哲学格闘伝説3 デカルトvsヒューム
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闘技場に満ちた沈黙が、蝋燭の揺らめきによって破られる。
選手入場
実況:「ご来場の皆様、お待たせいたしました」
「理性と経験、真理を巡る死闘の幕開けです!」
場内が闇に包まれる
実況:「青コーナー!」
無数の蝋燭が、幾何学的な配列で浮かび上がる。
「理性の光を振りかざす、近代哲学の父!」
「方法的懐疑の探究者!絶対的確実性の体現者!」
「ルネ・デカルトゥゥゥ!」
幾何学的な光の螺旋が現れ、その中心から黒衣の男が姿を現す。
デカルトの周りには、完全な数式が光の文字となって浮かんでいる。
実況:「赤コーナー!」
霧が渦を巻くように立ち込める。
「経験の真実を説く、懐疑の探究者!」
「因果の鎖を打ち砕く、徹底的経験論の使い手!」
「デイビッド・ヒューーーーム!」
濃霧が裂け、長身の男が静かに歩み出る。
その足跡には因果の鎖が浮かび上がっては消えていく。
対峙
月光の下、二つの影が向かい合う。
「目の前にあるものが本当に実在するのか」デカルトが静かに問いかける。「この世界が夢ではないと、どうして言い切れる?」
「面白い質問だ」ヒュームが眼鏡を光らせる。「だが、そもそも『実在する』とは何なのかな?」
「何?」
「我々が知っているのは、ただ経験だけだ」ヒュームの周りで霧が立ち始める。「目で見て、手で触れて、そうして得た知覚の連なり。それ以上でも以下でもない」
「なら、私はその経験すら疑おう」デカルトの瞳が冷徹に輝く。「そうして初めて、絶対に確実なものが見えてくる」
「フッ」ヒュームの口元が歪む。「その『絶対に確実』とやら、見せてもらおうか」
試合開始
ゴングが鳴る。
「方法的懐疑・メソディカルダウト!」デカルトの放つ光の刃が、霧を切り裂く。
だが、霧は再び繋がり、むしろ濃度を増していく。
「全てを疑うというが」ヒュームが眼鏡を直す。「その疑う心も、経験の積み重ねじゃないのか?」
「どういう意味だ」
「簡単な話さ」ヒュームの声が響く。「お前は今まで何度も騙されてきた。だから疑う。その繰り返しが、お前の『懐疑』を作り出している」
「まさか...」
「そう、お前の理性的な思考も」霧が渦を巻き始める。「所詮は経験の習慣に過ぎない!」
「経験の連鎖・習慣崩し!」
デカルトの技から、確実性が失われていく。
「ならば───」デカルトが外套を投げ捨てる。純白のコートが月光に輝く。
「魂と物質を完全に分離する!実体分割・デュアルサブスタンス!」
光が空間を切り裂き、精神と物質が完全に分離される。
「ほう」ヒュームが静かに目を細める。「精神と物質を分けたつもりか」
「その通りだ」デカルトが告げる。「物質は疑わしくとも、精神だけは───」
「甘い」ヒュームが指を鳴らす。「その『精神』とやら、本当に一つのものなのか?」
「何?」
「よく見てみろ」ヒュームの周りの霧が、より深い色を帯びる。「お前の言う『精神』の中で、今何が起きている?」
「喜び、怒り、痛み、考え...様々な感覚が...」デカルトの声が途切れる。
「その通り」ヒュームの眼鏡が不気味に光る。「それらバラバラの感覚を、勝手に『私の精神』と呼んでいるだけだ」
「感覚束縛・バンドルセオリー!」
渦巻く霧が、デカルトの「精神」を襲う。分離されたはずの精神が、無数の感覚の断片に分解されていく。
「見えるか?」ヒュームの声が響く。「お前の言う『私』など、ただの感覚の束。バラバラな知覚が集まって『私』という錯覚を作り出しているだけだ」
「まさか...私の...存在が...」デカルトが膝をつく。
激突
「とどめだ」ヒュームの周りで、漆黒の霧が渦を巻き始める。「全ての確実性を打ち砕く、私の奥義を喰らえ!」
【経験の深淵より立ち上がる懐疑よ
全ての因果を打ち砕き
今こそ示せ、絶対の不確実性を!】
「奥義!絶対懐疑・アルティメットスケプティシズム!」
漆黒の霧が咆哮となって、デカルトを襲う。理性の光が次々と崩壊し、純白のコートが血に染まる。
「どうだ」ヒュームの声が響く。「これが経験論の力だ。お前の理性など、ただの幻影に過ぎん!」
「理性も...真理も...全てが...」デカルトが血を流しながら呟く。
だが───
決着
「フッ」微かな笑みが、デカルトの口元に浮かぶ。
「何?まだ何か?」
「確かに、私の中の感覚はバラバラかもしれない」デカルトがゆっくりと立ち上がる。「だが、それを『バラバラだ』と感じているのは誰だ?」
「!?」
デカルトの声が、より強さを増す。「それを『束』だと理解しているのは誰なんだ?」
「それも...感覚の...」ヒュームの声が、わずかに揺らぐ。
「違う」デカルトの体が、淡い光を放ち始める。「感覚がバラバラでも、それを感じ、考える『私』は、確かにここにいる」
「そんな...」
「全てを疑おう」デカルトの瞳が輝く。「だが、その疑いすらも、誰かが疑っているはずだ!」
【懐疑の果てに立つ永遠の真理よ
我が思考すらも疑い抜きし先に
全ては偽なりとも、疑う我だけは真なり
混沌たる不確実の闇を貫きて
今こそ示せ、絶対確実の光明を!】
「究極奥義!我思故我在・コギトエルゴスム!」
眩い光が天を貫く。デカルトの周りの空間が、純粋な理性の光で満ちていく。
「バカな...!」ヒュームの霧が、光の前で蒸発し始める。「私の懐疑は、全ての確実性を...!」
「お前は『全て』を疑ったわけではない」デカルトの声が響く。「疑っている『自分』の存在まで、本当に疑えたか?」
「くっ...」ヒュームの眼鏡が砕ける。
「これこそが、究極の確実性」デカルトが右手を天に掲げる。「全てを疑い抜いた先にある、唯一の真理!」
光の奔流が、霧を切り裂く。感覚の束が解体され、不確実性の闇が晴れていく。
「ま、まさか...私の経験論が...」ヒュームの体が、膝から崩れ落ちる。
だが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「なるほど...確かに、それは美しい答えだ」
「ああ」デカルトも静かに頷く。「全てを疑え。だが、疑う自分自身を見失うな」
実況:「決着!勝者、ルネ・デカルト!」
月が静かに輝きを取り戻す。
深淵は、絶対の確実性を見出した魂を、優しく包み込んでいた。
闘技場のモニター。
雨の降り注ぐ比叡山の廃寺にて
破れた僧衣をまとい、雨に打たれる男。
「自力の修行など、所詮は無力」
遠く阿弥陀如来を見上げる
「われら凡夫、煩悩具足のままにて」
「ただ一筋に、たすけたまへと念じ奉るのみ」
古びた修道院の祈祷室
蝋燭の明かりの中、跪く男。
「主よ、私は罪深き者」
胸に十字を切る
「原罪を背負いし人間、救われるは神の恩寵によってのみ」
「見せてやろう。真なる救済の姿を」
二つのインタビューが交差する
「悪人正機、この身の姿をもて」
「神の国は、この地にも」