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それでも尚、ひとは…


人は自らの心の内を表現、言葉にすることにより、内なる情動を自らが認めてあげることが出来るようになるのではないだろうか。

他の誰かにより認めてあげることを望むのではないだろうか。

他の誰かがその人自身を認めてあげる姿を通して、自身の心の内を自分自身を認めてあげられるのではないだろうか。

他の誰かを、その人自身の心の内を認めてあげることで、他の誰かや自分、それぞれの心の内と深く繋がることが出来るのではないだろうか。

深くつながりあうことで、ともに喜びを感じることが出来るのではないだろうか。

多くの繋がりを感じ取り、満たされたときにこそ、人は、幸福を感じるのではないだろうか。

あらゆる事象や現象に対して、クリティカルシンキングを用いた考察してみると、価値がないと考えられてきたものや良くないと思われていたことにも価値や役割が透けて見えてくる。

良くない行動を矯正して良い行動が出来るようにこの人を(目の前の人を…)サポートしよう。
そう考えていた。はずだった自分さえもクリティカルシンキングで問い直してみた。😅😅😅

短期的な視点、時間軸でその人が「よりよく生きられるように…」と「これなら、きっと…」でも、長期的な視点、時間軸で、一般的な生活者の姿と重ね合わせて、その真偽を考えると、考えれば考えるほどに、「支援とは…」に行き着いてしまう。

支援者がサポート出来る時間などたかが知れている。
その殆どは対象者自身が自分の判断で考え、行動し、経験から学び、喜びや自信を見出していくこととなる。

現在、一般的な生活者において、どれほどの人たちが「自分の判断で考え、行動し、経験から学び、喜びや自信を見出しているだろうか?
と気づいたとき…
ようやく、自分にとってやるべき「支援のカタチ」の輪郭が見えてきたような気がした。

それは、目の前の取り組むべき事象に追われるうちに忘れてしまうこともしばしば、でも、現実を見る度、支援者の苦悩や支援の仕組み、スタイルを見る度に思い出されるのだ。
目指している支援のカタチについてはここで語ることはやめておく。 いくら言葉を尽くしても、その姿は現しきることなど出来はしないのだから…
それでも尚、これだけは断言できる。

”ひとの持つ可能性は素晴らしい”


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