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依頼で書く文章とそうでない文章

ワクチンの副反応もありがたいことに一晩でほぼなくなり、本日は通常営業中。そして、またこのタイミングで滞っていた返信が一度にまとめて届いた。タイミングが良すぎてもはや不思議なレベル。

その中に、これまた不思議な縁で始めることになった、ある連載の原稿に対する返信もあった。

「これではまだ内容が薄いです。」

そうか、そうだよな。人の話を聞いてそれをまとめる、というのも映像の仕事ではよくある作業だ。同じ「取材をして文章にする」という作業も、映像に載せるナレーションに使うためかサイトで公開する文章なのかでは、求められるものが全く違う。

映像抜きに文章だけで勝負するということは、キーワード的なものを拾って、そこからさらに話を広げる、ということも必要になってくる。ある意味、他人の話を分かりやすく自分の言葉で「変換する」作業になる。

コロナのロックダウン明けの反動で始めた毎日note。好きなように何も気にせず書き続けて、もう1年くらいになるだろうか。当然と言えば当然だが、単にその日の気分で「書き散らかす」noteと、「仕事として依頼されて書く」文章というものは全くの別物なのである。

「仕事として依頼されて書く」ということに関してはほぼ経験がない状態なので、担当して下さる編集の方に呆れられないように、先方の望む方向性のテキストを出来る限り綴るようにしている。映像の世界もそうだが、やはり最後には「編集ありき」だと思うからだ。

自分一人で書いていると、それを読んでくれている「読者」の目線を気にしているようでいて、実はほとんど気にしていないことが多い。それが説明不足に繋がったり、ひとりよがりの自己満足に陥いることになりやすい原因なのだろう。

そういう意味では、縁の下の力持ち的な立ち位置のコーディネーター業と編集業はどこか重なる部分があるような気さえしてくる。それが分かっているので、割と編集する側の気持ちは汲み取りやすい方だと思う。

明日土曜日の日本時間の7時に、2本目の記事が更新される予定だ。今、3本目の原稿に取り組んでいるので、また更新が決まればお知らせしたい。

ちなみに仕事としては初めて公開になったテキストはこちらから↓

まさか自分が「ドイツ歴26年の日本人ママ」として、「ドイツの朝ごはん」についての文章を書くことになるとは思わなかった。

人生、人の繋がりで何がどう転がるのか皆目見当が付かないからこそ面白い。




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