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人間の言葉を話すエジプトの猫①

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「とある村に、人間の言葉を話す猫がいるんだ。取材に行かない?」

90年代、私はカイロにあるヨーロッパの旅行会社で働いていたが、当時はテレビ撮影の仕事を旅行会社が引き受けていた。

テレビ撮影コーディネート専門会社というのは、あの頃のエジプトにはなかったように思う。

ところが日本のテレビ番組の撮影コーディネートをやりたがるガイドは全然いなかった。理由は明白。お金にならないから。

エジプトのような軍事国での撮影の仕事は非常に骨が折れる。あちこちに軍事施設があるのだが、絶対にカメラに映りこまないように撮影しないとならない。空撮だって軍事施設の関係上、ままならない。

その上、うんざりするようなややこしい撮影許可手続き、方々でバクシーシを支払う。それでも実際現場に出向くと、いきなり撮影禁止にされることもよくあることだった。

なんとか撮影準備を整えても、今度はオイオイ日本側クルー...日本からやって来る撮影隊も撮影隊で、言うことがころころと変わるのでスケジュール通り何も進まない。あまにも無意味としか思えない撮り直しの多さ、そして早朝から深夜まで時間拘束..。

これなら観光ツアーガイドをしていた方がよほどいい。観光ツアーの仕事なら、エジプト航空国内線の遅延さえなければ、なんでもかんでもスケジュール通りサクサク進み終わる。毎日必ずお土産屋にも寄るので、日当以外のチップも入る。

だからベテランガイドが断る撮影コーディネートの仕事は、一番下っ端で若い私によく回ってきた。しゃべる猫の取材話もそんなわけで私に持ちかけられた。

「しゃべる猫?」

私はドキッとした。なぜならエジプトに来る前、日本で「エジプトに喋る猫がいる」という朝日新聞の三面記事を読んでいたからだ。

「エジプトに行ったら、その喋る猫に会ってみたいな」とずっと思っていた。だから、ふいに湧いたしゃべる猫との対面話には大興奮!!(ちなみに私は猫と一緒に育っています)

旅行会社のオペレーターは日本の制作会社から送られたファックス用紙を私に見せた。

「日本の番組だから、日本人の君がしゃべる猫に会いに来ました、という形で撮影したいんだ。だけどカイロ郊外でね、ちょっと遠い村なんだよ。いいかな?」。

「取材に行く、行きたい!」。


悔やまれるのが、村の名前のメモを取っておかなかったことだ。カイロから多分20,30キロメートルの距離の村だったとは思う。舗装されていない、ガタガタした泥道をジープで向かった。

日本人(私)がいるので、「おしんだ、外国人だ」と村が騒ぎにならないように日没を待って到着するようにした。

着いた所は一般的なエジプトの農村だった。電気はほとんど通っていない暗いひっそりとした村で、舗装された道もまったくない上、泥レンガの家しかなかった。あとは農作業の牛と馬ばかり。

喋る猫を飼っている、という家は、ごく一般的なエジプトの農家だった。どこか高飛車で威張っている父親に、夫には気を使いペコペコし続ける妻。子供は全員で六人ぐらいいた。

むろん事前アポを取っていたので、カメラマン兼ディレクターエジプト人と私はまず居間に通された。

まずは家長のお父さんと、のらりくらりと世間話をしながら、やたらと甘い紅茶やコーラをゆっくりいただく。

これも私が外国人女性だから許されたこと。エジプト人女性ならそもそも、夫や家族ではない男性と二人で、よその家に連れたって訪問するだなんて絶対ありえない。ましてやそこの家長におもてなしされるなど間違いなくないだろう。

立派なあごひげを生やした家長は、居間のテレビが日本製だと自慢してきた。確かに「ナセル・シャープ」と書いてあった。90年代は、エジプト全土でもメイドインジャパン信仰が強かった。

家長の方言の強いアラビア語はあまり聞き取れなかったが、カイロをマスルと呼んでいたのが印象的だった。ちなみにマスルとはアラビア語で「エジプト」。

田舎の人は確かにみんなカイロをマスル(エジプト)と呼んでいた。首都のカイロ = エジプト、という認識なのがウケる、日本人は誰も東京を日本だなんて呼ばないのに。

激甘コーラの瓶は二本出された。エジプトではどの家に訪問しても必ずねっとりした甘い炭酸ジュースを出される。おかげでエジプトに住んでいる間に歯が二本も抜け落ちてしまったものだ...

エジプト式にのらりくらり雑談をした後、いよいよといおうかやっと本題の、人間と会話をする猫のことになった。

するとどうだろう、途端に家長が不機嫌になった。その理由がなんと、

「先日も日本の○○新聞記者が取材にやってきた。大変失礼だった。到着するやいなや、一方的に慌ただしく猫を撮影。

そして、そそくさと逃げるように帰って行った、ノーギャラだった、馬鹿にしている。

それまでの日本人の撮影マンもみんな失礼だった、だからそろそろ日本人の撮影協力は躊躇するね。。」。

...

「ねえねえ」私は横にいるカメラマンのエジプト人同僚つっついた。

「家長は今日、日本人の私が来ることをオッケーしているんだよね?」。カメラマン氏は頷く。

「でもこんなに日本人に怒っているのに、なんで私が来るのはオッケーしたのかな?」

「若い日本人女性、って僕が言ったからだよ。今までの失敬な日本人は全員男だったんだろう。

家長はさ、ようは若い日本人女性に会いたかったんだろうな。だって『おしん』好きだって電話で言っていたからね、わはは」。

...

そしてカメラマン氏が、土産品(舶来品の衣服や日本製の煙草とか)をあれこれ出して、ムッとした顔の家長を懐柔。

「ではそろそろ猫に会わせてもらえますか」カメラマン氏は満面の笑顔で尋ねた。が、家長はむっつり顔のままで「まだだ、猫は今寝ている、起きるまで待て」。

...

30分後-

「そろそろいいですかね?」

「まだだ、猫は外にトイレに出かけた」

...

さらに30分経った。時間はもう深夜近くだ。もしまた猫が遊んでいるから待て、やら猫の食事を待てと言われたらもう帰ろう、とカメラマン氏と私は囁き合った。

その時、居間の扉が開いた。末っ子らしい、12歳ぐらいの娘さんが、猫を抱いて現れた。カメラマン氏はすぐにカメラを回し始め、彼に言われるまま私は下手くそなアラビア語で

「日本語は理解しますか?」と猫に尋ねた。するとその猫はじいっと私の目を見つめたと、

「ラッ、アナムシュファエマヤバーニー(いいや、日本語は分からない)」。

!!!! 間違いなく、猫がそう言った、抱っこしている少女ではない!!カメラマン氏と私はお互い顔を見合わせ、目を見開いた!!ギャアア!!!!

パニックになりかかっている人間の私たちを、その猫は大人びた表情でニヤッと笑ったのも目に入り、またもやギャアア!!!!


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