見出し画像

【短編小説】嘘をついてもいい日なら

 春の日の、目の奥にちらちらとした刺激を与えてくる夕日に向かって歩いている。大通りから横道に入って歩道のない住宅街の中の道まで来たけど、あたしの家はまだ遠い。

 あたしの隣、少し前をカレが歩いている。あたしよりずっと背の低いカレは小学生くらいの背格好の男の子で、あたしの通っていた小学校の制服とは違う真っ黒の姿。ランドセルを背負っていたりはしない。そんな小さなカレだけど、いつも少し前ここの場所であたしを先導して歩いてくれる。だからあたしはカレの顔を一度も見たことがない。もしかしたらあたしよりずっと歳上なのかもしれない。

「人間たちは今日をエイプリルフールって呼んでるんだろう?」

 出し抜けにカレは言う。カレは少し変わっていた。今だって、まるで自分が人間ではないみたいな言い方をする。カレは誰かが見ている時にはあたしと会話しない。カレは瞬間移動をしたり物体を通り抜けたりできる。いきなり現れて、いきなり消える。そんな、少しばかり変わった子だった。

「あたしはあんなの嫌い。嘘なんてついても意味ないし、別に面白くもない。ネットで盛り上がるのは馬鹿みたいだけど、でもそれをわざわざ馬鹿にするのはかえって馬鹿っぽくてやだ」

 あたしは素直にそう答えていた。だって実際に好きじゃないもの。それは面白みもない深い考えがあるわけでもないありがちでつまらない絶対に人にはこんな恥ずかしいことは言えないと思うようなあたしの気持ちだけど、あたしはカレに対してはいつも素直なことが言える。無難なことを言うのは簡単だけど、安易な本音を言うのは難しい。

 春の夕日がチラチラと神経を逆なでする。住宅街は区画整理が進んで遠くまで続く真っ直ぐな道ばかりになってしまった。道は細いのに、日差しを遮るものがなくて不自然なほど太陽光がよく通って目に突き刺さる。

 あたしの後ろにはきっと長い影ができているだろう。カレの後ろには影ができない。カレは影そのものだから、それは当たり前のことのように思えた。むしろ、カレがこの夕日にさらされて存在できている理由が不明だった。でもそれはよく考えたらおかしいことじゃないのかも。人間は太陽光で消えてしまったりしないもの。光が直接当たると消えてしまうのは影だけど、物体に光があたった後ろにできるのも影。光が差していてあたしがいるなら、カレはここにいられるし、そもそも人間は消えたりしない。カレの存在とはつまり――えっと何の話だっけ。

 そうだった、エイプリルフールなんて嫌いという話。

「君らしい、実に君らしい回答だね。君は本音としてそれを僕に言っているね。実に滑稽だ。鶏の鳴き声がコケコッコーに聞こえると本気で思い込んている人のようだよ。コケコッコーの烏骨鶏だ」

 カレはそう言って嗤った。カレの皮肉はわかりにくいけど、あたしを馬鹿にしていることは伝わってくる。そしてカレの冗談はつまらない。

「あたしらしいのは当たり前。だって本音だもの。あたしはあなたに本音しか言わないよ? 嘘なんてつかない」

 わからない皮肉に応える必要もない。あたしは素直なことを言うだけ。そのためのカレだもの。あたしのためのカレだもの。

「そうだね。僕はそもそも君のためにある。でもね、嘘はそんなに悪いものじゃないよ。こんなのコケコッコーの烏骨鶏な嘘だけど、それでも楽しいひと時だ。おっと」

 視線を上げて前を見ると、カレの前から社会人っぽい装いの大人の女の人が歩いてきていた。こんなとき、いつもならカレはいなくなってしまう。

「まあいいか、今日はエイプリルフールだから。この嘘を隠す必要もない。人間の世界ではエイプリルフールなら嘘をついてもいいんだろう?」

 女の人はすぐそこまできているけど、カレは消えずにそう言った。 

 その人は、あたしを見ると怪訝な表情になって目をそらし、早足ですれ違っていった。

「「あんなものは放っておけばいいさ。今日はエイプリルフールなんだから正しいのは君の方だ。この嘘だって、今日だけは許される嘘なんだから」」

 カレとあたしはそう言った。

「「あたしは嘘なんか言わないよ。あなたには、素直なことしか言わない」」

 あたしとカレはそう答えた。

「「そうだね、なら、もっと君の本当のことを話そうよ。好きなもの、楽しかったこと、嫌だったこと、嫌いな人。本当のことをね。エイプリルフールなんて嫌いなんだろう? なら本当のことをたくさん話そう」」

 それからあたしは、カレとたくさんの話をしながら帰った。

 時間が経つと、夕日も沈む。辺りがだんだん暗くなる。太陽がなければ影もない。あたしの影も、消えてゆく。

 あたりがすっかり暗くなってしまうと、カレは消えていた。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

529,721件

#私の作品紹介

97,883件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?