記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

宝石の国を最新話まで読み終えたので(考察)

珍しく考察を書きたくなった。というか、頭の整理をしたくなったので書こうと思う。
(※最新話は第百六話までの時点です)
(※ネタバレを多分に含みますのでご注意ください)
(※あくまで個人の感想なので石を投げないでください)

この漫画は最近鬱アニメにハマっているらしい息子に勧められて読み始めたが、その際ご丁寧に「母さんは心折れると思うよ」との一言が添えられていた。しかしそんな心配をよそに、私は今のところまぁしんどいはしんどいが、心折れるほどのものではないなという印象である。

自己実現の物語


辛くならない理由はいくつかあると思うが、まず一つ目に、私が心折れるというかしんどくなって読み進められないなと感じる本の特徴として「まだ自分で自分の人生を決められない、守られるべき立場のはずの子供が純粋な悪意に踏みにじられる」ということがある。メイドインアビスとか、タコピーの原罪とか、食わず嫌いなだけかもしれないけど、読んだ方がいいと結構言われるにもかかわらず、主人公が子どもでなんか痛そうな目に合っている、というだけで手も出せずにいる。

幸い宝石の国に出てくる人たちは、ある程度成熟した大人であり、主人公のフォスも、まぁ大きい枠で考えれば社会のシステムに蹂躙されているんだけど、その中で自分の意思で戦うことを決めて、最終的には復讐心に取りつかれて訳が分かんなくなって全ての宝石を砕くとかとち狂ったことを言い始めてはいるけど、それも自己実現の一部なのだという理解ができる。自分で決めた道である安心感は大きい。わたしはテレビでとんでもなく痛い目とかドッキリに合ってる芸人さんを見るのは時にちょっとしんどいが、電撃ネットワークは心から応援できる。これは、側から見て自分で決めたかどうかがハッキリしているから安心して見ていられるということに他ならない。
そういうわけで、しんどいはしんどいけど、「がんばれ、がんばれ、それはちょっとまずくない?あんたそれでいいの?」と時折心配に思いながらもその自己実現をそばで見守るという、ある程度正気を保って読める話だなと思っている。

見た目も変わるからギョッとする部分もあるが、フォスはアゲートと貝殻の脚を得て速さを得、金と白金を得て戦闘スキルも得、ラピスの頭を得て頭の良さも得て、初めて、月人との闘いを終えることができる可能性のある道を見つけるということで「自分が役に立つかもしれない!」「そうしたら、誰かに認めてもらえるかもしれない!」って思えたんだろう。初めて人生に目的ができたのだ。
フォスはずっと「へへへ」「僕の方が可愛い」っておちゃらけていたけど、もしかしたら本当は悔しくて、寂しくて、でも自分の無能さや寂しさに向き合う勇気がなかった人なんじゃないだろうか。そして、自分のその気持ちが、「認めてもらえたら満たされるもの」だと思っていた。(本当に求めていたものは、誰かに理解され寄り添ってもらうことだと思うけど、それがちょっと違うことにも本人は気づいていない。)
だから、自分の毒にある意味向き合っているシンシャのことがどうしても、良くも悪くも気にかかったし触発されたんだと思う。そして、そのシンシャだけが、フォスのことを少し理解してくれていたんだと思う。だってみーんなただの見知らぬナメクジをフォスだと思い込んで、べつに元に戻らなくても良くない?と言っている(この態度には度肝を抜かれた。形が変わるだけじゃなく、確証もなく話せもしないのにフォスの代わりになるのかと…まるで同じ宝石が生まれ代替わりしていくように自然に受け入れられていく…のか…?)中で、シンシャはそいつはフォスじゃない、と気付いてくれたし、何よりあいつはああでこうでと悪態をつくが、それはつまりフォスを表す言葉をたくさん持っているということで、フォスのことを理解していることの証拠でもある。

でもシンシャも人と関わる経験が浅くてそれをうまく伝えられなかった。シンシャが少しでも成長のタイミングが違って、フォスが声をかけてくれたのが嬉しかったと伝えられていたら。最初は月に攫われてしまいたいと言っていたのに、どうして「月に行かない」という選択をしたのか言語化できていたら(いや、遅いか…)。12巻で立ちはだかる仲間たちと一人一人対峙し、虫けらのように気持ちひとつ動かさず粉々に砕いていく中で、シンシャの言葉だけがフォスに届いたのは、やはりフォスにとってシンシャだけが最後まで少しだけ特別で、解ってくれるかもしれない存在だったということだと思う。

フォスが初めから孤独だったわけ


もう一つ、そこまで絶望せずにこの作品を読めた理由として、自分の中にフォスと同じような部分があるからというのがあると思う。息子もまたフォスに自分を重ねて辛くなったようだが、歳をとってある程度自分のことに諦めがついている私は、自分の中に「全てが無になったらいいのに」という破滅的な幻想があることを知っている。
最初から、フォスの中にもそんな欲動があったんじゃないかと思う。11巻か12巻に、フォスが「いまさらなにを…」というシーンがあったように思うが、フォスはずっと、強くなりたいとか、自分にも何か仕事が欲しいということ以上に、やっぱり誰かに理解されたかったのではないかと思う。そして自分でもそれに気づかなかった。

最新話まで読んだわたしは金剛先生を否定したくはないし、機械だからとかそんなチンケな話をしたいわけではないんだけど、やっぱり種を越えて誰かを、何かを理解するというのは容易なことではないと思う。だから、宝石とは異なる人間として育っていくフォスが求める「理解されたい」という感情に、そういう感情を一番向けやすい対象(保護者)である金剛先生は寄り添うことができなかったんじゃないかと思う。
そしてさらに、宝石たちもまた、私が思うに個人差はあれどやはり魂の部分を月人にもっていかれているだけあって、深く何かに寄り添うという心の動きがある程度薄い、というか、良くも悪くも精神構造が単純なのではないかなぁ。カンゴームとエンマとのいちゃいちゃ関係がこれと対比的に描かれているような気がしてならないが、宝石たちは、傷ついた仲間やちょっとおかしくなってる仲間を目の前にしたときに、なぜだろうと深く考えるとか、ただ痛みに寄り添う、みたいなことをあんまり選ばない。ような気がする。
パパラチアが月の技術で元気になって戻ってきた際にルチルが闇堕ちしたエピソードを見ていても、まぁ人間の心情的に分からなくもないが、それでもまず心から求めていたはずのパパラチアが戻ってきてくれたことよりも、自分の大事な何かを知らない誰かにいじられた、そして成功されてしまったことへの憎悪、悔しさ、復讐心の方が勝つんだなぁと思った。だから、もしかしたら、フォスがどのタイミングで何をがんばっても、「僕を愛してよ!」と体当たりしていたとしても、石ころくんのようにみんなを愛したとしても「人間」の望むような寄り添いは簡単には得られなかったのかもしれない。たぶん何万年もかかる。(今書いていてそう考えて絶望した…)

そう考えると、フォスの埋められない孤独を思うと、つらい。そして、普通に生きている自分だって全てがなくなってしまえばいいのに、と考えるくらいだから、フォスがああなっても何の疑問もないなぁ、という感覚がある。そして、皮肉なことに、12巻の最後でフォスはすべてを無に行かせることができる神(?)となって初めて「ようやくわかりあえましたね」という言葉を発する。もうそれがフォスなのかなんなのか分からないが、一万年という時間と、大衆のために一人を犠牲にするという非人道的な決断の重みと、そして宝石たちも月人(魂)となったことで、ようやくフォスの孤独とつらさに寄り添うことができたということじゃないだろうか。そしてフォスはフォスで、その言葉を発した時点では全てに絶望して「無に至ることの救済」を心から望む境地に至った。厳密に言うと分かり合えるというのもちょっと違う気がするが、お互いの気持ちを理解するというところには到達したのだろう。

ちなみに、月人になる前からユークだけは積極的に「対話を」と言ってくれていたが、さらに月人になった後のユークが「あの子のためにできることはないかしら」とフォスの気持ちに極力寄り添おうと思考する姿があった。私は、初めて読んだ時には誤解を恐れずに率直に言うと少し、白々しいなと感じてしまったが(最後まで争いを避けようとしたユークのことは嫌いなわけではない)、先に述べたように考えると、宝石だった頃には持ちえなかった人に寄り添うという部分が月人になってはっきりと開花しているということなのかもしれない。


理解された、と感じること


人間にとって「自分が理解された」という体験はとても大事なものだと思う。それが根底にないと、自己理解も進まないんじゃないかなーと思う。

例えば、気に入らないやつをぶん殴った子どもに対して、誰も何にも言ってくれなかったら、「気に入らないからぶん殴った。なんかむかつく」のまま止まってしまうし、イライラモヤモヤはずっとなくならない。そこで、「気に入らねぇなってなって殴ってしまったのね」という大人(たいていは先生とか、親ではないちょっと遠い第三者が適任)が登場すると「そうなんだよ、あいつ、なんかむかつく」「ほー、どんな時にうわ、むかつくってなる?」という対話から(実際はそうスムーズにいかない)、自己理解が深まっていくわけである。でもこれ、「気に入らねぇなってなって殴ってしまったのね」の言葉が少しでも批判や無理解を含んでいたら、何も進まないと思う。「そういう時あるよなぁ」というのが前段階としてあってこそ、そうなんだよ!が引き出されるわけである。そこからやっとこさ、どうしたら殴らなくて済むか一緒に探すという段階に至るのだ。

つまり、月人になったことでようやく、「フォスをわかりたい(ユーク)」「自分だけ幸せでいいのかな(シンシャ)」という気持ちが宝石たちの中にはっきりと生じたことで、フォスは第一段階に立てたということだと思う。長かったなー!

そして、それに加えて、神?になったフォスに「僕にはひとつも不満はないよ。君にとって完ぺきではないかもしれないけど、僕は自分が良いと自信があるよ」というとても簡単(かつとても難しい)なことを教えてくれたのが石ころくんだった。石ころくんは、自分だけでなく、フォスのことも「悲しいことがあったのかい。僕には何もできないけど、話したいことがあれば聴くよ」「君に会えてよかったぁ」と理解しようとし、存在を肯定してくれる。
そして、「るうるう」「るふるふ」という歌と、ダンスと、言葉と…何かを合わせるだけでこんなに通じたような気持ちになるじゃないか、これがしあわせということじゃないか、という石ころくんからのメッセージ。

フォスにとって、この言語・非言語ともに寄り添う関係性を味わえたのは魂が救われるような感覚だったでしょう。読んでいて私も、とんでもない癒しを感じた。これは人間にとっておそらく、最高の体験なんじゃないだろうか。なんだか分からないけど心が安心していられて、癒しが起こる。これは、お互いの信頼関係の上にしか成り立ちえない現象だと思うんですが、作者の人本当にすごい。
石ころの君がどうしてそんな高度で安定した精神構造を持っているのかは謎だが、もしかしたら、無機物たちは動くとか、見る、巧みにしゃべるという部分と引き換えに、とても高度な精神構造を得た種なのかもしれない。最後に同乗した小さな石の言葉の哲学的なことといったら…

変わってゆく主人公について


本筋にはあまり関係ありませんが、トゥイッター(元)を眺めていて思ったことを少し。自分も若いころは特定のキャラクターに心酔することがあったし、人間がアイドルや漫画のキャラクターにハマることはよくあることだと思う。

この作品への批評を眺めていて思ったのが、キャラクターというものの持つ良さのひとつに、「変わらないこと」「一貫していること」があるんだなぁということ。(もちろんそうでないという人もいると思うので石を投げないでください。石を投げないでください!ただそういうことも多いのではないかと思うんです)
そういう考えを批判しているのではなくて、みんなが想像の中で変わらない可愛さや純粋さ、かっこよさ、強さ、あるいはツンデレを安心して堪能できることが、偶像の持つ最高の特権なのだなぁと思うんです。

例えば、私が大好きなジャンプの名作ハンター×ハンターでも、話の途中で主人公のゴンは憎しみと復讐心からスーパー筋肉ロング黒髪はためかせマンのゴンさんに変貌するわけだが、そのくだりが終わるとゴンさんは無事ゴンに戻る。たいていの物語でよくあるように成長して内面が成熟していく部分もあるが、でもその根本にある魂としてのゴンは一貫したものとして描かれている。あるいは、主人公が闇堕ちするという展開は私の好物でもあるが、たいていの闇堕ち主人公は自分の魂の力で、あるいは誰かのおかげで闇を祓って、闇を祓って、目に光を取り戻すとまた元の魂を取り戻すように描かれることが多いような気がする。逆パターンとして、ジャイアンは映画の時にはめっちゃイケメンムーブするけど、ずっとそうではなくて、日常に戻れば元の横暴なガキ大将である。

宝石の国では、生物的に保守的な性質を持つ宝石たちの中で主人公のフォスだけが、どんどんどんどん、周りの宝石たちも読者も置いてけぼりにするスピード感で変化していく。見た目はおろかその中身まで、本当のところは分からないが魂まで変わってしまったかのような感じである(ある意味ではカンゴームもそうだし部分的にはダイヤちゃんもそうなんだけど…)。
ネット上には、そうした変化についていけない、最初の少々ドジで可愛らしいフォスが好きだったのに…という意見が散見されていて(そうでない意見もある)、確かにあの頃のあどけないフォスを愛しく思うなぁと思う傍らで、なるほど、人間は自分の愛したものが変わっていくことが辛いんだなぁと改めて感じたのであった。

まぁ確かに「妻が、夫が結婚したら変わってしまって辛い」っていうのもよく漫画の広告とかで見るよね。変わり方にもよると思うけど(相手を意図的に傷つけるようなのはよくないと思うから‥)、人間が日々いろんな体験をしているのに変わらない方がヘンな気もするし、その人の中に全くなかった部分ではなくて、多面体がクルクル回って、今あなたに見えてるのはここの面ですよ~みたいなことだと思うから、少しずつ変わってゆく相手も大事にできたらなぁと思うけどね。(あくまで私個人の感覚だし、基本的には根本が合わない、自分がいて辛い相手とは距離を取るべきと思っている人間なのを追記しておきます)

とにかく私にとっては、作者の中にある我々には追いきれないイメージも含めて、すごく良かったなぁ。完結を願っていますが、それぞれのフォスへの理解があれば、完結しなかったとしても、それもまたこの作品のひとつの形かもしれない、という気持ちになる作品でした。


普段はyoutubeでゲームや雑談のライブ配信など行っております。
興味のある方はぜひ遊びに来てください。

どむ


この記事が参加している募集

自己紹介

マンガ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?