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20020629 知りたいと思うこと

 様々なことを知りたい、物事がどうなっているのか探りたい、という欲望は人間にとって最も基本的な精神活動ではないだろうか。四つん這いで動き回って、引き出しを開けては中の物を引っかき回したり、ゴミ箱のひっくり返して中の物で遊ぶ赤ん坊を見ているとそんな気がしてならない。腹が減って食べ物を探しているわけではなく、単にいじりまわしたいだけである。ただ、ゴミ箱の紙などを口にしていることもしゅっちゅうあるので、食べ物を探している場合も少なくない。

 このように何かを知りたいというのは太古の昔から万人に共通する欲求だろう。雨はどうして降るのか、太陽は何故明るいのか、地震はどうして起こるのか、虹は一体何者なのか$${^{*1}}$$など、身の回りに起こる出来事の根本を調べたり考えたりしてきた。調べたり考えた結果は人々の知恵や知識として蓄えられ、それらを応用し易いように学問として整理されたりする。知恵や知識は道具を作る上で応用された。そして現代の人間の身の回りには膨大な知識とそれによって出来た道具で溢れかえっている。

 手に入れることが出来る知識や道具は先人が長い時間をかけて作り上げたものである。突然天から降ってきたり、地から湧いた$${^{*2}}$$わけではない。従って必ずそれが出来上がった背景や理由がある。

 しかしそれらを利用する現代の人々の殆どは背景や理由を知らない。知る必要がない。知らなくても使えるからである。皐月(さつき)は何故「さつき」という$${^{*3}}$$のか、電話は何故掛かる$${^{*4}}$$のか、テレビジョンは何故映る$${^{*5}}$$のか、そんなことを知らなくても利用できる。だが、理由は必ずある。知らなかったり、判らないだけだ。

 知りたいと思うのはいつの時代でも同じ筈だから、それらの理由を知りたくなることもあるだろう。先人が調べたりしたり考えたことをまた調べるのである。先人が繰り返してきた今まで誰も知らなかったことを調べるたり考えたりするのではなく、既に成されたことをまた行うのである。

 何かしら非効率のような気がする。しかし知識は自然と遺伝する$${^{*6}}$$わけではないし、様々な知識の増加量に比例して人間の脳の能力が向上していくわけではないで、繰り返し調べていかなければ後世に伝わらないだろう。こう言った観点から百科事典を作ろうと思う人々$${^{*7}}$$が昔から多く出現したのかもしれない。

 雑記草はそんな大それた考えではなく、色々な物で溢れかえる自分の身の回りの後ろに潜む意外な「理由」を調べたり考えたりするのが楽しくて書き始めた。webではリンク$${^{*8}}$$という素晴らしい機能がある。これを使って簡単に「理由」に辿り着ける。リンク$${^{*9}}$$という仕組みがあるから、この雑記草を書いているようなものである。

 ほぼ毎日書いて、この記事で1000話目となった。日常生活で「1000」という個数は余りにも非日常的で殆ど経験することがない。珍しい経験をした。1000話まで続けられたもう一つの理由は読者の方々の存在である。多くの反応があったので続けられた。

 ご愛読どうもありがとうございました。これからも宜しく御願い致します。  

*1 20000814 虹
*2 徒然草(日本文学大系)4/4
*3 20000613 皐月と躑躅
*4 電話がつながるしくみ | 企業情報 | NTT東日本
*5 「情報世紀」の主役たち
*6 特集2 文化はどう進化するのか
*7 「知の系譜」文庫目録
*8 20000713 リンク
*9 20010919 リンク(2)

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