Reina Zaia Caparas
主に夜中と夜明けに浮かんだ物語たちをちょこっと。
ファッション好き=お洒落好き ではないということ。 ファッションを「考える」ということ。
パシャリ、と音がした。 「やあっと会えたー、もう。人が多すぎるのよね。」 ほんとさー、なんで金曜日ってこんなサラリーマンやら学生やらもう、勢ぞろいすぎよねえ。 ぶつくさと文句をたれる彼女の、横顔を見つめた。 「ほんとそうね。」 ――黒い髪、黒い瞳。 さっきあがったばかりの雨が残していった水たまりを踏んだのは、彼女の足だった。 いまここに、むさ苦しいほど大勢の人々それと何ら変わらない。 「映画館って、あっちだっけ。始まるにはまだ早いよね。」 どうしよっか、とスマホ
人は、他人の不幸で安堵を得る。 その人の絶望の中に共感を見出し そのシンパシーに慰めを得る 絶望の中にある虚弱な使命を 惰性で繰り出す様に 私たちは自分たちを重ねる 絶望という悲しさに 虚無というやるせなさに 弱さというもどかしさに 捻くれた慰めがあることを 私たちは知っている。
わたしには たった1人で 誰かと共有するわけでも 誰かに慰めてもらうわけでも 誰かの意見を聞くわけでも 誰かに想いを伝えるわけでも 誰かの肩を借りるわけでもなく、 たった1人で 悲しんで 苦しんで 悔やんで 喜んで 安堵して 感動して 泣く時間が、大切なのです。
もう一度、目を開けてみる。 暗闇に慣れたのか、ぼんやりと薄い灰色の景色が広がる。気が紛れるだろうと思ったが、そうでもない。落ち着かない心を表すかのようにゴソゴソと動き回る。頭の下に違和感。身体をずらしてそれを引き抜く。と、灰色の景色に鋭い光が灯った。 4:48。 時を刻む嫌な音が次第に鮮明になってくる。 ジッ、、ジッ、、ジッ、、ジッ、、、、 ――もう、何度これを繰り返したのだろう。 いつまで経っても眠りにつけない。 漆黒に沈んていた部屋の色が、目を開く度に灰色へ近づいていった
自分が携わっているプロジェクトや仕事に対して、意欲旺盛に取り組んでいる人はたくさんいる。 仕事外でも知識習得に励んだり、練習したり。 そういう人たちを見ているととても刺激を受けるし心から尊敬する。 自分の得意なことや胸を張れるもの、誇れる仕事を自分の力でめきめき育てていく姿には憧れも覚える。 でも、だからといって、他人の仕事に対する気持ちを踏みにじって良い訳ではない。 経験したことのないことや興味のない分野は 想像しにくいだろうし、 側から見たらほんの些細なことに見え
他人に親切にすることも、マナーをわきまえることすらできない人間が、 「八方美人は醜い」と言う資格なんてこれっぽっちもない。
そういえば、今年の秋冬は赤も流行るんだっけ。 ――洋服が散乱と床に積み上げられた部屋のクローゼットの中から真っ赤なロングコートを掘り出した私はふと、先日本屋で立ち読みした最新号のファッション雑誌の記事面を思い出した。 よいしょ、とそのコートを取り出す。 混じり気のない、鮮やかな赤。 暗くもなく、明るくもない赤。 ずっしりと重いそのコートを指でなぞってみる。丁寧に仕上げられた袖や裾、裏地。そこに縫い付けられたCELINEのタグが目に入る。 昨年の秋に出会ったこのコートは古着
街を歩けばそこらじゅうに目に飛び込んでくる、素敵な服に身を包み、思い思いにコーディネートしているお洒落な人たち。 雑誌やなんかではよく「ファッショナブル」という言葉を目にする。 「ファッショナブル」。 この言葉はかなり幅広い意味を包括してしまっているように思う。 お洒落である、雰囲気がある、かっこいい、モードである、かわいい、、、 上記のフレーズは全て「ファッショナブル」という語に繋がってくる。 しかし、私の中の「ファッショナブル」は、ちょっと違う。 とりわけ
本当に、こんな面相になるんだなあ すすっても戻らなくなった鼻水を拭いに洗面所までティッシュを取りに行った、そこの鏡に映った、目の下の真っ黒なしずく模様に苦笑いする。 ウォータープルーフのマスカラだったら、こんな風にはならなかったのかしら。 手でゴシゴシこすっても消えないその痕跡を、クレンジングで一から洗い流す。 ―――何に惹かれて、私はあの人がこんなにも好きなんだろう。 そう問いかけた時、空白になった。全てが静止した。 目の前のものの輪郭をクリアに感じるのと反対に、
日本には四季がある。 暑い日もあれば寒い日も、風の強い日もあれば湿気が酷い日もある。 世界を見渡してみれば、そこには無数の季節と気温、気候がある。 人間が地球に住んでいる限り、私たちは天と地に囲まれ、空間に包まれている。 “何処で生を享けたか”――場所が異なれば気候も異なり、気候が異なれば食文化も異なる。川があるのか山があるのか、湿地帯なのか山岳地帯なのか、、、それにより、文明も異なる道を辿る。 世界中にある様々な文化や伝統は、“何処で生を享けたか”により、
何度でも帰りたくなる本。 早く家に帰って読みたくなる本、という意味ではなく。 1冊の本がつくりだす世界のもとへ帰りたくなる瞬間、 その瞬間を生み出す源となってくれる本のことである。 「帰りたくなる」とは、 ‟面白かったから、また戻って読み返してみよう” とは少し違う感情だ。 決して何もかも上手くいってない訳じゃないのに、やるせなかったり。 毎日不自由なく生きているのに、どこか違和感を感じたり。 とっても上手くいってるはずなのに、何故か不安になったり。 そんな時