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The GORK  15: 天使のお菓子 マリービスケット

15: 天使のお菓子 マリービスケット

 三日目、俺は各階のエレベーター前にあるエントランスフロアを巡り歩いて、マンウォッチングに励んだ。
 それは、煙猿の姿を探す為でもあったし、蛇喰のいう白目十蔵の手がかりを掴むためでもあった。
 それで判ったのは、平成十龍城の住人達は、下のショッピングゾーンの関係者以外は、ほとんど自分の部屋から出てこないという事実だった。
 エントランスフロアに置かれてある備え付けのベンチに座っている人数は、多い時で二・三人。
 そして、その殆どが老人だった。
 さらにその老人達も、お互いに無関心のまま、新聞を読んだり物思いに耽っているだけのように見えた。
 俺は煙猿の情報を得ようと彼らに接触を試みたが、辛うじて、蛇喰から指示されていた「北野灘駅が終点駅でなくなる」という噂話を彼らに吹き込むのが精一杯だった。
 午後三時過ぎになって、壮年男性が部屋から出てきたのを見つけて、俺は胸が高鳴るどころか、逆に情けない気分になった。
 部屋から出てきたのは、なんの変哲もない、全く普通の男だったからだ。
 これが裏十龍の住人の素顔、、。
 勿論、話し込めば、それ相応の事情があるには違いなかっただろうが。

 夕刻、ほとんど収穫のないままマリーの部屋でふてくされていた俺に、仕事場から帰宅したマリーが、「最上階に行ってみれば」と笑いながら勧めてくれた。
 最上階とその下の階には、開業当初、レストラン街と展望ラウンジが設置されていて、平成十龍城がこんな状況になった現在でも、それに該当する店舗が入っているのだという。
 正に「隠れ家的」というヤツだった。
 探偵家業を営んでいても、世の中には、まだまだ俺の知らない世界が沢山あると、いう事だ。
「何故、それを早く言ってくれない」と俺がぼやくと「だってあなたは何も聞かないじゃないの」とマリーが笑って答える。
 おおらかと言っていいのか、細かな事には気が回らないのか、、だが決して嫌いな性格じゃない。
 ややオーバーサイズのジャケットを肩からかけてもらいながら、これも蛇喰のものなのだろうかと考えながら、俺はある疑問に突き当たった。
 昨日のスマホ通話から考えて、蛇喰は裏テンロンの事情について。かなり事細かく状況を把握している。
 その情報源は一体だれなのか、このマリーなのか。
 しかしマリーが裏テンロンを裏切るとは考えられない。
 もう一人、内通者がいるのだろうか、、。

「純はお金、持ってる?最上階は結構、ボルわよ。」
 マリーが親身な表情で言う。
 この世話の焼きっぷりは、単に蛇喰から俺の世話を頼まれているからだけではないだろう。
 男の世話をせずにはいられない男、いや女?、こうやってマリーは、かって蛇喰の世話をしたのだろうか。
「大丈夫、ある奴に今月分の給料払ってないから。その分の金がそのまま財布の中にある、、、こう見えても俺、人を雇ってるんだよ。」
 俺は部屋のドアを閉めるまで、何故自分がそんな意味のない冗談をマリー言ったのか、しばらく気付かないでいた。
 マリーの存在が、俺のリョウに対する「枯渇」を忘れさせていたのだ。


 夢殿区路地裏の猥雑さが、蘇ってくる。
 そう、この感じなんだよな。
 俺は喜々とした気分で、旧飲食店フロアーにある、もっともいかがわしいキャバレーのような店に入った。
 勿論、裏十龍の中で、風俗店が通常の営業をやっているとは思えないので、その実態は不明だ。
 一瞬だけ、店内の人間達の注目を浴びたような気がしたが、薄暗い照明にまだ目の慣れない俺には、なんとも言えなかった。
 第一、裏十龍にいるというだけで、その人物の素性の半分以上は既に知れ渡っているのだ。
 つまり此所にいる人間は、全員、堅気でもなく筋者でもない。
 俺は迷わず、カウンター席に進んだ。
 途中で他の客を相手にしている黒いドレスのボブカットの女と視線があった。
「ウィスキー、ロックで。」
 髭の生えたバーテンダーがこちらを向いたので、そう注文をすませて、俺はおもむろに店内の観察を始めた。
 驚いた事に、一番奥のボックス席に昼間見た壮年男性の姿を見つけた。
 トレッドヘアの黒人と膝をつき合わせて何か熱心に密談をしている。
 その様子は昼間のくすんだ印象とはまったく趣が違った。
 それに壮年男性に限らず、あちこちのグループの様子には共通した雰囲気があった。
 それは犯罪にかかわる者達の特有の匂いだった。

「新入りさんは、誰かをお捜し?」
 先ほど目のあった女が、俺の横のスツールに滑り込んで来る。
「ああ、白目十蔵って奴だ。」
 女が一瞬息を飲んだ。
「・・・女の子じゃないのね。私でどうかしら?って思って声をかけたんだけど、、」
 上手いはぐらかし方をするもんだと思いながら、俺は同時に自分自身の早急さに驚いていた。
 いつもの調査なら、これほどの直接的なアプローチなど決してしない筈だ。
「あっ、いや、裏テンロンに入ったら、そいつに頼ると良いって言われていたもんでね。彼女が俺の事、面倒見てくれるなら、それでいいさ。」
「じゃ、又、この店に来てくれる?アタシの名前はマリー。」

 女は少し欧米人の血が入っているような彫りの深い顔立ちだが、紛れもなく日本人だろう。
 俺は、西洋系の血が混じっているリョウの顔を普段見慣れているから、その微妙な違いが分かる。
「只野マリーとか言うんじゃないだろうな。」
「それじゃ、あんまりでしょ。夢路マリー、なんだか場末のストリッパーみたいでしよ。」
 只野マリーに夢路マリーか、、、。
 人を馬鹿にしてんのか、、。
「いや、その名前、ここの雰囲気によく似合ってるよ。」
「二人の出会いに乾杯していい?」
 マリーがバーテンに目配せする。
「マリーは何号室に住んでるの?」
「あらあら、随分、ストレートなのね。普通、濡れなきゃ入れられないものなのよ。だから番号答えても意味ないでしょ。それにあたし、ここの住人じゃないし。」
 この女も自由に外界との出入りが出来るのだ!
 ミッキーが話していた「ねずみの穴」を思い出した。
「入れる入れないって、時間はさ、あまり問題じゃないんだよ。場合によっちゃ、手順さえね。」
 俺が正面からマリーの瞳を覗き込む。
 マリーはマリーで、明らかに商売抜きでこのゲームの幕開きを楽しんでいるように見えた。
 転生前だったら、こうは行かなかっただろうと思う。
 俺はこういう状況に辿り着くまでに、下らないギャグを100程連発してた筈だ。

「性感帯って、人によって違うでしょ。あれは後天的な学習で開発されるからなんだって、でもキスは殆どの人が最初から感じるって言うわ、、、」
「相手が、いやな男でも?」
「ええ、そこそこには。少なくともアタシの場合はね。」
「そうか、、今度、その実験をしてみるよ。今夜は新入りの身としては色々探検をしてみたいんでね。白目十蔵の事とか。知っておきたい事が沢山あるんだ。ここより他に、何処かお勧めの場所はあるかい?」
 俺はもう一度、カマをかけてみる。
 もうこれ以上深入りはするなと自分の声が聞こえた。
 首の裏側がちりちりした、危険信号が灯っている。

「もう一つ上の階に展望フロアーがあるわ。エレベーターは止められてるけど非常階段で上がれるの。普段は無人で電気が遮断して在るから灯りがないのよ、だから窓には裏張りもない。つまり夜景が見えるってこと。とっても綺麗よ。」
 マリーは白目十蔵の名前を意識的に聞き流したのか、見事なスルーぶりを見せた。
「判った、ありがとう。その展望フロアーとやらが気に入ったら、いつか君をそこに誘うよ。」

 その後、数軒、飲み屋を冷やかしながら蛇喰から指示のあった噂話を流し終えた頃には、ほろ酔い気分になっていた。
 前の俺なら泥酔して、ところ構わずぶっ倒れていたに違いない。
 何だか、気分が良かった。
 いや酒に酔ったからじゃない。
 裏テンロンの素顔が少し見えて来て、この雰囲気が嫌いじゃないと思え始めたからだ。
 アウトサイダーの世界か、、、コリン・ウィルソンが裏テンロンの事を知っていたら泣いて喜んだだろう。
 マリー達が、裏テンロンを愛している意味が少しだけ判るような気がした。


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