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20010919 リンク(2)

 web上を検索して、記事中で紹介したいページを見つけると文中にリンクを設定しようとする。念のため、そのページが掲載されているサイトの表紙に行ってみて、著作者のリンク設定についての考え方を調べる。リンクは自由に設定して構わないと書いてあるもしくはそれについて特に何も書いてなければ、記事中の単語や文節にリンクを貼る$${^{*1}}$$。無断にリンクを設定して欲しくない、と主張している場合はリンクの設定を諦めるか、事前にまたは事後に許可を求める場合がある。

 リンクは設定してもしてもいいが、するのなら指定のページのみにして欲しい、と主張している場合もある。この場合もリンクの設定を諦める。リンクは一切認めないと言うサイトには出くわしたことはない。検索サイトで見つけようとしているのだから「リンクを一切認めていない」ページは検索サイトにもリンクされていないはずなので、出てくることはないだろう。

 リンクに関してこのように神経質になっているのは、サイトの内容を部分的に取り出されては自分が発信している情報が歪曲されて伝わる可能性がある、非合法であったり反社会的なサイトにリンクされるとそれのサイトの同類と思われる、といったことを避けるためであろう。

 情報を広く発信するというのは、内容に関してそれなりの責任を負うことである。その内容が批判の対象になる場合もあることは十分覚悟すべきだ。サイトのページの構成によっては検索サイトで抽出されたページだけを見ることで内容が歪曲されて理解される場合もあるかもしれない。これも仕方がないことである。

 リンクそのものをサイトの構成の一部と理解している人にとっては、社会的にその存在が不適当なサイトにリンクされることは我慢できないことであろう。これは以前にも書いたが、リンクというのは文字で書かれたサイトの住所$${^{*2}}$$を手でキーボードを使って入力する代わりに、コンピュータがそれを行うだけの仕組みである。ある本を読んでいて「この本にはこんな記述が載っている」という記事を見つけ、本屋や図書館に出向き、その本を探し出し、紹介されていた記述を見つけ出す、という行為と同じである。リンクというのはこういう手間をマウスのクリック1回だけで実現してくれる素晴らしい仕組みなのだ。閲覧の仕組みであってサイトの構成内容の一部ではない。

 残念ながら、有用な情報が記載されているページを見つけても上記の事情でリンクを諦めた場合がかなりある。非常に勿体ない。しかし文句ばかり言っていても仕方がない。詭弁と思われるかも知れないが、リンクさえしなければいいと考えればページの住所だけを掲載するのはいいだろう。そうすれば「リンクそのものをサイトの構成の一部」と理解している人でも文字だけなら文句は出ないだろう。もともとリンク自体はサイトの内容の一部ではないが、それが文字だけになればどう考えてもサイトの一部とは言えない。

 具体的にどうするか。リンクが設定できない時だけ記事中にページの住所を書くのは少し見苦しい。そこで脚注に掲載する。例えば私の本業のサイト$${^{*3}}$$がリンク禁止だとする。その場合は

遺構探訪$${^{*4}}$$

の様にする(noteではページ内リンクの設定ができないので、リンクの内容には脚注番号のみが入力してある)。「遺構探訪」をクリックすると脚注に飛ぶのでそこに掲載されている住所を複写して貼り付けるかもしくはキーボードで入力して頂ければ、その指定したページを参照する事が出来る。それにしてもこの作業とリンクを設定するのとは何が違うのだろうか。

*1 20000713 リンク
*2 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - URL
*3 20000321 遺構探訪
*4 遺構探訪 http://www.zakkisou.com/ikou/index.html

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