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20070128 遺構探訪(7)

 フェリーで篠島に渡り$${^{*1}}$$、荷物を宿に置いて探索に出かけた。加農(カノン)砲が据え付けられたと思われる山の中$${^{*2}}$$に入って行く。

 山の中に明らかに人の手による地形が見つかった$${^{*3}}$$。土塁$${^{*4}}$$か通行路のような形状をしている。構築年代を示す様な残留物、コンクリート遺構などは見つからない。

 辺りを探している内に、前回の探索で見学した地域住民に弾薬庫もしくは火薬庫と呼ばれている煉瓦造りの遺構$${^{*5}}$$に辿り着いた。はっとし氏と筆皇氏とはこれ$${^{*6}}$$を見るのは初めてである。今回の合同調査で他に何も成果がないと気の毒なのでじっくり見てもらった。

 四人でさんざん探し回ったが、特にめぼしいものは見つからなかった。もう宿に戻るかと思い、向かったところ、ネーモン氏が雑木林の中で遺構を見つけ出した。コンクリート製の遺構$${^{*7}}$$である。何の為の施設$${^{*8}}$$なのか皆目見当がつかないが、コンクリートの風化具合から五十年程度は優に経過していると思われる。この発見で四人の意気は一気に高まった。他にはないかと探した所、別の所にもコンクリート遺構$${^{*9}}$$が見つかった。近くに土塁の様な物$${^{*10}}$$もあった。何も見つけられないと思っていたが、何とかそれらしき物が見つかった。

 宿で山中のコンクリート遺構について聞いてみた。すると、昔は山の上に島の水道施設があったと言うことだった。現在は長良川から取水$${^{*11}}$$して知多半島の先端から海底送水管を使って配水されている。それ以前は愛知用水から送水されていたようだ$${^{*12}}$$。このような離島水道事業の発達によって山の中の水道は廃止されたのだろう。しかしその場所は島民の居住地域からかなり離れている。また島の中央部の高台には水道施設がある$${^{*13}}$$らしい。もしかすると我々が探し出した遺構は、水道ではないかもしれない。ネーモン氏の鑑定によると戦争にはどうも関係なのではないかと言うことであった。本日の探索結果より「篠島には砲台は構築されなかった」と我々四人は断定した。ではあの資料の篠島の火力図$${^{*2}}$$は何であったのか。「計画であった」とした。

 宿$${^{*14}}$$では大御馳走$${^{*15}}$$が出てきた。特産のゆで蛸$${^{*16}}$$を筆皇氏が悪戦苦闘しながら切り分け$${^{*17}}$$、皆で色々語らいながら楽しく食べた。

*1 20070127 遺構探訪(6)
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*11 うるおい木曽【木曽川用水】-水道用水供給地域(長良導水)
*12 愛知用水年表
*13 篠島配水場
*14 篠島宿泊ガイド - 民宿編 - 民宿 富士
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