を説いていく。知識を覚える。これが日々の主食なのだ。

コーチングで立派な弁護士像をいくら膨らませようが、成功イメージをありありと描こうが、日々やることは結局地道なことの繰り返しになる。

例えば、ボクは仕事で成功するイメージを描き、そこで満足していたところがあると思う。
イメージング、それに誘うコーチングを行うことこそが一番大事と勘違いした。

ボクは日々の主食が何たるかをコーチングに傾倒するあまり、見失ってしまっていたように思う。主客転倒というヤツだ。

会議で現実離れした理想論を振り回し、現場・現実を見ないクソコンサル野郎状態になっていたのかもしれない。

コーチングそのものが悪いわけではないのだが、ボクは向き合い方を誤っていたように思う。

ボクはイメージを膨らませて、それに逃避していた部分があるのは間違いないし、失敗したポイントだろう。
愚痴を言える人も少なく、コーチにそれを求めてしまったのかもしれない。

更には、へっぽこぴーりーまん書紀で書いているような生々しい失敗はコーチング時に触れることはほぼ無かった。
どうせやるなら、そこ(自分の恥部)を見て徹底的にえぐらないと、ブッ壊さないと根本的な解決には結びつかないのだ。そう思う。
なのにやらなかった。見るのが辛いから。

結果としてだが、却って

勝手に状況に自己満足する→妥協癖・逃避癖が強まる方に作用した。
(ポジティブ思考の誤用も合わさり、)正確に、中立的に事実を観ようとしなくなった。

こんなふうに事態を悪化させた部分もあるのではないか。と振り返っている。
…だから、失敗だらけだったのだろう。

コーチングで犯した過ちについては、また機会をつくり書いていこうと思う。








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