ポーランドの京都・クラクフ【Bucket List08】
歴史の栄枯盛衰の中で、古くから都として栄えた往時の栄華を今に伝える街は世界に多く存在する。
日本で言えば京都がその典型例と言えるだろう。
ポーランドにはしばしば京都に例えられる美しい世界遺産の古都がある。
今回はそんな街クラクフについて取り上げたい。
クラクフはこんな街
クラクフ(Kraków)はポーランド南部マウォポルスカ県の県都であり、人口約77万人とポーランド第3の規模を誇る都市である。
古くからボヘミアの交易都市として栄えたクラクフは、11世紀の中頃から17世紀初頭までポーランドの首都として王国の政治・文化の中心地であり続け、プラハやウイーンと並び栄華を誇った。
第二次世界大戦の被害を比較的受けなかったこともあり、街は古くからの建築を多く残しており、「クラクフ歴史地区」として世界遺産にも登録されている。
旧市街探訪
観光の中心である旧市街は、クラクフ中央駅からほど近い。
市街地に向かうとまず目に入るのは大きな円形の砦・バルバカンだ。
バルバカン(Barbakan)とは円形状の砦である。
かつてクラクフは城壁に囲まれた城郭都市であり、その北側のゲートとなっているフロリアンスカ門を守るために1498年に作られたのがこのバルバカンだ。城壁の殆どは19世紀に取り壊されているが、門と砦だけが当時の姿を今に伝えている。
現存するバルバカンはヨーロッパに3つしかなく、その中で最大規模を誇るのがここクラクフのバルバカンだ。
ワルシャワにもバルバカンがあり、ポーランドは世界に現存するバルバカンの3分の2を有するバルバカン大国である。
門を越え、しばし歩くと大きな広場へとたどり着く。
ここ中央広場は総面積4万平方メートルと、中世から残る広場としてはヨーロッパ最大を誇る広場となっており、レストランや土産物屋などが軒を連ねる旧市街の中心地となっている。
その中央に位置するのが織物会館だ。
14世紀に織物の取引が行われていたルネサンス様式の建物は、現在では土産物街となっており、北部グダンスク産の琥珀をはじめ様々な店が立ち並ぶので、お土産の物色にちょうど良い。
外にもカフェなどがあり、はるか昔に思いを馳せながらティータイムというのも悪くない。
中世の雰囲気を色濃く残す広場には、観光シーズンには馬車も並び、雰囲気が楽しい。
そんな馬車の行列の後ろに見えるはポーランド屈指の美しさを誇ると言われる聖マリア教会である。
1222年に作られたゴシック様式の教会は2つの尖塔を持つ外観もさることながら、ステンドグラスや祭壇などの内装が特に美しいと言われる。
しかし、私が訪問した際にはちょうど修復工事中だったため、内部はほどんど見ることができなかったのが残念だ。
しかし、塔には登ることができた。
高さ80mほどの尖塔からは、広場の様子が一望できる。
そしてこの塔から街の4方向に向かって1時間おきにトランペットが吹き鳴らされる。
これは13世紀にモンゴル兵の襲来を受けた際、人々に敵襲を知らせる警笛を鳴らした衛兵が、喉を射られ亡くなったことを悼んで行われているものである。
ヘイナウ・マリアツキ(Hejnał mariacki)と呼ばれるこのメロディーが途中で途切れるのはこのためである。
どこか物悲しいラッパの音。そして演奏後、強面の演奏係が窓を閉める前に、眼下の観光客にちゃんと手を振るギャップがたまらない。
古都の象徴と龍の伝説
そして旧市街の南部にはヴァヴェル城がある。
970年にポーランド王カジミェシュ3世によって建てられた城は、1596年に首都をワルシャワに移すまで歴代ポーランド王の宮廷として改修を続け、現在の姿へと成長している。
また王宮の左には歴代国王の戴冠式が行われたヴァヴェル大聖堂も併設されている。
ここの地下は墓地となっておりポーランドの歴代国王やその他英雄が眠っている。
そして、ヴァヴェル城の南端の地下には洞窟がある。
ここは龍の洞窟と呼ばれており、かつて龍が住んでいたとされている。
伝説によると、ここに住んだ龍は家畜や若い娘を攫っては食べてしまっていたため、国王が退治しようと騎士を集めたものの、倒せたものはいなかった。
そんなある日、機転を利かせた若い靴職人が、硫黄やタールを染み込ませた羊の皮を縫い合わせて川沿いに仕掛けておくと、ドラゴンは羊と勘違いしてそれを食べてしまう。
そして腹痛に襲われた龍は川の水を飲み続け、ついに腹が破裂して死んでしまった。
その後、若い靴職人は褒美として王の娘と結婚して幸せに暮らしたそうだ。
洞窟の外には伝説にちなんだ龍の像が建てられている。
たまに火を吹くそうだ。
負の遺産
クラクフ近郊には、クラクフ旧市街を含めて3つの世界遺産が存在する。
その1つであり、いわゆる負の遺産と分類されるのがアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所だ。
アウシュビッツ(ポーランド名オフィシエンチム)へは、クラクフからバスで1時間半程度の場所にある。
内部はガイドツアーで回ることができる。
入り口には「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」という文字が掲げあられているが、よく見ると3文字目Bの字が逆さまになっている。
この門を作らされた被収容者がせめてもの抵抗として上下逆さまにしたのではないかという説があるそうだ。
有刺鉄線が張り巡らされた収容所内には、第二次世界大戦下でナチス・ドイツによってユダヤ人、ポーランド政治犯、ソ連軍捕虜などを収容し、虐殺が行われていた当時の写真や資料が展示されている。
被収容者から押収した靴やメガネなど膨大な物品の数からも、いかに多くの人々が収容されていたかが伺い知れる。
また、アウシュビッツからバスで10分程度の距離にあるビルケナウにも、更に大規模な第二収容所がある。
「死の門」と言われたゲートをくぐると、広大な敷地内にいくつかの建物が点在しており、こちらも当時の収容所の様子を知ることができる。
楽しい気分で過ごしたい海外旅行の中で、こういった負の歴史を持つ場所を訪れることはあまり気がすすまないかもしれないが、過去に行われた凄惨な出来事を目の当たりにし、過去から学ぶことも時には必要だろう。
クラクフのマグネット
クラクフのマグネットがこちら。
聖マリア教会に馬車、そしてヴァヴェル大聖堂と伝説のドラゴンと、クラクフ旧市街の魅力を詰め込んだ一品だ。
中央の銅像は中央広場に鎮座するポーランドの国民的詩人アダム・ミツキェヴィチのものだ。
かつてポーランド・リトアニア共和国としてヨーロッパ最大の領土を有するなど、栄華を誇ったポーランドにおいて、その政治的・文化的中心を担ったクラクフには、その当時の空気を今に伝える佇まいが残っている。
そんな古都の雰囲気を感じながらの街歩きは、印象的な非日常の体験を与えてくれるだろう。
最後まで御覧いただきありがとうございました。
次回はクラクフ近郊のもう一つの世界遺産を取り上げられればと思います。
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