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カイロ中からオバチャンが消える、「おしん」放送時間

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カイロの街中のオバチャンたちが家に篭る時間帯があった。それは「おしん」の放送の時間帯だった。

私がエジプトのカイロに住んでいた90年代、「おしん」(英語吹き替え/アラビア語字幕)が放送されていた。夜9,10時だったように思う。

特に真夏のその時間といえば、子供も女性も外に出てきて、サッカーを遊んだり夕涼みをする時間だ。

(エジプトではラマダーン中を除き、晩御飯もこの時間帯。晩御飯を夜6時や7時にとるというのは聞いたことがない)

が、いつもなら大勢が外に出てくる夜9,10時にピタッとオバチャンたちが姿を現さなくなる現象がおきたのだ。みんな「おしん」を家で見ているからだった。


エジプトでは、「おしん」人気といったら、それはもう言葉に表せないほど凄まじかった。

私が初めてエジプトに降り立った時も、国際空港の入国審査で、「おしんは今どうしているんだ?」と聞かれたほどだったし。

山形の貧しい農村に生まれたおしんが様々な苦難にもめげず生きていくストーリーは、エジプト人の、特にオバチャン世代の胸を強く打ち、エジプトの国中でおしん旋風が巻き起こった。

私の考察では、エジプトも農業国で貧しい家庭が多く、またおしんの子役女優の顔がどことなくエジプト人ぽい(目が大きいとか)というのも、この国で人気を博した理由じゃないか、と思っている。

「おしん」がエジプトでの放送が始まるやいなや、瞬く間におしんは大ヒット。放送時には本当に街中からオバチャンといおうか、女性たちの姿が一斉に消えた。家から出ないのだ!


「おしん」を見るにあたっての一般的手順は、ドラマの放送開始の10分前にはテレビの前に待機。

なぜ早めにテレビの前に待機するかというと、エジプトのテレビ番組は非常にいい加減で、予定時間きっちりに番組が放送すると限らなかったからだ。

例えば10時スタート予定の番組が、9:57に始まったり10:03に始まったりすることは珍しくなかった。

ちなみに突然、予定されていた番組時間に、理由もなく別番組が放送されるということもあった。

そして放送時間内に番組が終わらず、いきなりバッサリと放送中のその番組を切っちゃうということも、検閲漏れの不適切なセクシー映像が流れてしまった時にもバサッとその番組が突然放送停止になるだの、ということもあった。

とにかく、「おしん」は一分でも見逃してはならない。なので予定時間よりも早く始まっても、冒頭から見逃さないように放送開始「予定」時間前にはテレビの前でスタンバイ。

そして必ず手元にはティッシュペーパーを事前に用意。

いざドラマが始まり、幼いおしんが不幸な目にあう場面になると、エジプト人のオバチャンたちは、すぐさまそのティッシュペーパーを一枚二枚、三枚と次々引っ張りオイオイ号泣し鼻をかむ。

実際、「おしん」放送期間中はティッシュペーパーがよく売れたらしい。


停電で「おしん」が放送されなかった時は、大勢のエジプト人がテレビ局前にやってきて抗議した。

贔屓のサッカーチームがボロ負けしても、政府が何か問題をやらかしても、人々がテレビ局に抗議に集まるなんてことはなかった。

だけども「おしん」が放送しなかった時だけは、群集が局にクレームを入れまくったのだ。おしんブーム恐るべし!


「おしん」はエジプトではもはや一大社会現象だった。

だから、日本人女性がエジプトに来るとあちこちで「おしん、おしん」声をかけられ、歩いているだけでモテたものだった!!(90年代はカイロ在住/エジプト観光のアジア人は日本人ばかりだった)

実際、当時のエジプト人は「おしん(のような日本人女性)と結婚したい」とよく言っていたものだ。

余談だが、カイロのガーデンシティにある日本大使館では定期的に日本映画を無料公開していた。

北野武作品など全くの不評だったが(エジプト人の感性には合わない)、昔の、若い松田聖子が主演した「野菊の墓」だけは大好評だった。

エジプト人は幸の薄い女性がヒロイン、という設定のストーリーがどうも好みだったのだろう。

また、「野菊の墓」で涙を流したエジプト人たちに、当時はやたらと松田聖子のことを聞かれたものだった。

ちょうど聖子はジェフと不倫騒動のスキャンダルを起こしている真っ中だったが、とてもそんなことはエジプト人たちには言えませんでした、ハイ...


おしんの子役を演じた小林綾子が俳優の山城新伍とエジプトにやって来たことがあった。(なんでこの二人がそろってエジプトに来たのか。ワスレタ、何かの映画製作発表だが撮影だったのかな?...)

カイロ国際空港にはおしんファンが押し寄せた。「冬のソナタ」のヨン様初来日の時、日本人のオバチャンが押せや押せやで空港に殺到したが、あれと似ていたかもしれない。

おしん(小林綾子)が行くところどころ全てにおしん親衛隊が追いかけ回した(本当におしん親衛隊結成されていた!)。

記者会見が行われた時も山城新伍はほとんど無視され、エジプトのメディアは小林綾子に集中的に質問攻め。

ルクソールで二人が遺跡観光されていたときも(むろん日本人のスタッフたちもいたけど)、小林綾子ばかり声をかけられていた。

存在感ゼロだった山城新伍がちょっと気の毒に見えた。完全に彼はふて腐れ?面白くなさそうだった。(笑)

だから、たまたまカルナック大神殿でエジプト人に囲まれてちやほやされている小林綾子をよそに、ぽつんとしていた山城氏を見かけ時、私は日本人の連れと一緒に「山城さーん」と声をかけた。

その時の山城氏の満面の笑顔といったら!本当に嬉しそうだった!!

その後、「おしん」の母親役を演じた泉ピン子と脚本家橋田寿賀子が、二人でナイル川クルーズの旅に来た。やはりエジプト人たちの大きな歓待を受けていた。


そして歳月が流れ、2010年。この年、久しぶりに私はエジプトに訪れた。(エジプトを引き揚げたのはそれよりだいぶん前)

驚いたのはなんと!

「おしん、おしん」いろいろな人に呼ばれたのだ! えっ、まだおしん!?まだエジプト人はおしんを忘れていないのか!?

この驚きを、とあるエジプト人の青年に話すと、彼は当たり前だ、というように力強くこっくり頷いた。

「おしんは本当に特別だった、僕は放送当時子どもだったけれども、おしんのことはよく覚えている。

アメリカのドラマもたくさん放送されているけど、誰ひとり、十年も昔のアメリカドラマは何一つ覚えていない。だけどおしんはそうじゃない。

おしんだけは、放送から十年、二十年たってもエジプト人はみんな、みんな覚えている。

アメリカドラマは忘れても、おしんだけは語り継がれている。おしんは僕たちエジプト人の『魂』でありノスタルジーなんだ。

またあのおしんのような、エジプト中を夢中にさせる日本ドラマ、待っているよ!」。

胸が熱くなりました。おしん、凄すぎる!! 


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