中山 洋樹

誰もが前向きな一歩を踏み出せる社会を目指して活動中 変化の激しいこの時代に新たな価値…

中山 洋樹

誰もが前向きな一歩を踏み出せる社会を目指して活動中 変化の激しいこの時代に新たな価値感を提案する ”ライフサポーター”   メンタルケアにエンターテイメントの要素を持ち込み、積極的メンタリティーモデル

最近の記事

ヒトの能力の限界と可能性

セラピーにしろコーチングにしろそこで行われているのは焦点化、焦点の絞り込み、選択と集中であると言える。これは、ヒトの注意や判断、思考のキャパシティを踏まえたアプローチであると言える。 課題やテーマを漠然と眺めているだけでは見えて来なかったことも焦点を絞り、具体化、境界を明確にして行くことで全体像を把握して、把握できるサイズへと絞り込むことで、その人にとって、その後の取り組み、試行錯誤や挑戦が実現可能なものとして認識できる様に促して行くアプローチと言えるだろう。 ヒトは言葉

    • 「価値がない」

       「自分には価値がない」 ひとはついつい、自分のことをその様に感じてしまうことがあるものだ。 しかし、自分はこの世のすべて、価値のすべて…と言わずとも「生活圏の中にあるニーズや価値についてすべてを知っている」と云う訳でもないだろう… もしも、そうならば、自分には「価値はないが、多くを見通す能力がある」と云うことになる。これはこれで素晴らしい価値であったりする。  「多くを見通す力などない、けれど自分には価値がないのだ」 と感じるのなら、居場所を変えればいい。 居場所を変える

      • 何かを判断するときに、 初見で否定的な心で物事を眺めることで、 否定的な道筋が見えてくる. 肯定的な心で物事を眺めてみれば、 肯定的な道筋が見えるようになって くるものだ❕

        • それでも尚、ひとは…

          人は自らの心の内を表現、言葉にすることにより、内なる情動を自らが認めてあげることが出来るようになるのではないだろうか。 他の誰かにより認めてあげることを望むのではないだろうか。 他の誰かがその人自身を認めてあげる姿を通して、自身の心の内を自分自身を認めてあげられるのではないだろうか。 他の誰かを、その人自身の心の内を認めてあげることで、他の誰かや自分、それぞれの心の内と深く繋がることが出来るのではないだろうか。 深くつながりあうことで、ともに喜びを感じることが

        ヒトの能力の限界と可能性

          抽象概念の活用とその効果

          具体と抽象の繰り返しにより生じた体験バラバラに存在していた知識が、その繋がりや関係性(一般的なモノ、一般的ではないモノも含め)の存在、違和感を感じるところから始まる。 感じ取った違和感に着目し、その正体を識別するために、対象の構造やプロセスを想起し、繋がりや関係性を探索していく。 探索の結果を感じ取った違和感との対比により、その妥当性を見極めつつ保留する。 さらに、違和感自体に着目しその感覚を正体を知るべく既知の現象や法則、ロジックと組み合わせてその妥当性を検証していく。

          抽象概念の活用とその効果

          変革の先導者とは誰か…

          (個人の感想として) 子供を育てている親、特に母親は現状維持バイアスを乗り越えて、認知的変容、行動変容を遂げることの出来る可能性がある。 子供の成長のためという大義と子供のお手本となる自分という両側面から自身の在り方、接し方や生き様などを問い直すことで、現代において子育てをしている親、特に母親たちにとっての苦悩を和らげることが出来るのではないだろうか? 子供たちの成長という大義に伴い 多くの親が、子供たちに対して良い経験、望ましいと思われている経験や正しい選択を行えるよ

          変革の先導者とは誰か…

          かわいい子には旅をさせよ

          (個人的な感想につき) 多くの親が、子供たちに対して良い経験、望ましいと思われている経験や正しい選択を行えるようにと、躍起になっている。 しかし、結果として子供たちはいい経験、望ましいと思われる経験や正しい選択以外には価値を見出すことが難しくなっている場合があるのではないだろうか。 良い経験や望ましい経験も比較対象、比較となる経験が存在してこそ、その価値を知ることが出来る。 敢えて言うのなら、良い経験や望ましい経験以外にも大切な価値は存在していて、重要な役割や意味が存在

          かわいい子には旅をさせよ

          「あるがまま」の価値

          人の成長や発達において他者からの否定ばかりでは、成長や発達に欠くことの出来ない、拠り所となる礎や軸を適切に築くことが出来ない。 回避や逃避を繰り返し、選択肢を見失い目の前の課題に取り組むことに追われ、彷徨い歩き時間ばかりが過ぎてしまう。 逆に、肯定してばかり、されてばかり居ては、成長や発達の為のモチベーションは低下し、柔軟性や汎用性の乏しい礎や軸が築かれてしまう可能性が高い。 極端なバランスに留まり、偏り続けた場合、どちらも精神的な発達や能力やスキルの向上、こころ

          「あるがまま」の価値

          主体的な関わりの為に…

          近年、様々なビジネスツールやセルフケア、学び(行動促進や思考支援)などに関するツールがあふれかえっている。 ツールを活用をする上での準備や前提条件、目的や効果などを、その人自身の日常生活や関心に基づく体験に準えて、有用性の実感を伴う段階的な理解を促すことが必要であると考える。 これにより「何か、よく分からないけれど良いらしいツール」との理解により「これをやっていれば上手くいく」などの誤解により、浪費される時間と費用を抑えることが出来るのではないだろうか。 必要な準備や解

          主体的な関わりの為に…

          流るままに…

          思いつくままに書き留めたメモの一部 どの様な状況、どの様な場面、どの様な経験の中からも意味や意義を見つけ出し自らにとっての価値と成す。 空っぽの自分とは、まだ価値を決めかねている状態。比べようとしていない?比べる対象が見つけられていない? 比べるからこそ、価値を知ることも出来て、存在を知ることや認めることも出来る。 正しい答えばかりでは生きづらい。 変化を楽しめる自分になる。 大きな目的をかかげることで目の前の一歩を踏み出しやすくする。 対話と協働を大義とする。 単

          カタチなきモノ

          共有されることもなく、存在を表すための名もなく  目に見えて容易に比べることが出来、その価値が社会的な評価基準として明示されている価値あるものがある。  一方、本来は価値やニーズが有るにも拘わらず、共有されることもなく、言い表す言葉さえない場合もある。  共有可能な言葉と云うカタチを与えられることなく、その存在を共有し、区別するための境界を定めることも適わず見過ごされていく。  見過ごされていく存在である。 見過ごされていく存在  表現され共有され、言語化されることで

          カタチなきモノ

          多様な変容アプローチに向けて

          習慣化した行動を変化させるには強力な意志や覚悟、信念などが必要である。内発的動機といえる。これは難しい しかし、既存のナラティブや行動目標の多くにはステレオタイプや先入観、バイアスや囚われなどの観念が結びついている場合が多く、この障壁(習慣)を乗り超えて、変容を望む内発的動機を継続的に活用できるようにすることは難しいものだ。 ゆえに、未だ硬直化していない観念、新たなナラティブや自然の摂理(原理原則)に則った法則、共通の人間性、特性を考慮した行動目標を活用することが望ま

          多様な変容アプローチに向けて

          ナゼ、アニメやマンガなのか…?

           「生きづらさや苦悩を抱え選択肢を見失っているヒトとは…」 こんな疑問に立ち返ることから始まったのかもしれない。 「専門的介入は専門家に任せる」 自分が持っている信念とも云うべき思考や判断の軸である。 とするのなら「自分は専門家が必要となったときに、その人が自分の状態や心の声を伝えられるようにアシストすること」と云う概念へとつながっていく。 では、生きづらさや苦悩を抱え選択肢を見失っている対象者には、ナゼ、専門家の言葉や溢れかえる選択肢が届かないのか… 果たして、その人た

          ナゼ、アニメやマンガなのか…?

          心の中のたからモノ

           目に見えない現象、捕らえ処のない心の状態をその現象、作用を形や目に見える作用に準えて表現する。具象化  そうすることでその現象や作用の存在を明確に感じとり、観察可能な状態、共有可能な状態とすることが可能となる。外在化  そのとき、言葉や表現は伝わる言葉である必要などない、正しく伝わる必要などない、いくつもの言葉を、いくつもの場所や方向や時間軸から眺めた形や作用、現象を重ね合わせていけば良いだけなのだ。カタルシス効果  あなたの心の中には、ありふれた言葉では現し切れ

          心の中のたからモノ

          あなたの知る事実や現実は一つじゃない「再解釈」のすすめ

          自分一人きりでは価値のない経験も、誰かと共有することで価値が生じることがある。 これは、不用品をメルカリに出すようなもの。 自分にとって重荷となっている体験も同様に、誰かと共有することで、そこに価値が生じる。これにより、単なる重荷でしかなかった経験が様々な効果を生み出し、価値となり、負担でしかなかった経験が軽減、もしくは、プラスの価値へと変換することさえある。プラスにまで押し上げるまでもなく、プラマイゼロ、中庸、あっていいもの、ありつつ踏まえて自分自身と感じられることで、目の

          あなたの知る事実や現実は一つじゃない「再解釈」のすすめ

          坂の上から見る風景

          ひとは個で完全を成し遂げない、個は己の欠損を補完しようと着目し、拘り、囚われ、望ましい自己にコミットすることで自己成長、意識の成長をしようとする。 時に挫折し、絶望し、それでも尚、譲れない何かをもち得ることで選択する「いま、ここ」に於いて可能性を探り導かれる。 導かれし選択の先に集団を作り、分担を知ることで欠損を補完する術を身に付けたのではないだろうか…? 分担による集団形成という選択肢が有効性や安心・信頼を生じさせることで、その記憶は深く刻み込まれ、世代を超えて受け継が

          坂の上から見る風景