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変革の先導者とは誰か…

(個人の感想として)

子供を育てている親、特に母親は現状維持バイアスを乗り越えて、認知的変容、行動変容を遂げることの出来る可能性がある。

子供の成長のためという大義と子供のお手本となる自分という両側面から自身の在り方、接し方や生き様などを問い直すことで、現代において子育てをしている親、特に母親たちにとっての苦悩を和らげることが出来るのではないだろうか?

子供たちの成長という大義に伴い
多くの親が、子供たちに対して良い経験、望ましいと思われている経験や正しい選択を行えるようにと、躍起になっている。
しかし、結果として子供たちはいい経験、望ましいと思われる経験や正しい選択以外には価値を見出すことが難しくなっている場合があるのではないだろうか。

良い経験や望ましい経験も比較対象、比較となる経験が存在してこそ、その価値を知ることが出来る。
敢えて言うのなら、良い経験や望ましい経験以外にも大切な価値は存在していて、重要な役割や意味が存在している。

正しい選択にしても、状況に応じた適切な選択こそが正しい選択なのであり、その判断を下す経験や判断を下すための比較とする経験がなければ、子供たちは、突きつけられた課題や状況に対する判断に窮し、身動きできない状態となると云えるだろう。

それは、近年あらゆる場面において見られる傾向であり、その態度を一方的に子供たちや若者たちは「やる気がない」や「指示待ち」などと単純な評価を下すべきではないかもしれない。
とするのなら、これまでと違ったアプローチが必要となるのではないだろうか…

子供たちのお手本としての親として
子供たちの成長過程において、強い影響を持つのが親であることに間違いはない。

その親の姿は、良い面も悪い面も、成功や失敗、正しさや間違えたときの対処に至るまでのすべてが、子供たちにとっては学びとなる。

親として、人間として完璧であろうとし、実際に子供たちの前で完璧な姿しか見せないのなら、それを見た子供たちにとっては、それが当たり前であり、完璧な姿を維持できている親のそれまでの努力や失敗、試行錯誤の姿を知ることなく、あるべき姿だけを見せつけられて、自身の成長モデルを描くのではないだろうか…

SNS時代における見栄えの良い側面ばかりが注目され、その背後にある努力や覆い隠された普通の生活には目を向けず、自分と比較してしまう現状と同様とも思える。

子供たちにとって身近なお手本である親の失敗や苦悩、試行錯誤こそ、その子供たちが、これから経験する葛藤や苦悩に立ち向かい、乗り越えるための指針となるもののはずだ。

一人の子供の成長に関わる関係人口が減少する現代に於いて、完璧な姿に拘る親は、本当に子供たちの為を思っていると云えるのだろうか…

必要なのは、完璧な姿ではなく、完璧であろうと試行錯誤する姿までなのかもしれない…

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