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明日、何着て生きていく?

そういえば、今年の秋冬は赤も流行るんだっけ。
――洋服が散乱と床に積み上げられた部屋のクローゼットの中から真っ赤なロングコートを掘り出した私はふと、先日本屋で立ち読みした最新号のファッション雑誌の記事面を思い出した。

よいしょ、とそのコートを取り出す。
混じり気のない、鮮やかな赤。
暗くもなく、明るくもない赤。
ずっしりと重いそのコートを指でなぞってみる。丁寧に仕上げられた袖や裾、裏地。そこに縫い付けられたCELINEのタグが目に入る。

昨年の秋に出会ったこのコートは古着である。
一目見た瞬間、心臓の下部からゾワゾワと興奮が沸き起こってきたのを今でも思い出す。

あまりにも状態が良いので、ショップ店員に大体何年頃の品か尋ねると、90年代頃だと言う。かなり最近である。
コートの前をとめるボタンの緩みから、前の保持者が頻繁はこのコートを羽織っていたんだなあと感じた。状態の良さから、大切に着ていたことも予想できた。
そうであれば、なぜこんなにすぐ手放したのだろう、と不思議に思った。90年代ものであれば、現在から約20年時が経っているが、バイヤーがこのコートを探し当て、ここ日本にやってくるまでの日数・年数を考慮すれば、前の着用者がこのコートを保持していた期間の短さが分かる。
あんなに丁寧に着ていれば、何十年も使い続けられる品物であるのに。そんな勝手な憶測から、私は前の保持者像をまた勝手に想像する。

同じ服はワンシーズンのみ使う主義の人だったのだろうか、それともこのコートを手放さなければいけない状況に陥ってしまったのか。
はたまたただ単に飽きてしまって、売りに出しただけなのか、、

勿論、答えなんて永遠に分かり得ないけれど、その妄想自体を楽しんでしまうのは古着の醍醐味である。
――昨年は数回しか着てあげられなかったから、今年は沢山着て、
丁寧に手入れしてあげよう。
 


「わたしたちは、思い出を着ている」


雑誌SPURの8月号の表紙を見た時、ずっと探していた引き出しを引き当てたようだった。
――ああそうだ、これだったんだ。私がファッションに対して感じていたこと、求めていたことはと。

衣服には、物語がある。
旅行先で着た服、初めて自分の稼いだお金で買った服、大喧嘩した時の服、母から譲り受けた服、とっても美味しいレストランへ行った時の服、、、

衣服を広げると同時に、頭の片隅に追いやられていた思い出の記憶も、蘇る。
ファッションの最大の魅力とは、そこにある。
物語を紡ぎ、思い出を身に纏うこと。

そのためには、思い入れが出来る、と確信出来る程気に入ったアイテムを選び抜くことが重要となってくる。
私たちは誰もがなんとなく、で衣服を選んでしまうことがある。
しかし、なんとなく買った服はなんとなく着て、
なんとなく、の魅力のまま
何の思い出も残らずにその存在を無とされるか、ゴミ箱行きだ。

一方で、勢いで買った服は始めこそ勢い良く沢山着るも、
すぐに失速してこれまたクローゼットの奥かゴミ箱行きになってしまう。

そして今、そのような短いスパンで衣服を消費してゆく人の数が増加し続けている。
ゴミと化した衣服は何の意味を持たないだけでなく、
環境と健康に被害を及ぼす凶器となってしまう。

 そのような被害を少しでも抑えるため、そして意味のない買い物を終えるための1つの手段として、既に物語が紡がれた衣服を選ぶ、ということを挙げたい。
古着、ヴィンテージ、アンティーク、、、これらは既に物語を紡いできたものたちだ。どのような物語かは憶測することしかできないけれど、丁寧に着用されていた服、それとは反対に色々な所がボロボロになっている服、またはそれらのアイテムをリメイクして、新しい風穴の空いた物語をもつ服を作ってくれるお店もある。

既に物語を紡がれてきた服には、それら特有の“柔らかさ”がある。
次章へ向けての物語のレールの始まりを敷いてくれるのだ。
物語を紡がれることに慣れた衣服にしか出すことの出来ない風格である。

それは、衣服に物語を紡ぐ助けとなってくれる。
“なぜ、この服を着るのか”と考えさせてくれる。
そして、衣服を選ぶときにそう考えることができるようになれば、
本当に必要としているものを選ぶことが可能になっていくのではないだろうか。
   
もう1つの手段として、
作り手の意思が真摯に込められた服を選ぶ、ということを挙げたい。

これは、物語を紡げる服を探す一番確かな方法ともいえる。
例えば、歴史ある文化を途絶えさせないため、ある地域の伝統的な手法で編み出された、と明確に明記してある衣服があるとする。
その思いを含んだ衣服は、それを身に纏うだけで、その土地で生活する人々を思い描くことが出来る。
その人々の物語と自分の物語を折り重ねることも出来る。
“この服は、どんな人が、どんな思いで作ったのか”と考えさせてくれる。
そして、作り手の情熱と衣服を生産する現実社会を、考えるようになる。

加えて例えば、とにかく長く着ていける服、というコンセプトが明確なデザイナーの下で作られた服を選ぶなら、
それはずっとずっと先の物語まで考えてその服を選んだことになる。
どちらも、物語を紡いでいける衣服(=大切に着ていける)を選ぶよう、働きかけてくれるのだ。

大切なことは、私たちが“衣服は物語を紡ぐことが出来る”ということを軽視しないことにあるだろう。
作り手も売り手も、消費者も、その点に真剣に目を向ける必要がある。
“本当に”物語を紡ぐことの出来る服の数は、そう多くはないはず。
だから私たちは、衣服を選ぶ際によくよく、吟味する必要がある。
“私にとってこの服は、思い出になり得るだろうか?”と。

そうするならば、
意味のない買い物をして明日、何を着て生きていこうと悩む回数も減るだろう。
そうするならば、
服のゴミの山の傍で明日、何を着て生きていこうかと嘆く人々がすこし、
少なくなるだろう。
そうするならば、
明日、何を着て生きていこうとも自信を持つことが出来るだろう。

明日、誰のための、何のための、何を背負った、何を紡いだ服を着て生きていく?

3年前の2017年、大学の夏の特別講座で書いたレポートを発掘。
偉そうなことしか書いてないけど、初心に戻れた気がする。
この時の思いはずっと忘れないでいたいな。


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