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駅前世界遺産・ケルン【Bucket List02】

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第2回はドイツ西部の都市ケルンにある世界遺産を取り上げる。
実は前回取り上げたモン・サン・ミッシェルから連続したストーリーとなっている。

明けもどろのモンサンミッシェルを眺め、日本人で埋め尽くされた朝食会場で朝食を摂った我々は一路パリへと戻り、ホテルに預けていた荷物をピックアップすると、フランスに別れを告げ、一路ケルンへと向かったのであった。

ケルンへのアクセス

パリからケルンまでは、国際高速列車タリス(Thalys)を利用した。

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パリ北駅に停車中のタリス

タリスはフランス・ベルギー・オランダ・ドイツの4カ国を走る国際高速列車である。
その多くはパリ=ブリュッセル間を結び、そこからオランダ・アムステルダムへと向かうが、1日数本のみドイツへと向かう列車が存在しており、それに照準を合わせてケルンへと向かったのであった。
思えばこれが初めて鉄道で国境を超えた経験であった。

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なお、Thalysとは特に意味のない造語であり、運行するフランス・ベルギー・オランダ・ドイツのいずれの言語でも悪い意味を持たず、響きの良さでつけられたそうである。

1時間ほどでブリュッセルに到着。この約1年後に訪れることになろうとはこの頃は知る由もなかった。

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そして列車で国境を超えるという初めての経験にソワソワしていたこと、および斜め向かいの席に座っていた乗客が、ポール・ロジャース城島健司を足して2で割ったような顔をしていたことが未だに思い出される。

パリを出発して約3時間、モン・サン・ミッシェルから都合9時間の移動の果てに、ようやくドイツの地を初めて踏みしめた頃にはすっかり日も暮れていた。

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ケルンはこんな街

ケルン(独Köln/英Cologne)はドイツ西部ライン川にまたがる都市であり、人口約109万人とドイツ第4の都市である。
1世紀にローマ帝国のコロニア(植民都市)として創建されたのを起源とし、東西ヨーロッパを結ぶ交易路として、またハンザ同盟の主要メンバとして大いに反映した歴史を持っている。
第二次世界大戦では連合国側の空爆により甚大な被害を受けたが、その後の再建活動により多くの歴史的建築物が再現され、多様な建築様式が共存する都市となっている。

特にケルンを象徴する建築物なのが、ケルン大聖堂(Kölner Dom)であり、ゴシック様式の建築物としては世界最大を誇る聖堂は世界遺産にも登録されている。

夜の大聖堂

夜にケルンに到着した我々であるが、翌朝10時はケルンを発つスケジュールとなっていた。そもそもケルン大聖堂以外眼中になかったのである。
早速駅前のホテルにチェックインを済ませる。
ふと外を眺めると、早速大聖堂の姿が見える。

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特筆すべきはその駅からの近さである。

ケルン中央駅からわずか徒歩1分/46mである。
そして大聖堂は高さ157mと40階建てのビルに相当する高さである。これでは迷いようがない。
数ある世界遺産のうち、その都市の中心駅からの近さで競えば、おそらくケルン大聖堂に敵う遺産はないのではないだろうか。

早速夕食を済ませると、夜のケルン大聖堂の姿を眺めるべく、ライン川を渡った。
というのも、なまじ駅の近くにあり157mの高さを誇る聖堂であるがゆえに、近くからではその全景をなかなか視野に収めることが難しいのである。

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そこで、ホーエンツォレルン橋(Hohenzollernbrücke)を越えるとライン川越しに橋とライトアップされた大聖堂の姿の全景を眺めることができる。

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ライトアップされた橋と大聖堂の姿が美しい。
また、このホーエンツォレルン橋は恋人たちの聖地としても知られ、橋の欄干には多くの南京錠が掛けられている。
永遠の愛を近い、ここに南京錠をつけて鍵をライン川へと投げ込むそうだ。

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もっとも、男二人で来ていた我々には縁のない話であり、金属を川にポイ捨てする環境破壊行為は大変遺憾である。

朝の大聖堂

そしてあくる朝、残された少ない時間で大聖堂の中へと向かう。
明るくなって改めて見ると、やはり駅からの近さが際立っている。

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前日の夕食のハンバーガーが無事あたってトイレから出てこなくなった友人を置いて、一人大聖堂へと向かう。

現在の大聖堂は、実は建物としては3代目であり、初代大聖堂は4世紀に完成したそうである。1248年に火災により焼失してしまった2代目大聖堂に変わり3代目の建築が始まる。

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しかし、16世紀の宗教改革に伴う財政難のため工事は3世紀近く中断。最終的に完成をしたのは建設開始から632年の時を経た1880年のことである。
未完の建築としてあまりにも有名なサグラダ・ファミリアが予定通り2026年に完成したとして工期144年であるので、いかに壮大な工事であったかが推察される。

聖堂の中に向かう。
身廊は43mの高さで中に入ったものを圧倒する。
ゴシック様式としては世界最大の建築であるが、あまりに長い建築期間ゆえゴシック建築は一度衰退し、皮肉にも完成した頃には時代は一周してゴシック・リヴァイバルの全盛期となっていた。

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そして、身廊を歩いていたとき丁度9時になったからであろう。正刻を告げる鐘の音が響き始めた。
ほとんど誰もいない、光の降り注ぐ聖堂で荘厳に鳴り響く鐘の音を聞きながら歩を進める。こんな贅沢な体験があろうか。

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私が選ぶ世界三大聖堂にノミネートが決定した瞬間であった。

残る2つはストラスブール大聖堂(フランス・ストラスブール)およびカイザーヴィルヘルム記念教会(ドイツ・ベルリン)である。
なお、カンタベリー大聖堂(イギリス・カンタベリー)も加えて聖堂四天王としてはどうかという動きもある。

近代的リメイク

教会の見どころの一つといえばステンドグラスである。
ステンドグラスといえばイメージするのは荘厳な宗教画であることが多いかもしれない。
もちろんケルン大聖堂にもそういったステンドグラスが存在する。
しかし、ひときわ目を引くものがあった。

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一瞬表示がバグっているのかと錯覚するこのステンドグラスは、72色11500個の正方形のガラスで構成されたモザイクのような模様になっている。
他のステンドグラスとは一線を画すこのグラスは、もとよりこのようなデザインだったわけではなく、2007年に現在のものがはめ込まれている。
これを手掛けたのはドイツが誇る現代アートの巨匠ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)である。

第二次大戦の戦場となったのは古都ケルンの街も例外ではなく、9割の建造物が破壊されたと言われる。その中で奇跡的にケルン大聖堂は崩壊を免れた。しかしながら空襲により内部は激しく損傷したため、戦後復旧工事が行われ、さらに90年代に入り、より戦前の外観に戻す作業が行われた。
その一環で南側の窓を新たなデザインに取り替えることが計画され、リヒターがその仕事を請け負った。

当初はカトリック殉教者の肖像をモチーフにすることが計画されていたものの、それを不適切だと考え始めたリヒターは、72色のガラスを乱数によって格子状にランダムに配置する一方で、用いる色を全て大聖堂に残る中世のガラスに使われる色とすることで、独自の幾何学構成と他の内装との調和を図っている。

一部拡大

完成当初からその現代的かつ抽象的なデザインには賛否両論があったそうだが、光が差し込み聖堂内部を様々に彩る姿の美しさがとにかく印象に残っている。

シンボルから眺める市街

ケルン大聖堂はその上層部に登ることもできる。
523段の階段を登った先にある尖塔に位置する展望台からは昨晩渡ったライン川や、

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反対側の100万都市の姿を一望することができる。

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ほとんどただ泊まるだけというタイムスケジュールを組んでしまったことが惜しまれるが、また行く機会があればじっくりとこの街の歴史や文化を味わいたいものだ。

ケルンのマグネット

ケルンのマグネットがこちら。

天を衝く壮大な大聖堂。以上。
潔いデザインだ。

こうしてわずか16時間のケルン滞在は終わりを告げた。
友人をトイレから引っ張り出すと再び電車に乗り込み、窓の外の大聖堂に別れを告げると、次なる目的地へ向かったのであった。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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