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Do BUY! 中東ゴージャス航空会社入社試験✈③~ケーキにはお気をつけあそばせ

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中東ゴージャス航空の入社試験を受けた頃、私はモハンディシーン地区(ナイル川の西岸)のフラットに住んでいた。そこのお向かいには、フランス語看板のケーキ屋があった。

自称フランスで修業を積んだパティシエ、ということだったが、ほんまかいな...

でも店構えはパリの街角にあるようなお洒落な外観で、せっかくだし、と入ってみた。


ショーケースのケーキは、どれも"繊細さ"はまったくなかった。しかしワンピース、1ポンド(当時のレートで約30円)。

(その頃の)エジプト感覚では高いが、日本の物価の感覚ではありえない安さだ。

「1ポンドだけだから」

と試しにエクレアを一個だけ買ってみた。


家に戻って食べたら、驚愕した。美味しいのだ!

もっともそりゃあ、日本やフランスのケーキのレベルには、足元も及ばない。だけども、エジプトにしたら美味しいのだ!

激甘だけのお菓子に舌が馴れてしまっていて、味覚音痴(味覚馬鹿)になっていたせいもたぶんにあるが、

毎日この店に寄ってはケーキを1,2個購入した。まさに毎日が『ケーキケーキケーキ』だった。

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萩尾望都『ケーキケーキケーキ』より🍰


中東ゴージャス航空の入社試験は、そこの航空会社自体によるものではなく、イギリスのマーケティング会社(代理店)が請け負っていた。

その後、東京にオープンしたドバイの政府観光局も、やはり某マーケティング会社が請け負っていた。


なるほど、と思った。ドバイではドバイ人全員が皇帝で、外国人全員は下僕だ。

皇帝は絶対現場では働かないため、現場はなんでもかんでも下僕任せだった。

で、何もかも煩わしいことは、契約を交わした、そこの現地会社(下僕)に大金を出し全て丸投げする。そのかわり、結果を出さないとあっさり切る。


さて、身体測定とマーク式英語試験も終わり、そして英語エッセイの課題も終了した。

また、受験番号が読み上げられていったが案の定、隣席のエジ男君は落とされた。

当たり前だ。様々な多国籍の人種が働く職場で、世界中を飛ぶ業務ですよ、と言われているのに

「イスラムが一番優れていて最高」

のタイトルのエッセイなんぞ、受け入れられるわけがない。


英語エッセイ課題で、一気に振り落とされ、男女合わせて10人未満のみが残った。

今思えば、90年代の時点で、合否に男女分け隔たりがなく全く平等だったことに驚く。さすがイギリスだ。(本体はドバイ政府会社だけど)


この段階でやっと本採用になった場合の、雇用条件が書かれたリーフレットを配布された。

びっくりした。

日本人の私でさえびっくりたまげたのだから、エジプト人はなおさら驚いたにちがいない。実際、口笛を吹いたエジ男君もいた。

何故ならサラリーが良い、良すぎるのだ。基本給(米ドル)がとにかくべらぼうにいい。

どのくらの距離のフライトに乗務すれば、プラスいくら上乗せされるか、なども事細かく全て書いてあったが、夢のような金額だった。

さすが、エコノミーの格安チケットが真っ先に売れる航空会社とは違い、Fクラス(正規料金のファーストクラス)が、真っ先に満席になるだけある。そもそも、お金持ち政府が所有する航空会社だし。


英語エッセイ試験の次は、精神科医との一対一のインタビューだった。大広間のバンケットではなく、狭い部屋のプライベート空間になった。

廊下の椅子に座って順番を待っていると、インタビューを終えると怒った顔で興奮して、部屋を飛び出す受験者が相次いだ。

自分の番になって、その理由が分かった。

フロイトに似ているイギリス人精神科医は、おそらく回答者の気性や性格、潜在的な精神の病? などを見抜くために、あえて微妙な質問などしてきているようだった。

例えば、フロイト氏はビスケットと紅茶をいただきながら、ユダヤ教の話を振ってきた。これに回答者がどう反応するのか、見極めようとしているようだった。

でも、私は無反応。

「(モスリムの) 礼拝用マットを、誰かが足拭きマットにしているのを見たら、どう思うか」

「別に何とも」

「えっ?」

フロイト氏は改めて、私の顔をまじまじ見つめた。

で、「あっ、そうか」と気づき、今度は"仏教"を誰かにけなされたらどう思うか、と聞いてきた。

「いや、それも別に、としか...」

「...そうか」

そして今度はインナーチャイルドを探ろうと、生い立ちや家族のことをで踏み込んだ質問をしてきたり、

犯罪の願望が埋もれて持っていないか、だの可能性を探ろうとしてきた。

多分だけど、多動性障害を一番に見抜こうとしていたような気がする。


もしかして、母国語の日本語だったら、際どいデリケートなことに触れられ、ビクッと反応して動揺してしまったかもしれない。

だが、綺麗なイギリス英語をべらべらまくしたてられると、何よりも必死にリスニングに集中する羽目になり、いたってこちらは平静だった。

だから、それが逆によかったようで、フロイト氏は満足してくれた。

「素晴らしかった。初めて、じっくりセッションができたよ。エジプト人の受験者らときたら、すぐにこっちの言うことを遮る上、

ちゃんとしまいまで話を聞かないで、わあわあまくし立ててくる。静かにちゃんとやり取りができたのは、君だけだ」。

「ああ、なるほど。想像できます」

するとフロイト氏はニヤッと笑った。もちろん、この課題もパスした。



時刻はもう夕方だった。いよいよ、最後のインタビューだ。

これも個室で一対一だった。面接官は、一番偉いに違いない、イギリス人中年女性だった。

彼女は、私が入室するやいなや、満面の笑顔で迎えてくれた。そして真っ先に、私が提出した英語エッセイを大絶賛してくれた。

「面白くて面白くて私たちイギリス人、みんな大笑いしたの!涙が出るほど笑ったわ! 」

と、私の書いたエッセイに対する感想を、キャッキャ楽しそうにいっぱい語ってくれた。ユーモアが通じてホッとした。

そして

「英語試験はあなた点数が最高点で、英語エッセイでは文法も綴りも問題なかった。それに比べてエジプト人の英文法や英単語のめちゃくちゃ加減と言ったらねぇ...」

イギリス人面接官は、ため息をついた。

やれやれ、と言ったあと、私の履歴書に目を通した。

「アメリカ留学して、エジプトでアラビア語学校に通いながら、休学復学を繰り返し旅行会社で働いている...」

彼女が見ているのは、林氏にも見せた履歴書と全く同じものだ。

彼女は、慈愛深い眼差しで私を見つめ、微笑んだ。

「偉い、素晴らしい。本当に素晴らしい。よく頑張ってきた。あなたの経験したこれらは、とても貴重で尊いものよ。

陰でどれだけ辛い思いをして、泣いて悔しかったことも、私もエジプトを知っているだけに、よく分かる。本当に立派だわ」。

「...」

うるっときた。例えお世辞だったとしても、そう言われたのはとてもとても嬉しい。


「ただ、中東ゴージャス航空は、香港の"向こう"までは就航していないのよ、日本には飛んでいないから、率直に言うと日本語客室乗務員は必要とされてはいないのよねぇ」

「予定はないのですか?」

「まだ誕生して十年ちょっとの会社だから、日本までは路線が伸びていないのよ。

もちろん、頑張っているようだけど、日本の国土交通省は中東便乗り入れを増やすのを、嫌がっているらしく、なかなかうまくいかないと聞いたわ。

だからアジア人乗務員は、香港人しかまだ雇っていないのよ。


ま、それは別にして、英語コミュニケーション能力は合格ね。ではさてと、ちょっとそっちへ立ってちょうだい」


そう言われて、明るい照明の所に立たされた。急に穏やかだった面接官の顔つきが険しくなった。

「はい左向きに立って。はい次は右向き、ターンして。顔が照明ライトにしっかり当たるようにして」

など矢継ぎ早にあれこれ指示をされた。

「モデルエージェントじゃあるまいし、何なんだろう」

と思ったが、本当にそれまで中東ゴージャス航空のことを全然知らなかったので、ここの客室乗務員は、外見重視の採用するので有名だなんて、私は全く分かっていなかった。


なんせ普段、エジプト航空国内線ばかり乗っていたので、航空会社に勤める女性客室乗務員イコール ”どすこい、ごっつあんです" だった。

三段腹で太い。口はへの字、がさつな動作、ぶっきらぼうで不親切。これがエジプト航空のせいで、客室乗務員に対する当時の私のイメージだった。


イギリス面接官は、会話をしていた時は大変にこやかだったが、容姿チェックに移ってから、なんだかやり手売春宿の婆さんのような感じになった。

怖い顔で、私の顎を持ち上げたり、身体を触ったり。しかもついさっきまでは、あれほど私を褒めてくれていたのに、外見審査に変わると、称賛が無くなり無言になったという...


彼女は、私の顔の間近にライトを当てた。懐中電灯も使われた。まるで自分が遺跡になった気分だ。

面接官は叫んだ。

「ファンデーションで隠していたわね!吹き出物が多いじゃないの!」

「...」

そんな、何もジェイソン・ボーヒーズを見たような奇声をあげなくても...


でも吹き出物は、実はまずいかな、とは思っていた。これも"ケーキケーキケーキ"のせいだ。

住まいの前にあるケーキ屋で、毎日甘いケーキを買って食べ続けたせいで、顔の肌が荒れていたのだ。

自覚があったので、ファンデーションで隠していたつもりだったが...

「どうしてこんなに吹き出物が...」

「...これはテンポラリーの吹き出物ですから、すぐに顔の肌は綺麗に戻ります」

「いや、そうとは思えないわね。どう見ても"慢性化"している吹き出物よ。肌の表面に"穴"もあいているじゃないの」

「...」

ケーキだけが理由なのではなく、もともとアトピー体質で、かつ太陽アレルギー持ちなのに、あれほど観光ガイドで紫外線を浴びてきたのも問題だった。


「三ヶ月、あなたに時間をあげます。三ヶ月後にまたここで試験を開催します。何故なら、今回は全員不合格だから」

面接官はため息をついた。

「三ヶ月後までに肌を綺麗にして、再インタビューで問題なかったら合格、研修に参加させてあげます。

次回はもう筆記などの試験は受けなくて構いません。この、肌チェックも含む最終インタビューだけでいいですから」。

...

そうして、私は退出させられた。再エントリー専用の申込み書類を持たされて。



後日、私に中東ゴージャス航空試験を受験できるよう、取り計らってくれたエジプト航空のスカウトマン氏に、電話をかけ結果を報告した。

「そんなの、メイクアップで塗りたくればいいんじゃないか? 恐ろしく細かくて厳しい航空会社なんだなあ」

そして

「とりあえず、よく頑張った。これから三ヶ月、しっかり肌のケアをすればいいさ。

そうそう今度、自宅に来なさい、家族(妻子)に紹介するから。妻のエジプト料理を食べに来てくれ」。

スカウト氏は、そう言って家に招いてくれた。


当日、例のケーキ屋で手土産のケーキを数個買った。(←もうケーキは一切食べないようにしていたが、この時は特別)

そしてタクシーを捕まえた。

スカウト氏の住まいはマーディー地区という、とても離れた住宅街だった。(当時はアメリカ人が住む豪邸が多い地域でした)

カイロ中心のタハリール広場からは、マーディーまでは(フランスが作った)メトロが走っていた。

だから私は自分の住まいの地区からタハリール広場まではタクシーで移動し、そしてそこからはメトロに乗ろうと思った。


「ミッダン・タハリール、ミンフォドリック」 タハリール広場までお願いします、とタクシーを走らせた。

ナイル川の橋を越えたらすぐに広場に到着した。

5,6ポンド(当時のレートで200円弱)を運転手に渡して、そこのエジプト考古学博物館真ん前で降りた。

その時だった。

背後の方からトラックが2,3台、もの凄い勢いで飛ばしてきた。

一瞬ん?と思った。

トラックの荷台にいた男ひとりは、火薬爆弾をほうり投げた。ケーキの箱を抱えた、私の目の前の向こうで爆発した。忘れもしない、1997年9月18日の出来事だった。


つづく

次:


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↑中東ゴージャス航空の試験会場で友達になった女性。彼女は身体測定で落ちていたけど、美女でした。

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