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坂の上から見る風景

ひとは個で完全を成し遂げない、個は己の欠損を補完しようと着目し、拘り、囚われ、望ましい自己にコミットすることで自己成長、意識の成長をしようとする。

時に挫折し、絶望し、それでも尚、譲れない何かをもち得ることで選択する「いま、ここ」に於いて可能性を探り導かれる。
導かれし選択の先に集団を作り、分担を知ることで欠損を補完する術を身に付けたのではないだろうか…?

分担による集団形成という選択肢が有効性や安心・信頼を生じさせることで、その記憶は深く刻み込まれ、世代を超えて受け継がれ、共感や疑似体験という他者経験の共有という能力を持ったのかもしれない…

 

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