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目には目を、歯には歯を②-アブシンベルの"ヤ、ムスタファや、ムスタファ"

♪ムスタファや、ムスタファ~、金の亡者のムスタファ

金さえあれば、この世では思いのかなわぬことはない

(省略)ヤ、ムスタファ、ヤ、ムスタファ

がっちり稼いだムスタファ♪

(作曲/アザム・バークレイク←トルコ人のようですが、もともとはエジプトのフォークソングです ↓作詞/青島幸男 歌/坂本九)


カイロのナイル川ディナークルーズ船で、『ムスタファやムスタファ』が生演奏されると毎回、私の日本人グループのおじいさんおばあさんは急に生き生きし、総立ちで日本語歌詞で唄った。

「なんで皆さん、日本語で歌えるんですか?」

「昔の名曲よ! ガイドの Loloさんは知らないの?

そうか、若いからね。私たち世代の日本人はみんな"ムスタファ"ソングが大好きなのよ!」(坂本九以外にも、ほかの日本人歌手も歌っていたらしいですが、忘れました...)


日本人のおじいさんおばあさんがハキハキ大声で唄えば、エジプト人はみんな喜んだ。

特にアスワン/アブシンベル出身のヌビア人のスタッフたちは、目に涙を浮かべて喜んだ。ムスタファの歌はヌビアのソウルソングだった。

♪ムスタファや、ムスタファ~


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↑カイロの南に向かって、カイロ✈→ルクソール✈→アスワン✈→アブシンベルの順番であることを、先によろしく👍

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他になーにもない砂漠の、アブシンベル神殿のためだけに、一日に何本も飛行機が就航していることに驚愕です!! なお年に二回だけ起きる"光の奇跡"は圧巻でした。

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背後から嫌~な視線を感じていた。

カイロからアブシンベル行きのエジプト航空国内線に乗っている時だった。振り返らなくても、私の背中を誰が睨みつけつけているか、分かっている。

ドイツ語ガイドのヒシャームだ。

エジプト航空は一番前方の席のブロック(機体はエアバス)を、私のツアーグループにどんと丸ごと与えた。ヒシャームはそれが気に入らないのだ。

最前列のブロックが私のグループ、二番目のブロックは私の親友だったヨウコさんの日本人グループ、三番目、四番目のブロックは日本人個人旅行客たち。

私のグループが最前列ブロックだったのは、私と組んでいた空港アシスタントが、エジプト航空スタッフの甥っ子なので、"顔"が利くからだ。

同僚の彼にチェックインしてもらうと、絶対に一番いい席が取れた。(ただしエジプト航空国内線は、すべて自由席だったことも多い)


もともと、エジプト航空は日本人グループに最も良い席を与えるものだった。

やっぱり日本人イコール"ドル箱"だった、日本人の乗客でいつも満席だったので日本人のおかげでエジプト航空は成り立っていたから。


ヒシャームのドイツ人グループは最後尾の座席ブロックだった。彼の空港アシスタントは、新米君でチェックインの際のコネがなかったらしい。

だからヒシャームが怖い顔をしていた。後ろからこちらを睨んでいるのは感じ悪かったが、それよりもそろそろアスワン上空入る。奴どこではない。ここから居眠りはできない。

何故なら、私が乗っている飛行機はアブシンベル空港直行便のはずなのだが、いきなり"フライング"でひとつ手前の空港、アスワン空港に着陸することもちょくちょく起きるからだ。

どういうことかといえば、

新幹線ひかりに乗って居眠りするとする。新横浜から名古屋まではノンストップだと信じきっている。

しかし、ハッと目が覚めると駅に着いている。慌てて飛び降りる。が、そこは浜松駅だった...ギョッとするだろう。

しかしエジプト航空国内線では、これと同じことが多々起きていた。


唐突に予定にない空港に着陸する理由はいずれ書くとして、

とにかく、アスワン空港なのにアブシンベル空港到着したんだ、と勘違いして降りていってしまう添乗員やお客さんたちが必ずいた。

アナウンスもアナウンスで、アラビア語でしか話さないし、直行便だから、空港到着イコールアブシンベル空港と思うのも当たり前ではある。


でも、"直行便は直行便とは限らない"ルールを知っている全てのガイドは機内アナウンスに耳を澄まし、

「やっぱりアスワン寄っちゃいます、インシャアラー」のアナウンスが入るかどうか集中する。


その1,2分後、アラビア語アナウンスが入った。

「やっぱりしばらくアスワン空港に寄ります、インシャアラー。着陸体制に入るので、シートベルトを締めてくださいインシャアラー。このままアブシンベル空港へ向かう乗客の皆さんは機内待機してください、インシャアラー」。

...!


飛行機は下降していくので、案の定乗客は降りる支度を始める。

私は振り返って、自分のグループに「そのまま座っていて!」とジェスチャーで知らせた。

たまに私を信用していないお客さん(みんなオッサン)は

「直行便なのに、途中でほかの空港に停まるなんてあるわけない!」

と私の指示を無視して勝手に降りて行く。あーあ、知らないよ...


アスワン空港到着し、アテンド同行のない個人旅行の日本人や欧米人は席を立ち、降りて行った。

「おいおい、CAが"ここはアブシンベルじゃないですが、降りてもいいんですか"って言ってあげればいいのに」

と思うが、CAは仲間とおしゃべりしているか、乗客の目の前で手鏡を覗きこんだり、欠伸をして何も言わない。


よしチャンス!

と、言わんばかり最後尾席にいたヒシャームはバッと走って、そして空いた前方の席に座った。

すると、「アブシンベル空港じゃなかった」と気づいて、また機内に戻ってきた日本人個人旅行者は「えっ!?」。

自分の席に、体の大きいサングラスのエジプト人がどかんと座っている。

「あのぉ、ここ僕の席なんですけど...」

「あんたは立って出ていっただろ?だからもうあんたの席じゃない。ほら、一番後ろの席が空いているよ。そっちに座れよ」。

「...」

その個人旅行者君、気の毒だが仕方ない。エジプト航空の席はゲームのフルーツバスケットという事なんて『地球の迷い方』には書いていないしなぁ。

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なぜヒシャームが前方席に座りたかったのか。

後ろの席だと、通路がつっかえなかなか飛行機を出られない。

エアバスの機体は、後方にも扉はあるが、空港職員はそちらにもタラップを付けるのが面倒くさいので、前方の扉しか開けないことが多かった。


アブシンベル空港に到着すると、ガイドはまずチェックインカウンターに向かい、今度はアブシンベル空港発のグループ全員分の搭乗券をさっさと確保しなければならない。

何故なら、理由は三つあった;

①航空券と搭乗券の枚数が比例していないこともあり、チェックインがぎりぎりになると、航空券が手元にあるのに搭乗券引き換えられないことがあった。

②アブシンベル神殿観光時間は限られているので、少しでも観光時間を多く持つために、先に早々と搭乗手続きは済ましておくのが賢明だった。

③エジプト航空は離陸予定時刻よりも、"早く"飛ぶこともあったため油断も隙もなく、できる限り早めに搭乗券を持っておく方が安全だった。


とにかく、アブシンベル滞在時間は少ししかない。うかうかしていると、飛行機に乗り遅れる。すると次のフライトは十時間後などになったりした。


私は飛行機の一番前の席に座っていた。

だから到着後いち早く、帰りの便の搭乗手続きをチャッチャ終わらせ、どのグループよりもいち早く、神殿に向かって行ける。

ちなみに二番手三番手になると、前のガイドたちの説明がつっかえているため、帰りのフライト便時間が来るまでに、一番奥の聖所のガイドをする時間が持てなくなる。

アブシンベル神殿の最大の目玉は、年に二回ラムセス二世の顔に光がグォーと差し込む(ほかの像にも当たるが、ラムセスの顔にだけ一際ドバっと光がくる、という緻密で正確な計算の)"光の奇跡"が起きるこの奥の聖所だった。ここのガイドに時間をかけないと、まずいのだ。


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そうこうしているうちに、飛行機はアスワン空港を離陸した。

ここで間違えて降りちゃった2、3名の欧米人はまだ戻って来ていない。

あーあ、気の毒に。

次の便はずっと後だし、そもそもどの便も常に満席だから、アスワンで降りちゃった人たちは陸路で五時間(だったかな?)かけてアブシンベルに向かうしかない。

エアコンのないバンでガタガタ、警察の護衛を付けて走るのだ。テロリストに襲撃されませぬように、インシャアラー...


なお、「なんで個人旅行者に"アブシンベル空港じゃなく、ここはアスワン空港ですよ"」と教えてあげなかったのかー

教えてあげることもあったが、言っても、ツアーガイドや添乗員を馬鹿にしている個人旅行者の中には、聞いてくれない/信じてくれない人もいた。

またあまりでしゃばると、CAに睨まれた(←怠慢なくせに)。

そしてガイド付きツアーを選ばなかった個人旅行者に情報をタダで与えるのはおかしいんじゃないか。

ガイド代金を払って高い方の旅行を選んだお客さんにだけ、奉仕すべきだ、という暗黙の了解があった。


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アブシンベル神殿のチケット売り場で、グループ全員分のチケットを購入している時に、必ず声をかけてくる人物がいた。

「ドクトーラ! サラームアレイクム」

アブシンベル神殿のガイドの、ヌビア人ムスタファだ。


スーダンとの国境に近いアスワンからアブシンベルにかけては、エジプト人の土地ではない。ヌビアの土地だ。

ヌビア人の国籍はエジプトだが、人種はヌビア。肌の色はとても美しい真っ黒色。彼らはお互いに会話をするときには、ヌビア語を使う。エジプト人と違い、非常に信用できる人が多かった。


私はガイド研修生の日本人を連れている時は、絶対にその研修生をムスタファに紹介をした。

「研修生君、私のアブシンベルでの相棒はこのムスタファだから、私に研修についたあなたも、今後アブシンベルではムスタファが相棒だからね」

とムスタファ氏の目の前で英語とアラビア語ではっきりそう言った。どういう意味かというと、ムスタファ氏に対しては、

「ムスタファよ、いいわね、覚えていてね。今後はこの日本人もあなたの傘下だからね。お願いね」。

そして研修生君に対しては

「アブシンベルであなたが頼るのは、ムスタファよ。絶対ほかのガイドはだめよ、必ずムスタファだからね、いいわね」。

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「日本人ガイドが必要だ。だけど外国人はガイドの免許を持てない」

この問題に直面したエジプト観光庁は、以前から行われてはいた、ある"秘策"、ウルトラCの作戦を大々的に展開することにした。

まず、観光客が来なくて暇を持て余している、エジプト人英語ガイド(=ライセンスガイド)をかき集めろ。

彼らと無免許の日本人ガイドのコンビを組ませろ。そして表向きは、日本人はガイドではなく、"通訳"にしろ。

もし現場で、突っ掛かってくる輩、頭の堅い野郎がいちゃもんをつけてきたら

「エジプト人ライセンスガイドの通訳をしている日本人、ということにしろ」。


もちろん、この通訳のふり作戦は、イタリア人、イギリス人、韓国人のガイドにも適応されていた。

ただ日本人ガイドだけ異様に人数が多かったため、よくも悪くも目立っていた。


この通訳のふり作戦は、もともと仕事にあぶれていた、英語のライセンスガイドたちの救済にもなっていた。

一緒について回るだけで、旅行会社からは日当がもらえ、添乗員からはチップ、そして土産屋に寄れば自分にもマージンが半分入ったからだ。

こういう事情で、実は私が日本大使館依頼による、大臣などのガイドをしたときにも、ちゃんとエジプト人ライセンスガイドはずっと私のそばにいたのだった。


アブシンベル神殿には、何人かのヌビア人、ライセンスガイドが常にそこに待機していた。

彼らはもともと、欧米人個人旅行者が来ると、自分たちから近寄り、「ガイドは要らないかい?」と立候補していた。

もし「お願いします」と言われたら、旅行者からチップを貰う。それで収入を得ていた。


ところが、テロと湾岸戦争の尾を引き、欧米からの個人旅行者は激減し、ヌビア人ガイドたちは収入がほぼ途絶えて困っていた。

そこに、日本人の"ノンライセンス"ガイドたちが、次々にグループを連れて来るようになった。

ヌビア人ガイドたちも、外国人がガイドをやってはいけないことを知っているので、それで日本人ガイドが神殿に現れると

「もしもエジプト人ガイドに何か言われたら、俺の名前を出せよ」。

実際、万が一エジプト人ガイドの誰かや、警察、物売りと揉めることがあれば、必ず私の場合は、私の"担当"のムスタファが現れ、助けてくれた。だから実のところ、用心棒と同じだ。

ただし、暗黙のルールがあった。

私の場合は、毎回毎回ムスタファと組まねばならない。ほかのヌビア人ガイドと組んでは裏切りになる。

それだけではない。必ずチップを払わねばならない。

実際、彼がなーにも仕事をしなくても、神殿を去る前には絶対チップを渡す。ま、わかりやすくいえば、みかじめ料だ。

もし、ケチってみかじめ料...もといチップをあげなければ、次回アブシンベルに来た時に、どえらい嫌がらせをされる。

なにしろ、ここではヌビア人は全員顔見知りだ。グループを神殿に入れないような妨害をするなどは簡単である。

ところが、私の研修についた日本人の中には、それをなかなか理解しない者もいた。

「なんで、何もしない人にチップを払うのですか。僕、納得できないなあ」。

その度私はこうアドバイスをした;

「カイロに戻ったら日本人会へ足を運びなさい。そしてゴッドファーザーのビデオを見なさい。答えはゴッドファーザーの映画の中にあるから」。

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話は戻る。


予定外のアスワン空港を飛び立った後、飛行機の窓から世界最大の人造湖、ナセル湖が見えてきた。

アスワンハイダム建設の時に出来た湖だ。

ちなみに、ハイダムにより沈むことになったアブシンベル神殿は、世界が手を貸し救ったが、多くのヌビア人たちの村は水没した。

とても美しい人造湖だが、そのもの悲しい話をヌビア人たちに聞いてから、なんだか湖を見ると切なくなる。(エジプトとヌビア人の歴史もなかなかえぐい)


そうこうするうちに、すぐにアブシンベル空港に到着した。

さあ、走ってチェックインカウンターに駆け込み、帰りの搭乗手続きしないと!

ん?


機体の外に出ると、真後ろにヒシャームがつっ立っていた。

すでに前方の席に移動していたので、彼もすぐに出て来れたのは不思議じゃないのだが、私の真後ろに立っているのに、ちょっと嫌な予感はした。

案の定だった。

よほど自分が先にチェックインカウンターに向かいたいのか、ハッとした時にはもう手遅れ。

高いタラップの上で、180cmのヒシャームはいきなりにドンッと、私の背中を押した。

私は躓いた。

なんとかぎりぎりで体勢をなんとかとり戻したが、心臓バクバク、ドキドキ。


顔を上げると、ヒシャームは先にタラップを駆け走で降りて案の定、一目散に空港内に走って行っていた。

ぽかーんだ。

気持ちは分かる。さっさと帰りの搭乗券を確保したいだろう。

だけど高所から背中を押すのは、いくらなんでもやり過ぎだ。一歩間違えれば大事故に繋がるではないか。

しかも、彼に何かされたのはこれが初めてじゃない。すでに似たようなことは十回以上やられている。

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アブシンベル神殿に到着すると、またいつものようにムスタファがすぐにひょっこり現れた。

「よっ、ドクトーラ!どうした?今日は怖い顔をしているね」。

「当たり前よ、あいつ、ドイツ語ガイドに危うく殺されそうになったのよ!」。

怒りプンプンの私は、自分のグループ人数分の神殿入場券20枚を買いながら、タラップ上から背中を押され、どれだけ恐かったか、という話をした。

ムスタファは、へへんと笑った。

「ヌビアの男と違ってエジプト野郎は卑怯だからな。それより今後、絶対にあいつにやられない、いいアイディアがある」。

「それは何?早く教えてよ!」

「いいけど、そのかわりそれくれよ」

ムスタファは私が持っている、マグナムの懐中電灯をちらっと示した。

日本製?だったのかな。コンパクトで見た目もかっこよく、ライトの光も強力だった。

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もともと、添乗員さんに譲ってもらったものだったが、どこに行ってもエジプト人全員にこのマグナムの懐中電灯をせびられた。ムスタファも前々から、この懐中電灯を欲しがっていた。

とにかく軽い、ライトの光が強くどんなに暗い遺跡の中でも役立ち、その上見た目もクールだったから、エジプト中の遺跡で活躍し、エジプト人たちも欧米人たちにもよく褒められた。

(読んでくれた方で、もしマグナム関係者がいれば、このエピソードを伝えて欲しいです。笑)


「ウ~ン」

私は悩んだ。でも、マグナムはまた添乗員さんにお願いして、日本で購入してもらえばいいか!

「オッケー!でも先にヒシャーム撃退法を言ってよ」

「お安いご用さ!」

そしてムスタファは私の耳元でヒシャーム撃墜の術を伝授してくれた。

「とにかくだ、An eye for an eye and a tooth for a tooth ...目には目を、歯には歯をでね...ごにょごにょ..」。

私は笑った。

「なるほど! それはいいアイディアだわ! 

まさに目には目を歯には歯をどころか、 A tooth for an eye and a fang for a tooth 。目には歯を、歯には牙じゃないの!」

すると彼はドッと笑った。

私ははい、とマグナム懐中電灯を手渡した。

ムスタファは御礼を述べ、そして嬉しそうに、マグナム懐中電灯の明かりを付けたり消したりしながら、変な"日本語"でムスタファソングを唄いだした。

彼はムスタファ、と名乗るたびに、あまりにもいつも日本人のお年寄りたちにムスタファソングを唄われるため、なんと!

耳からすっかり日本語歌詞を覚えてしまっていたのだ。おかしな発音だったけど。


♪ムスタファや、ムスタファ~、金の亡者のムスタファ

金さえあれば、この世では思いのかなわぬことはない

(省略)ヤ、ムスタファ、ヤ、ムスタファ

がっちり稼いだムスタファ♪


つづく

追記

ムスタファソングはYouTubeでmustafa ya mustafaで検索すると、

いろいろな言語で歌われたバージョンが出てきます。

アラビア語、フランス語、トルコ語、ギリシャ語、英語、イタリア語などなどですが、地中海の世界では超有名な歌で、それを(お年寄りの)日本人もみんな歌える、というのにヌビア人らはいつも驚き感動していました。

なぜ東京オリンピック開会式でムスタファソングを出さなかったのか。エジプトにいた現都知事も、ムスタファソングがインターナショナルで有名というのは、絶対ご存知だったはず。

しかも日本語バージョンの歌詞は元都知事の青島幸男です。ムスタファソングを布袋寅泰に演奏&歌を依頼すればよかったのに、と心底残念です。

追記2

アブシンベル神殿では、「ラムセス二世様にお仕えした時が懐かしい」「ラムセス二世様の軍隊にいました」などなど、前世の記憶を語る個人旅行者(国籍まちまち)にいろいろ出くわしました。

「ああ、この人の話は本当なんだろうな」と思わせる人々もいましたが、それはともかく前世の記憶有無関係なく、霊感有無も関係なくアブシンベル神殿は絶対外せない、エジプトに行ったら絶対、絶対行くべき神殿です。

できれば近道をしないでぐわっと回りこんだ方が、神殿の視界への飛び込み方が感動的、そしてアブシンベルは宿泊すべきです。

世界には遺跡/観光地の中でも、とりわけ群を抜いた特別な場所がありますが、アブシンベルもそのうちのひとつでしょう。

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↑日本人しかいないアブシンベル神殿😂

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↑まだ持っていたアブシンベル音と光のショーのチケット。このショーは本当によかった、初めて見た時は号泣。エジプト人ガイドも泣いていました。ショーは日本語の回が多かったけど、今はどうなのかな?

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↑不思議と私がアブシンベル神殿内を撮影すると、必ず写真の下がこのようになりました。なんでですかね?

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↑珍しく上手に撮れたネフェルタリ。(ラムセス二世の寵愛の妻。)ちなみに"ネフェル"は美しい、という意味なのでネフェルタリ以外にもネフェルトなどの女性の名前は多かった。(美子の"美"と同じ発想)手に持っている♀はアンク(生命の鍵)。
↓2000年頃?にオープンしたアブシンベルホテル。アブシンベル観光は絶対、アブシンベルに宿泊すべし。じゃないとあまりにも慌ただしいし、無数を星の夜空の美しいことよ! ちなみにホテルの夕食では、いつも締め殺したての鶏肉(フレッシュチキン)が出ました。私の生涯で一番美味しい鶏肉料理でした!

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↑アブシンベルホテルのプール。お客さんの女性と泳ぎました。ガイド業イコールへとへとだったという記憶だったのですが、久しぶりに写真を見ると、遊んでいるシーンばかり..よくぞクレームが来なかった!! グループの皆様に感謝です。


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