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20090504 八橋無量寿寺

 昨日、末の娘と二人で知立の無量寿寺$${^{*1}}$$へカキツバタ$${^{*2}}$$を見に行った。先日の伊勢神宮での奉納能$${^{*3}}$$で、私が独りで謡ったのは、この寺の辺りが舞台となっている「杜若$${^{*4}}$$」という能の曲目の一部分である。東国行脚の僧が八橋近辺のカキツバタに見とれているとカキツバタの精が化けた女が出てきて在原業平の正体を明かすと言う物語だ。$${^{*5}}$$の長さは、大体、五分間位で、囃子や他の合唱者がない独吟$${^{*6}}$$と言われる形態で披露した。私は譜面を見ずに謡うので、節と歌詞を覚えるのに相当苦労したが、間違えずに謡えた。ただ、譜面に忠実に謡う事ばかりに気を取られて、情景を表現することが殆どできず悔しい思いが残っていた。能の「杜若」の舞台である知立八橋の無量寿寺$${^{*7}}$$で、まさに咲き乱れているカキツバタを見ながら謡の舞台の反省でもしようと思ったのだ。

 カキツバタの花がまばらにしかない$${^{*8}}$$。花が少ないどころではない。株自体がない。病気が流行って土の入れ替えをした$${^{*9}}$$らしい。以前の様$${^{*10}}$$になるには二、三年かかるようだ。そう言えば、以前同じ時期に訪れた時に地元観光協会の説明員の方にここのカキツバタについて伺ったことがあった。もともとカキツバタは湿地帯に生える$${^{*11}}$$。無量寿寺近辺は、現在、湿地帯ではないので、カキツバタを育てるには水を引いてやらなければならない。人工的な環境で密生すると花に勢いがなくなってしまうので定期的に植え替えを実施している、ということだった。それでも病気になってしまったとは。自然を再現する事は簡単ではない。

 能の「杜若」の作者は世阿弥$${^{*12}}$$と伝えられている。僧がこの地を尋ねてカキツバタに見とれていた頃、この地はまだ湿地帯であったのだろうか。六百年前の当時から地元民が植え替えをしていたとなると何やら興醒めである。千年程前の更級日記では、八橋は地名だけでつまらん$${^{*13}}$$、と書かれているし、七百五十年前に書かれた「東関紀行$${^{*14}}$$」には、「皆人かれいひ(ほしいひ)の上に涙落しける所よと思ひ出でられて、其のあたりを見れども、彼の草(杜若)と思しきものは無くて、稻のみぞ多く見ゆる$${^{*15}}$$」と書かれているところから、とうの昔に沼地は開墾されてしまっていた$${^{*16}}$$ようだ。となるとカキツバタに見とれる僧は完全に世阿弥の想像か、はたまた今日と同じように無量寿寺近辺のみ室町時代の地元観光協会が植え替えをしていたのか。後者ならば、それはそれで感慨深い。

*1 無量寿寺 | 知立市
*2 20060304 いずれ菖蒲か杜若
*3 20090428 伊勢神宮奉納能楽(3)
*4 東京国立博物館 特集陳列 能「杜若」の面・装束
*5 能の誘い / 能について / 能楽用語集(謡)
*6 能の誘い / 能について / 能楽用語集(独吟)
*7 20050506 旧東海道を歩く(4)
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*11 KARIYA CITY カキツバタ群落
*12 世阿弥の年譜 | 世阿弥と能作者たち | 世阿弥の世界 | 能楽
*13 更科日記(有朋堂文庫)
*14 とうかんきこう とうくわんきかう 【東関紀行】の意味 国語辞典 - goo辞書
*15 教材化のヒント
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